パリのマダムの・・・ volume72

『妄想が止まらない』

この世の中に起きている事件はすべて偶然なのだろうか?

例えば、少し前に起きた一連の事件
若者がターゲットになった強盗事件、ルフィと名乗る主犯格の指示で強盗事件が起き、フィリピンに住む男たちが逮捕された。
白昼堂々、銀座の強盗事件が起きたのは5月8日で、GINZA888ビルにある時計店が襲われた。逃走に使われたのは盗んだナンバープレート314 (3+1+4=8)をつけた車両だったが、その姿をTVカメラが捉えていたことから、多くの人の目に留まる結果となった。
そうこうするうちに、また別の強盗事件が川崎で起きた。襲われたのはまた時計店。
日付は6月11日、6+1+1で8。容疑者の名前に8が入っていて、年齢の数字は26、2+6で8になる。

時計店を襲った事件は京都でも起きている。
いずれの強盗事件も闇サイト内でのアルバイト募集ということだが…。

私は、こうした事件が単なる金稼ぎとは思えない。そうなると裏を探りたくなる。
「わかる人にわかればよい」
というメッセージ性があるのではないかと思えてしかたない。
善悪関係なく、繰り返し起きることは、いつしか人々の頭の中に刷り込まれる何かがあるはず。でも、大抵の人は時間経過と共に事件自体を忘れてしまう。

こんなことを書くと“陰謀論好きねぇ”と言われてしまうのはわかるが、それでも名探偵コナンの気分で少し遊んでみたい。

前述の通り、私的には数字の8がひっかかったわけだが、そんな折、時を同じくしてイタリアサッカー界で88の背番号が永久欠番になった、というニュースを知った。理由は、ナチスのスローガンHeil Hitlerに関係する。『H.H.』、Hはアルファベットの8番目だから2つ並びで88になる、というもの。
でもあの『H.H.』は、反ユダヤ主義のナチスが使ったことでファッシズムのレッテルが貼られてしまったけれど、元はと言えば、古代ローマが起源とされる敬礼だったのだ。しかも、ヒットラー以前に、ムッソリーニが使い始めたという史実もある。

サッカー界の話題で気づいたのだけど、2022のサッカーワールドカップのロゴって…この形状、8じゃない?!

Copyright ©FIFA

私的には、このロゴマークを見て、真っ先にメビウスの帯を思った。


ロゴ自体は砂漠の民の被り物(頭巾)からインスピレーションを得ているとのこと。この被り物には私もお世話になったことがある。パリダカの仕事をしていた時、アフリカの砂漠での寒暖差や砂嵐で、この被り物にとても重宝した思い出があるのだ。

上は、ザザビーのオークションにも出た、
ショールを模ったカルティエのパリダカ時計

ネットには
「ロゴのデザインはアラブ文化を印象的に示しており、急降下曲線は砂漠の砂丘を表現し、切れ目のないループは数字の『8』を想起させ、これは8つのスタジアムを使用することを示している」
と書いてある。
ね、ここも、8のon paradeでしょ?

「イベントの相互継続と無限大も示唆している」
というが、確かに!横にすると、無限記号∞になる。
結局、8及び∞は、ループLoopを思わせる。

そう思って気になり始めると、TVを見ていても、映画を見ていても、8とか無限ループという言葉がかなりの頻度で出てくることに気づかされる。

今流行りの電動キックボードも、綴りは違うけどループLuupだ。
これはもう、無限ループを流行らせたい人がいるとしか思えない。

ループについては、古代エジプト時代、ウロボロスに遡るのだが、蛇(龍)は「不老不死」の象徴。永久性と無限性を表し、錬金術では陰陽などの相反するものの統一も意味する。


ならば、時計こそが、無限ループを象徴している?! そして、時計店での連続強盗事件。

「何をこじつけてんの?」
と突っ込まれそうだけど、私は仕掛け人ではないので、妄想や想像や憶測や考察はできても、何が正解なのか、なんて言える立場にはない。

人間はいとも簡単に扇動に惑わされる。社会は、今、正に“いわゆるイメージ戦略”によって、大衆操作が行われているのではないかとさえ思えてしまう。

否、惑わされる、という表現はあっていないかもしれない。惑わす側の人はいても、惑わされる側は、惑わされているとも気づかないうちに『脳に刷り込みされているのが正解かも』とさえ思ってしまう。

「宇宙は果てしないのに、人間の脳には限界があるから」というものや、「一度ハマったらやめられなくなるから怖い」「繰り返される家族の日常も怖い」というものまで出てきて、その種の映画も結構いろいろある。

エンブレムやロゴといったものは、誰が流行らせるのだろうか?
何かを流行させる側の人とて、首謀者の意図までは知らないのかもしれない。
これが流行るとなったら、皆でそっちを向くだけ。お金になれば、それでいい。

平和、平和と騒いでも、この世に戦争がなくならないのと同じ事。報道されるのはお決まりの悲劇映像。災害が起きた場合も、不幸な家族の映像が優先的に選ばれる。
そして、人間には感情があるからこそ、こうした報道に心を動かされるのだ。

“得”をしているのはだーれ?
少なくとも”徳”のある人格者ではないはず。
隠された秘密を共謀する者たちだけが、利を得て世界を仕切る。
それは知恵ではなく、悪知恵というものだろう。

どこまでいってもイタチごっこではないか。

ん? なんと、これ自体がループだった のか!

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