パリのマダムの・・・ volume75

World』 or『Worlds』 ?!

私は専ら、worldは単数形で使ってきたのだが
最近、worldsと複数形で使っているケースを目にする機会が増えた気がしたもので
周りにいる “割と大勢の”
多種多様な人々にリサーチしたところ…

受験英語の長文読解(reading test)などで
作問文を使わず、原文を引用することが増えた結果
概念英語として学んだ

という人が多く
殊にハイレベルな受験をした人たちがこの意見の多数を占めた。

最近、気になり始めたと書いたが
私より3~4歳下の人たちの受験の頃から始まっていた様なので
最近では無かった…

この概念的な英単語を
概念を含め深くとらえず
意味合いなどあいまいにアチコチで使われ始めたのは最近の様で
それで、最近目にする機会が増えた様に感じたと思われる。

親友曰く
worldにsが付いているかどうかは
母国語である日本語ですらきちんと分類して使えない、使わない人の多い昨今
誰も気にしてない、というか、気づいてないと思うよ。」
と…

それはそれで残念なことに思える。

2021年、東京オリンピックの閉会式で
worlds we share”と
worldにsをつけて使っていたことに違和感を覚えた私だが
世の中で、さしたる反応が無かったのはそういう事かと…。

となると、もう一つの違和感
2020年6月にオープンした
“Small worlds Tokyo”というミニチュアテーマパークも
そうだね、多くの人にとって、Sが付いている付いていないは
本質的な問題ではない
のみならず
ある意味、気づいていないポイントかも
となると、不思議に思わないのはそういう事ね…
となった。

病的に裏を勘ぐりたくなる私としては
これで話が終わってしまっては面白くないし…
こじつけも含めてもう少し
worldworldsで話を広げさせてもらいます。

world で最初に思い浮かべたのは
ディズニーのアトラクション“It’s a small world”。
オリジナルは1964年にニューヨークで開催された世界博覧会で
ユニセフが企画したパビリオンでのアトラクションだったのだが
そこには
「人種や性別、国籍、言語の違いがあっても
子供達は何の柵もなくすぐに友達になれ
ケンカしても泣いて笑ってすぐに仲直りしてしまう。
これが平和の世界ではないか」
というウォルト・ディズニーの哲学と同じモノが含まれていたことから
ディズニーランドのアトラクションとしてリメイクされたとのこと。

worldを世界と日本語に訳すと
1946年、岩波書店が創刊した雑誌『世界』を思い出す。
初代編集長、吉野源三郎の意向でどんどん左傾化し
言論誌さながらになっていったことで
癖の強さが前面に出すぎ、一蹴されることも多いのだが…
そもそも創刊時は普通に自由主義を論じる雑誌であったという。

この雑誌を『世界』と命名したのは、谷川徹三という哲学者。
この哲学者が後に法政大学の総長になった谷川氏だと言えば
息子である詩人の谷川俊太郎を思い浮かべる人も少なくないはず。

吉野源三郎は『君たちはどう生きるか』というタイトルの小説を書いた人。
このタイトルを聞くと、小説の中身云々より
「宣伝の仕方がとても特殊でまんまと!代理店の手法にハマった」
というコメントを多く見た、あの映画を思い浮かべる人の方が今は多いかも。

worldという単語で直ぐに浮かぶものがもう一つ。
“We Are The world”というあの楽曲。
作詞作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチー。
プロデュースはクインシー・ジョーンズ。
1985年にUSA for Afrikaというプロジェクトからスタートした
アフリカの貧困救済のためのチャリティー楽曲で
有名アーティストらが歌って世界中で耳にするに至った。
その結果、予想以上の効果を創出できたと
芸能チャリティーの成功作品として今に語り継がれている。

前回のエッセイで取り上げた原爆の父、オッペンハイマーは
“I am become Death, the destroyer of worlds. ”
「私は死神、世界の破壊者」
という言葉を残している。
言語に興味があり、6ヶ国語を操ったという彼らしく
worldにはsをつけて使っている。
この事実はなかなかに秀逸だ。

1898年、イギリスの作家H.G・ウェルズが発表したSF小説に
“THE WAR OF THE WORLDS”というのがあった。
小説の内容は火星人が地球にやってきて
火星と地球、二つの文明の衝突というストーリーだったと記憶している。
日本では小説の翻訳より先に
映画が入ってきたので
映画化された時に方向性の殆どが戦闘モノになった結果
この小説における文明の衝突という観点はすっかり消され
宇宙における戦闘モノとして認識されるに至った。

和制タイトルでは“宇宙戦争”と表記された。
思考としてはWORLDS=宇宙という事だろう。

映画のタイトルがコレだったので
翻訳本もそのままに表記された。
原書を読むと、翻訳本に関しては
もう少し違うタイトルの方が中身と合致していると思えたのだが…。

この物語を、米放送局CBSが
実在するアメリカの地名に置き換え
「火星人がアメリカに攻めてきた!」
という内容でラジオドラマにしたところ
「この物語はフィクションです」
の部分を聞き逃したリスナーが全米各地でパニックになった…
という都市伝説で有名だが
これは、マッチポンプ式の業界宣伝であったことも
今では知られる話である。

一体全体、何がホントで何が嘘なのか…

最近では小説、映画、漫画、様々なモノのトピックとして
“宇宙”戦争が扱われるようになって
“宇宙”という文字を見ない日は一日たりとてないと感じる。

そもそも“宇宙”や“世界”という言葉には諸説あるものの
日本語としての由来があり
古くは日本書紀に
「スサノオノミコトは乱暴が過ぎて“宇宙”を追い出されてしまった」
と出てくると
現存するレプリカ日本書紀の訳本に書かれているし
太平記にも、人形浄瑠璃にも“宇宙”が登場する(らしい)。

明治時代に西洋文明が入ってきた時
小学校の博物学(と訳される科目)の掛図は
フランス語を翻訳して使っていたモノもあり
そこにはコペルニクスの業績を紹介した一説があったという。
「天體系統トハ“宇宙”を聚成スル天體ノ總稱ニシテ、其真ノ法則ヲ發明セシハ、普魯士の星學士歌白尼ナリ」
明治期の小学生は、掛図にかかれたこうした文言で
「プロシア(現在のポーランド)の天文学者コペルニクスは……」
と習っていたようだ。

さて、日本の義務教育で使われる和英辞典では
“宇宙”はUniverse・Cosmos・Spaceの3つの単語で分類されており
明確ではないが、どういうシチュエーションで使用するべし…
の様な指導要綱がある。
戦前には、禁止されていたとはいえ、英語を研究する人もいて
また、仕事上や様々で英語を使うことが国から許されていた人たちも含め
単語の翻訳が決まっていたのだが
“宇宙”はUniverseとSpaceの二つで分けられていたことから
cosmosが一番新しい単語ということになる様だ。

NASAはアメリカ航空『宇宙』局National Aeronautics and Space Administration
国際『宇宙』ステーションはISS(International Space Station)
Spaceはそもそも、大気圏外の“宇宙”という意味なので
こう使われているのだろう。

さて、ここでまた例の裏読み病が…。
「人類はSpaceに行ったことがないのではないか」
と思ったりすることがある。
「月面着陸も、宇宙飛行士が月を歩くも、まやかしなのではないだろうか…」
と思うこともあるのだ。

理由は様々あるが、腑に落ちないことが多すぎて…
(私が勉強不足なだけかもしれないので…意見には個人差があるということで、炎上攻撃はご容赦くださいませ)。

古代ギリシャのコスモポリタニズムに始まって、フリーメーソン、グローバリズム、と、単一世界国家の建設へ向かわせたいという歴史もあるのだろうが
そんな中、オリンピックもハリウッドもノーベル賞も多元的宇宙も
ガス抜きの大衆操作の一環かもと思ったりする。

「宗教だけでは民衆を縛れなくなったからなぁ」
なんて過激な思いも浮かんでくる。

歴史の流れに抗ったところで、宗教=祭=政=奉は続くのだろう。
まあ、結局、使う側より作る側が強いのは、世の倣いであることは変えられず。

それでも“ゴマメの歯ぎしり”よろしく
「それってホントにその通りなの?」
という思いを持ち続けることで
無用に踊らされることなく生きたいと思ってしまう。

世界観や政治観では、病的なまでに裏読みをする私も
こと芸能界の話やSNSの記事などには簡単に踊らされることがある。

そちらの裏は嫌ってくらい知っている親友に
「ソコは踊るんかぁ~い」
とツッコミまくられる日々である。

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