パリのマダムの・・・ volume49

『XCIX = 99 = 九九』

XCIXでは何の事かピンと来ないと思うが、ローマ数字の”99”。漢字なら九十九、仏語では “quatre-vignt-dix-neuf”キャトル・ヴァン・ディズ・ヌフ(4×20+19)と、とんでもない言い方。そんなわけ?!で、私は娘に「日本語で」掛け算の”九九”を教えた。強ち笑えないのが、海外ではリズミカルな覚え方がなく、大人でも”九九”が言えない人が多いという。

日本ではヨーロッパ伝来の算用数字を”アラビア数字”と呼んでいるが、数字は0零を含めてインド起源だ。古代メソポタミアでは十進法と60進法が混じって算法が極めて複雑だった。ギリシャ・ローマの時代になると、文字を作り出したフェニキアと同じく、アルファベットをそのまま数字として用いて、計算はとても厄介だった。

コンピューターが0と1で成り立っているのは知っていると思うが、80年代から、世界中の文字に一意な数値を与えるUnicodeという文字の規格が生まれた。つまり、数字だけでなく文字一つ一つに番号を割り当てたというわけ。コンピューターや携帯を使っていて、画面が文字化けしたり、漢字変換ができないトラブルに見舞われたことがあると思うが、世界中の言葉は、まだまだIT用語化に対応が間に合っていない、というのがわかる。
ご参考:https://wa3.i-3-i.info/word11422.html

さて、実験的にGoogleで“99”と入力してみると、これが出てきた。ロックバンドTOTOは、ウォシュレットのTOTOからとったと言われる事もあるが、内実、元メンバーRobert Toteauxが由来のようだ。仏語はeau=oと発音する(xは複数で発音しない)ので、Toteaux=Toto。
ご参考:http://neverendingmusic.blog.jp/archives/13084346.html

TOTOの“99”は、1971年の“THX 1138”からインスピレーションを得ているという。
それは、フランシス・コッポラがプロデュースした、ジョージ・ルーカスの初監督作品で、アンドロイド警察によって、人々が「番号で管理される社会」を描いた前衛作品だった。
ご参考: https://ja.wikipedia.org/wiki/THX_1138

映画の中では25世紀の話になっているが、21世紀の今や既にそうなって……情報化社会は想像(想定?! )以上に早く進んだ。コンピューターの発達と連動していると思うが、文字のコード化に止まらず、既に人間のコード化も進められている。ビッグデータの集約は、指紋や顔認証のみならず、DNAにも及ぶだろうし、管理社会がどこまでも広がる様相だ。

コロナ禍で、日本に入国したら携帯の位置情報を切ってはいけないそうで、げんなりして
いたら、2年ぶりにシンガポールに戻った日本の友人から写真が届いた。見ると、文字盤
にQRコードが入った腕時計のようなものを強制され……まるで罪人でしょ、と苦笑。
ご参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/QRコード

家庭にスマートメーターの使用が広まっているが、今や世界中で刺青を入れることに慣れている社会にあっては、もはやスマートタトゥは違和感なく受け入れるだろう。ペットの体内にデータ管理用チップを躊躇なく入れてきた人々が、自らの体内にもbiometricバイオメトリックのチップを入れる“便利な”世界を拒むことは果たして可能だろうか?!
ご参考:https://wired.jp/2014/10/10/how-digital-tattoos-could-be-a-future-fad/
https://ampmedia.jp/2018/09/26/revised_microchip/

陰鬱になるが、そんなホラーのような話ではなく、もう少しロマンのある話をしたい。

なぜ、この数字を取り上げたかというと、和歌山出身の友人とのやりとりで、「熊野九十九王子」神社の話が出てきて、脳がピピッと反応したから。

というのも、私、写真右のこんな本を持っている。タイトルに Les 99 Noms de Dieu『99の神の名』と書いてある。イスラム教は一神教で、神は“アッラー”、と知っている人は多いと思うが、意外にも99の呼び方があって、信者はこれを全部暗記している。
ご参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/アッラーフの99の美名

好奇心だけは旺盛の私だが、今のところ、まだ一桁しか覚えられない。日常化していないこともあるが、発音が上手くできないもどかしさもあって、思うに儘ならない。

それはともかく、北区の“王子”に親戚が住んでいたので、「王子」もついでに気になって、「熊野九十九王子」の紐解きに入った。普通に考えれば、やんごとなき(=れ多い)“王子”の話に関わるもの?!で、「九十九」の方は、“多くの”王子様がいた?! となるが、

日本には古来、神が幼い子供の姿で現れる、という信仰があった。神社の本宮から分かれ出た神格を、巫女的な母神とその子神(マリアとイエス?!)を合わせて祈る。後に仏教と神道の習合が進み、仏に使える童子(貴人の身の回りの世話をする得度前の子供)が“若宮”や“王子”と呼ばれるようになった。それが全国に広がり、その社がある場所を“王子”という地名で呼ばれたらしい。だけど何やら、“稚児”や“衆道”という男色の世界も頭によぎる。
ご参考:http://www.harusan1925.net/0223.html
https://intojapanwaraku.com/culture/87711/

「熊野九十九王子」は修験道とのかかわりもあるようだ。修験道も、神仏習合の信仰の一つ。森羅万象に命や心霊が宿るという古神道に山岳信仰や仏教や密教などが習合した、「行得」「実」を言う。山伏の装束がユダヤ教のラビに似ているのが何とも興味深い。そこから天狗はユダヤ人とか、日ユ同祖神なんていう発想も出てくる。
ご参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/日ユ同祖論

ところで「くじゅうく」と読めば、“数そのもの”というより“数が多い”意味で用いられる。九十九折(つづらおり)なんて言うのもあるが、“つくも”と読めば、九十九髪。
ご参考:http://www2.chokai.ne.jp/~assoonas/UC99.HTML

同じ「つくも」でも、九十九神(付喪神つくもかみ)になると別物で、「長い年月を経た道具などに神や精霊が宿る」と考えられ、そう呼ばれる精霊(妖怪)がいるのだそう。
ご参考:https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013599/explanation/otogi_05

九十九神は、「人間も草木、動物、道具でさえも、古くなるにつれて霊性を獲得し、自ら変化する能力を獲得するに至る」というのが興味深い。いずれにしても、日本では、やはり霊的なものへの“畏敬”があるように思う。

ユダヤ教もイスラム教もキリスト教も、発生元は同じなのに一神教で対立して相容れない。一方日本では、“本地垂迹説”という発想が生まれ、“権現”という神号も編み出した。
ご参考:http://jinjajin.jp/modules/contents/index.php?content_id=212

八百万の神がいると言われる日本には、キリストやマリア様、ユダヤ教の神ヤァウエ、そして意外かもしれないが、イスラム教のアッラーもいるのではないか、と思ったりする。その理由は、縄文時代から連綿と伝えられている“アラハバキ”という神様。この名前が、私は“Allah akbar”という祈りの言葉にどこかしら似ていると感じる。テロリストの常套句と勘違いされるが、アラビア人のキリスト教徒も使うのだから、誤解してはいけない。
ご参考:https://zinja-omairi.com/arahabaki/

『神は守り給う、仏は救い給う』という神仏融和を始めたのは、聖徳太子という。聖徳太子の童子像も王子信仰の影響があるように思うがどうだろう。調べると、今年は1400回忌に当たり、あちこちで特別展が開催されている。
ご参考:https://www.asuka-tobira.com/syotokutaishi/shotokutaishi.htm
https://www.suntory.co.jp/news/article/mt_items/sma0053.pdf
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20210427-OYT8T50054/

実は私、聖徳太子と同じ2月7日生。スピリッチュアル系ではツインソウルというそうだ。それなら幾多いるはずだが、聖徳太子は格別感が違って、かなり自慢に思える(笑)。その気になって、親友相手に教祖ズラしてみるのだが、これが結構楽しくてやめられない。

それはさておき、人間界は全て“言葉”に左右されて事が動く。宗教も科学も政治も、言葉の巧妙な“操作”に騙されないようにしなければならない。認知脳科学で実証されているが、脳は、複雑なものと思いきや、案外単純に”洗脳”されるような作りになっている。
皆様も気をつけあそばせ。

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