パリのマダムの・・・

『オリンピックの光と影』

賛否が問われつつ、1年延期で開催が決行された2020年の東京オリンピック、始まってみれば、どこの参加国も、愛国心脇踊る日々だったと思う。

フランスの国営放送は、東京湾に報道スタジオを設けて……否、デジタル創作なのだが、なかなかのアイディアに見惚れた。
フランス選手が”金”を獲得すると、この画面で花火を上げた。
7時間の時差がある中、3局が実況中継とダイジェストを報道。国営の2と3が交互に、14は、バスケット、バレー、ハンドボール、サッカーなどの球スポーツに特化。日本の文化や慣習を紹介するコーナーもあったが、東京生活の思い出に浸りつつ、この2週間、オリンピック一色の毎日だった。
ご参考:https://sportbusiness.club/france-televisions-en-reel-et-virtuel-sur-les-jeux-de-tokyo-2020/

ところで、開会式を見ていて、不思議な事に気づいた。聞き慣れない国名、場所もわからない名前が次々に出てくるのは、自分の教養のなさとしても、島々は独立して参加できるの? グアムも、ケイマン諸島も、コモロ連合も、クック諸島も、サモア諸島も、ソロモン諸島も、宗主国とは別枠。台湾はわかるが、香港も別枠なのはなぜ? 
ご参考:https://www.o.p.edu.metro.tokyo.jp/children-student/watch-learn/participations-world.html

オリンピックはナショナリズムが全面に出るが、グローバル化現象の側面は、選手の血統や国籍に見え隠れする。日本では二重国籍を許していないので、ハーフたちはどちらかを選ぶことになるが、国によっては、複数の国籍所持を許可しているところもある。

選手になれる比率やメダル獲得の可能性に賭けて、どこの国籍で戦うか、という選択肢はかなりの比率で大きくなっている気がする。自国ではなく第三国の選手になって、その国にメダルをもたらす目的で国籍を変える事を推奨する国もある。

世界選手権のチャンピオンであってもオリンピックは別格、金メダルをとって初めて世界一が本物になる風潮がある。故に、選手は戦士のごとく、強靭な肉体とともに、猛烈なプレッシャーに耐えられる精神力が必要とされる。アメリカの体操選手シモン・バイルスが精神状態に言及して棄権したが、選手は様々なハラスメントに耐えねばならない。ソーシャルメディアの発達でますますそれが顕著だ。

アマチュア選手大会からプロ選手も参加するようになったことで、イベントの様相がかな
り変わった。広告宣伝の規模も違えば、スポーツ種目の養成システムも構築され、早くから青田買いも起きて、国やスポンサーが育てる環境もどんどん構築されている。
はたして、自らが選ぶ道なのか、背負うものが大きすぎて、気づけば、一体自分は誰のもの?という問いかけが起きても不思議ではない。
ご参考:https://bunshun.jp/articles/-/44914

64年の東京オリンピックのマラソンでのエピソード。大会前に、世界最高記録で世界一となったイギリス代表ヒートリー選手は、円谷選手を抜いて2位になった。以来、世界記録保持者という部分は忘れられ、オリンピック2位というレッテルだけが残ったという。
しかも、円谷選手を追い抜く時に「客席のどこかからライフルで撃たれるかも」なんて頭によぎったというから笑えない。抜かれて3位になった円谷選手は、次のメキシコオリンピックを目指すも、1968年1月に、両刃の剃刀で頸動脈を切って自殺している。

歴史を振り返れば、オリンピックは、古代から戦争と平和という問題が表裏一体だった。
ギリシャでは、休戦期間の祭典だった。それが、ギリシャがローマ帝国に支配され、国教がキリスト教になったことで、オリンピア信仰が下火になって衰退。因みに、皇帝ネロは、自分が出場するために開催を2年延期し、戦車競争で優勝したのだとか。

その1500年後の近代、クーベルタン男爵がオリンピックの復興計画を立ち上げた。実際には、彼が生まれる以前から、ヨーロッパ各地でオリンピック競技会が開かれていたものを、IOCを設置して、”国際性”を重んじたスポーツ競技大会としたのだ。

クーベルタンの時代の欧州世界は、ナポレオン戦争の終結以降、血縁関係によって横断的に支配していた貴族や王族が没落し、新たに民族を軸とする国民国家が成立。民族意識の昂揚とともに、国境を巡る紛争や戦争が繰り返されていた時代だった。

北米では、南北戦争の終結後、ヨーロッパとは異なるアメリカという独自の社会と文化を
求めるナショナリズムが起こり、フランスでも、普仏戦争の敗戦による混乱の中で、プロシア(ドイツ)に対する”報復”のナショナリズムの声が高まっていた。

そんな折に、クーベルタンは、報復や戦争を繰り返すのではなく、「スポーツを通して心身を向上させ、文化や国籍の違いを乗り越え、平和な世界の実現に貢献する」とした。
ただし、時代は、女性のスポーツ参加には否定的であったし、労働者差別的なアマチュアリズムの信奉、貴族的紳士のスポーツの様相を持つ、特権階級的なクラブ組織だった。

第一回は、「オリンピックという言葉を使うならギリシャで行うべき」との大富豪(船舶王)が現れ、多額の寄付とともにアテネに引き寄せたのだという。それで、パリは第二回大会となったのだが、万国博覧会に力を入れていたフランス政府の協力を得られず、万博開催中(5〜10月)に、その余興として5月に行われた。第三回も、アメリカのシカゴで行われる予定だったのが、セオドア・ルーズベルトの鶴の一声で、ルイジアナ州獲得100年
記念として、またしても万博と一緒に7〜10月の長期開催になったのだった。

日本も皇紀2600年奉祝行事として”日本万博博覧会”を開催する計画が起き、相まって東京五輪招致を申請。1936年(昭和11年)のIOCベルリン総会で、1940年開催が決定した。
ご参考:https://kashiharajingu.or.jp/about/history

その直後に、”ナチスのオリンピック”と呼ばれた第11回ベルリン大会が開催された。当初開催に消極的だったヒットラーが、ナチスドイツの威信を世界にアピールする目論見で、そのプロパガンダと化し、その時に始まった聖火リレーも、スパイ行為だったとか?!

1937年7月に日中戦争が勃発、翌年4月に、国家総動員法に続き、鉄鋼配給統制規則が交付され、新たなスタジアムの建設が困難になる。1938年3月のIOCカイロ総会で、尽力を尽くした日本柔道の祖たる嘉納治五郎だったが、帰途に死して、横浜港に到着した氷川丸から棺が運び出される際に、五輪の旗が掲げられている。結局、東京大会は返上されるのだが、時局に配慮し、万博中止論が高まり、こっちも延期が閣議決定されていた。

そして、戦後19年経って、ついぞ1964年10月10日、初の東京オリンピックが開幕した。
そう、体育の日はこの時から始まっている。先の嘉納治五郎が尽力し、世界選手権も開かれるまでに世界のJUDOとなっていた柔道が、正式種目になったのも、この時からだ。

柔道は、フランスでは授業にもなって連盟所属数も圧倒的に1位だ。一方日本では、国技なのに授業では教えない。各学校に校庭があり、体育祭まで催す国は、世界広しといえども日本だけだが、残念なことに、バラエティに富む”体育”は西欧スポーツが多い。なぜ?

64年のオリンピック時代、戦後復興で経済成長し、元軍人も一般人も、多くが平和を享受、世紀の祭典を心から祝った。だから、その時のスローガンも広く知られた。中学生の少女が作ったという「世界は一つ」。実際には、共産主義圏と自由主義圏が対立し、世界は二つだった。はたして、2020年東京オリンピックのスローガンを言える人はどのくらいいるのだろう。”United by Emotion”……形骸化した言葉に見えてしまうのは私だけ?

実際、オリンピックが平和の祭典なんて流暢な話はない。オリンピックは、政治的介入を戒めているが、誕生以来、常に経済と政治に翻弄され、ボイコットも度々起きた。今回も裏金や盗作疑惑、差別発言、最後は開催決行に至る鶴の一言問題も記憶に生々しい。

IOCは、スイスのローザンヌにある「国際任意団体」であり、国内・国際機関から独立して、法人化しておらず、いかなる法的規制も受けない。巨額の入場料や放映権料による収入があるにもかかわらず、固定資産税も免除されているのだという。

開催地決定をめぐる裏金疑惑も度々起きるが、委員の属する国において脱税疑惑が問われ
ることはあっても、調査に限界もあり、結局は倫理の問題ということになってしまう。
ただ、国際組織にしたところで、結局は、政治的綱引きとなるだけで、問題の確信は解決
されないだろう。巨額のお金を動かす公明正大な組織など、どこにもない。

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