パリのマダムの・・・ volume63

『Cultカルト・Occultオカルト』

仏語ではCulteキュルトと言い、信仰、崇拝、儀式、お参り…と言った意味で使われる。派生語のCultureは、広義には「田畑を耕し、栽培する」意味があることから、「脳を耕し、栽培する」というわけで、“文化”や“教養”といった意味合いを持つようになったが、

日本では、カルチャーセンターという感じでは普通に使うが、“カルト”と聞くと、急に、怪しい、怖い、インチキ宗教というような意味で捉えられるのはどうしてだろう?

Occultの方は、仏語はOcculteオキュルトで、ラテン語の、隠されたもの、を語源とし、目で見たり、触れて感じることのできない意味合いから、秘教や魔術という超自然的な力や作用を意味するものとされてきた。

自然現象のミステリーには“神”が関与する、と信じたから、カルトが生まれたに違いない。“神”という概念を使うことで、目に見えない力に畏敬を感じると共に、説明できない、納得できないことでも“神の仕業”として諦めがついたのかも知れない。

民は、言葉を介して説を唱える者によって、指導、誘導、洗脳される。
正にそれが”初めに言葉ありき”で、西欧はlogosだし、日本なら言霊というものか……

2011年発行の2ポンドコインには、In the beginning was the Wordという聖書からの引用が彫られている。欽定訳聖書というのがジェームス1世の命令で刊行され、10億部を超える世界最大のベストセラーになったそうだが、その400周年の記念で発行された。

その聖書が印刷された場所は、シティの王立印刷所で、宗教改革で廃院になった修道院の跡地に建っている。そこは、タイムズ紙の印刷工場になり、今では米国銀行の支店になったそうだ。初めに“言葉ありき”が、“おカネありき”になった(苦笑)。

ところで、聖書ができた最初の頃、一部の宗教家以外、民のほとんどは文盲だったから、人々が学びを得るのは伝承だけであり、その言を信じるか信じないか、に尽きたはず。

一旦信じたものと違う解釈が出て来れば、異端として、説く者は、追放されたり、処刑されたり、その広がりを抑える処分が下され、その異端は、地下に潜ったり、他地域に移ったりしながら、その枝葉も幾重にも発達してきたのは必然だったであろう。

何より、社会を統治するには手段が要る。大なり小なり国という形に統一し、民をまとめるに、Culte信仰やReligion宗教を利用するのは当然であり、元より、その“王”自身もそれを信じたのだし、大事な決定を下すに、聖職者の一言が背中を押したのも頷ける。

中世には、西欧の王様は全てローマ法王が任命した。そこを飛び越えたのが、英国ヘンリー8世だったのだし、ナポレオンの出現も教会の権力や権威を落とした。しかも、その頃から、近代フリーメーソンが、カルト的に、様々な分野に入り込んでいく。

そして、哲学や科学といった理論が社会に浸透してくると、それさえもが、宗教のようになった。もっとも、その根は錬金術だし、その化学的技術を駆使して、不老不死の仙薬を得ようとしたのだから、呪術的性格を持つ、オカルトも発達したに違いない。

ところで、宮廷内に絶大な影響を振るった僧侶といえば、ロシア帝政時にはラスプーチンの例がある。しかし、共産主義のソ連になると、無宗教の社会を統べる権力は、政府になった。一方、共産党が一掃されプーチンが大統領になると、ロシア正教会が表に復活、大切に扱われるようになった。思想的メンターと呼ばれる、モスクワ大学元教授の哲学者、アレクサンドル・ドゥーギンを、その知的な宝庫としてブレーンの一人にしている。
(と、書いたら、ドゥーギンの娘が運転していた父の車が爆発で死亡……怖)

日本でも、古くから巫女にはじまって、宮廷には陰陽師がいたし、例えば、江戸に結界を作った天海しかり、昭和なら安岡正篤も、歴代総理の指南番たる知的ブレーンだった。

安岡正篤といえば、細木数子も思い浮かぶ。彼女から近づいて、易学などの教えを乞うたのかも知れない。細木数子は昨年亡くなって裏話も出てきたようだが、彼女ほどの多様な経験と影響力があれば、芸能界も水商売もヤクザの世界も知っていたことは疑いがない。

フランス版細木数子?!と言えそうなのが、占い師Mme Soleil(本名)。Europe1というラジオ局のCEOがクライアントだったこともあり、1993年までラジオやTV、新聞でホロスコープを担当しつつ、個人経営の占いもしていた。政界や有名人にも影響を与え、特に、ポンピドー大統領が、フランスの将来について記者団に質問された時「私はMadame Soleilじゃない」と答えて、彼女をさらに有名にした。

さて、安倍元総理の暗殺事件から、統一教会(協会)が槍玉に上がった。私が大学生の頃、原理研究会というのがあって、私が所属した舞踏研究会(社交ダンス競技のクラブ)の隣に部室があったように記憶しているが、当時は、それが統一教会とは考えも及ばず、否、その名前すら知らなかった。後年、映画制作でご一緒した桜田淳子さん、撮影期間中の合間には仏スタッフらと一緒にダンスも楽しんだが、後に、合同結婚式を挙げられた、と知って、かなり衝撃を受けたものだった。サイエントロジーのトム・クルーズと同じように、統一教会の広告塔になったのだろう。

実は私、過去に一度、知り合いから宗教団体への入会を勧誘されるような目にあった。
お茶しようと誘われて入った喫茶店に、その同僚もやってきて、3時間以上にも渡って説話……とっても嫌な経験だったので、完全に脳が封印してしまい、どんな話をしたのかよく覚えていない。要は、こうしないと不幸になる、といった類の話だったと思う。

知人はその間、監督している感じで、ほとんど話に入らない。その同僚が説得役のようだったが、その人は、以前は統一教会に所属していたのが、冨士大石寺顕正会、といって、日蓮宗から派生したカルトの信徒になっていたのだった。

思い起こせば、『えー、じゃ、キリスト教徒から仏教徒になっちゃったわけ?』と、ツッコミどころ満載なのだが、一瞬でも「綺麗な人だなあ」と思ったその人は、最後には引き攣り顔の女狐に見えた。幸い、壺を勧められるようなこともなく、我が家には、自分達で買った美しい九谷焼の壺がある(苦笑)。

予備校に通っていた時には、立正佼成会に属する仲間もいたが、そういうものに全く関心もなかったから、ふーん、でスルーしていた。でも、日本には、右表のようにたくさんの団体があるのだから、無関心でもいられない。しかも、これらの大元締めが同じだったら、尚、怖いが、ましてそれが国内にいるのか海外にいるのかもわからない。

いずれにせよ、やり口は同じで、困っている人、不幸があった人、将来に不安な人、などに近寄ってくる。途方に暮れている人からすれば、優しい言葉をかけられたり、お金の工面もしてくれたりすれば、あれよあれよという間に、取り込まれても不思議はない。

宗教界が全て悪と言っているわけではないが、残念な事に、設立当初から、或いは途中で乗っ取られたか、怪しい団体になってしまった例は多い。それは、選挙の票集めであり、税の優遇や、寄付金など、現金が動く、ネットワークが構築されているからだろう。

羊の皮を被った狼のごとく、宗教・思想の皮を被った秘密結社に化けた、と言ってもいい。おカネとコネがモノを言う世界で、政界、財界、軍部、芸能、学問の世界にも、浸透していると考えられる。“秘密”?!をシェアするのが“シバリ”だ。

上層部はウィンウィンの関係だろうが、下っ端はほぼ奴隷の如く使われる。ヤクザな世界と一緒で、一度足を踏み入れたら、兄弟愛? で、逃げられなくなる。上からの絶対命令に、NOと言えるか? どう太刀打ちできるのか?

事のつまり、人は、“パニックドクトリン”にやられるのだと思う。つまり、恐怖に晒され
ることで、おとなしく言う事を聞く、状態にさせられる。その傾向は、今や、宗教団体内部だけではなく、生きている社会全てが恐怖の壁で囲まれている。

昔は、地震、雷、火事、親父……と言ったが、今では、地震も火事も台風も、何なら火山の爆発も、自然災害なのか人災なのか、わからない。各種兵器の発達で戦争の脅威が煽られ、コロナやワクチンも様々な恐怖の塊だ。マスクの善悪さえ自分では決められない。

じゃあ、保険に入る? それだって、結局は、心配や恐怖に駆られるからでしょ? 保険会社の勧誘が、宗教団体への勧誘と何がどう違うの? いずれも五十歩百歩では?

あーあ、もはや、全てにがんじがらめな気がしてきた……
信じるものは救われるって、言うけど、
じゃあ、何をどう信じればいいの〜 神様!?!?!

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