パリのマダムの・・・

『フランスのエンブレム』 - その2 【マリアンヌ】

「マリアンヌ」は、歴史的には、1792年9月の国民公会で新しい国章として宣言され、槍を持って立つ女性とBonnet phrygienフリジア帽を組み合わせた図柄に決まった。

実際には、7月王政が倒され第二共和制が成立した1848年に、フランス共和国の象徴となる図象が公募され、自由、革命、共和制の象徴としての「マリアンヌ」が確立した。

ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」は、1830年の作品で、まさに当時のフランス市民革命の象徴となっている。

まず、名前では馴染みのない「フリジア帽」だが、平たくいうと、現代版「黄色いベスト」で、bonnet de la Liberté(自由の帽子)とか、bonnet rouge(赤い帽子)とも呼ばれ、「隷属」から「自由」への解放の象徴として当時の抗議運動に参加した民衆が被った。

フリジアは、現在のトルコ、古代アナトリアの内陸の王国で、「フリジア帽」はこの地方で信じられていた太陽神ミトラスを主神とする密儀カルト信仰だった「ミトラ教」と関係している。

幼神ミトラは、12月25日に岩から生まれたことになっていて、「冬至」の儀式と深い繋がりを持つ。「冬至」とは「太陽の誕生日」「太陽の再生」という奇跡を願う。その幼神ミトラが被っていたのが、「フリジア帽」なのだ。

「ミトラ教」は、「ゾロアスター教」とともに、キリスト教を始め、様々な宗教に影響を与えていくが、牝牛信仰=牛角信仰で、神殿には、牛を屠る神像が飾られた。

ミトラは、雌牛の血潮を体に塗って育っていくが、古代における牛は、生産の象徴であり、農耕労働の象徴であり、その角の力強さにおいて闘争の象徴でもあった。

これが東洋に移動すると、弥勒という、救世主になる。
弥勒菩薩の信仰を擬人化したのが、「聖徳太子」で、生まれた場所から「厩戸王子」ともいわれるが、被っていたのは「フリジア帽」。

蛇足ながら、聖徳太子の誕生日は、西暦574年の2月7日となっていて、私も2月7日生まれなので、何となく嬉しい。四天王寺を訪れた時には、2歳の姿を表わす「南無仏太子像」の小さなレプリカを買った思い出がある。
四天王寺と聖徳太子(NHK)より

話を戻すが、ローマでキリスト教が国教化されると、教会はその出目を隠滅しようと、ゾロアスター教とミトラ教は弾圧され、地上から抹殺されてしまった。

その古代ローマで、解放奴隷や船乗りが被った帽子が、フリジア発祥の「フリジア帽」というわけ。ついでに、サンタクロースの赤い三角帽も、このフリジア帽。

次に、肝心の「マリアンヌ」だが、起源はローマ神話の「リベルタス(自由)神」である。
では、自由の女神といえば、ニューヨーク、パリ、どちらを思い浮かべる?

ニューヨークの「自由の女神」は、フランスがアメリカ独立100周年を記念して贈呈したもの。そして、パリ・セーヌ川グルネル橋の袂、L’îls aux Cygnes(白鳥の島)に建つ「自由の女神」は、パリに住むアメリカ人がフランス革命100周年記念して贈ったもの。

ところで、「マリアンヌ」には、その前身?とも考えられる「コロンビア」が存在する。
アメリカ大陸はコロンブスが発見したことになっているが、アメリカの女神は「Columbiaコロンビア」で、コロンビア映画のオープニングロゴにもなった。

実は、近世に「リベルタス神」が復活した、という背景には、どうやら、啓蒙主義(フランス語ではLumières光という)との関連があるようで、Culte de la raison理性教というカルトが存在し、「マリアンヌ」は、自由の権化で「理性」の最高神として擬人化され、「理性」という神に従って破壊を行うことが「自由」を意味した。

実際、このカルトが中心となって、フランス革命期に、ノートルダム大聖堂を中心に、フランス全土で、Fête de la Raison=Festival of Reason理性の祭典が開かれ、無神論的な宗教が新しい共和主義的な形をとる規範となった。

近代フリーメーソンも、この流れにある。
「自由の女神」も、仏米それぞれメーソンリー同士が寄贈しあった。

こうしたカルトの運動が、革命に結びついていったのだが、その後、マルクス、エンゲルスを経て、「理性」は「科学」となるが、科学的でないものは、暴力的に攻撃することが「理性教」カルトの特徴で、現実は歴史を物語っているように思える。

ところで、訳語の意味というのは、想像以上に深いものがある。
Liberté「自由」やRaison「理性」という言葉も、哲学的に、奥深い意味での理解や解釈が難しい概念の一つではないか、と思う。

それに絡み、恥を忍んで、若き頃の男性体験のお話を一つ。

私の一人旅は、遅かりし23歳の時。安いツアーの広告に惹かれ、香港、バーレーンを経由する南回り30時間くらいの長旅をしての、フランスと英国をめぐる10日間だった。

飛行機とホテルのみが決まっていて、あとはフリーという内容だったが、知人の日本男性が、現地案内に、フランス人男性を紹介してくれたのだが、まだ未熟だったフランス語を試す機会でもあり、連絡を取って、会いに行った。

その人が勤める海運会社のオフィスに出向くと、「何を飲むか?」と聞かれ、仕事場だしカフェと答えると、何と、ウィスキーやら何やらお酒を勧められ、驚いたものだったが、後日、誘われたレストランは、少々エロチックな体験を楽しむ、フランス的なウィットに富んだところだった。

出されたパンを何気にほうばると、相手の男性に、自分のパンを「これはお父さんにお土産」といって渡された。
よく見れば、男性器の形をしていて、赤恥をかいた。

生クリームを入れる容器は、お小水を入れるもので、それを椅子の下に置くとか、トイレの便座の蓋には、両手を広げた絵が描かれていたり、食後には、MCが場を盛り上げ、指名された女性客は、椅子に上がってテーブルに片足を乗せ、スカートをたくし上げて太腿にガーターリボンを結んで写真を撮るというおちゃらけもあった。

Paris by nightの洗礼を受けた私は、その後、その人の車でホテルに送ってもらったのだが、ホテルが近づくと、車が止まり、

彼:Je ne suis pas sage……
私:(sage?! sagesseは知恵だから、えっと、つまり、「私は賢くない」? えっと、えっと……) Moi non plus ?! モワ ノン プリュ(私も

と答えると、「わかってない」とわかった彼は、「部屋は一人か?」と聞いてきた。
「知恵」の方ではなく「分別」、つまり「理性を失っている」という表現だったのだ。

我に返った私が「婚約者がいる」というと、相手は「僕にも妻がいる」と応える始末で、どうしていいやらもがいていたら、「キリスト教徒か?」と聞いてきた。

何より、ウブだった、ということもあるが、こんなことは生まれて初めてだったから、全く無防備だった自分は困惑するだけだった。

そもそも、日本なら、一人旅の女の子の面倒を頼まれたシルバーグレーの男性が、そんな流れを作ることはないと思うが、紹介してくれた日本のおじ様には、報告できなかった。

というわけで、事なきを得たものの(苦笑)、こんなとき、フランス人女性は、どうやって断るのだろう、と気になって仕方がなかった。

否、「マリアンヌ」は断らないのか?!
私は、むしろ、「理性」を盾に「NON」と言った「自由の女神」だった?!

後日談は、その男性こそ、初めて、私に香水をプレゼントしてくれた人となった。
クリスマスプレゼントとしてフランスから郵送してくれたのは、Miss Dior。

以来、香りを意識するようになり、香水は私にとって日常の習慣となった。
もっとも、その後、自らが選んだ香りは、サンローランのParis。
私にとっての「自由」と「理性」を象徴する、生涯の香りだ。

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