パリのマダムの・・・ volume47

『ある統治論』

こんなニュースが目についた。
ご参考:https://jp.sputniknews.com/japan/202108168624782/
    https://jp.sputniknews.com/life/202108208638841/
    https://jp.sputniknews.com/opinion/202108238642423/
    https://jp.sputniknews.com/life/202109038669435/

コロナの含みを感じる微妙な報道だが、日本がロシアと今だ講和条約が締結できないのは、西側の戦略もあると思うが、国内的に消化できていない部分も大きいのだろう。
       
時をほぼ同じくして、日テレ皇室コラムに「昭和天皇とマッカーサー」の記事があった。
ご参考:https://www.news24.jp/articles/2021/09/07/07935836.html
    https://www.news24.jp/articles/2021/09/07/07935837.html

歴史資料を隠蔽せず、過去を正しく学ぶ事はとても大切だと考える。ただ、書き手の論拠や解説によって、読み手がどう受け取るかは別問題。同じ物を見たり聞いたりしても印象や理解が異なるのが常だ。渦中にあって、何が正解という決断を下すに非常なる勇気が要ると思うし、それを「後出しジャンケン」的に批判するのはあまりに勝手な気もする。

数ヶ月前にNetflixで観た“TOKYO TRIAL”を思い出した。これは、2016年にNHKとの共同制作で、NHKスペシャルでも放送された”東京裁判”を扱った連続ドラマである。
ご参考: https://www.netflix.com/fr-en/title/80091880

東京裁判を巡る大きな視点は2点あると思う。天皇の戦争責任の可否が一つ。もう一つ
は、南京事件と731部隊の問題。これが表裏一体で、大きく表面化しない事が前提にあっ
たようだ。無条件降伏が流布されたのも、アメリカの国益に絡む戦略だったのだろう。
だからこそ、上に取り上げたソ連外交文書に見るように、ソ連側の主張は無視された。

「平和に対する罪(A級)」と「人道に対する罪(C級)」が問われることになったのだが、この裁判がおかしいのは、それまでになかった法律を作って、過去に遡って適用し罰する事後法だった事。法律不遡及の原則を破って裁く、という前代未聞の出来レースだった。
ご参考:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65850
    https://www.cyzo.com/2019/08/post_211932_entry.html

裁判で東條は「日本臣民は天皇の命令に従わないということは考えられない」という趣旨
の話をしたが、米国側には極めて都合の悪い内容だった。原爆に触れる事がタブーだった
ように、マッカーサーは、天皇訴追回避、東條以下“陸軍”の責任を重く問う意向だった。
ご参考:https://news.yahoo.co.jp/byline/dragoner/20140307-00033292/

その背景の中、天皇を象徴とし、日本軍の武装放棄を確実にする新憲法が準備されてい
た。日本国憲法は、平和憲法と言われるが、東條英機らA級戦犯-(平和に対する罪)は、“日米双方にとって”都合の良いスケープゴートになった。

起訴状の提出は、1946年4月29日という、昭和天皇の誕生日に行われた。東條英樹らA級戦犯の絞首刑執行は、1948年12月23日という、明仁皇太子(上皇)の誕生日だった。これらが意図的でないとは誰も言えないだろう。

戦後、昭和天皇は、民に寄り添う全国巡幸を行なった。それは熱狂を持って迎えられ、ファンレターを書き送った人々も大勢いた。昭和天皇こそ、最も憎まれても不思議はなかった天皇でありながら、最も尊ばれた天皇でもあったと思う。
ご参考:https://webronza.asahi.com/culture/column.html?id=昭和天皇とダブルファンタジー

世代も変わり、日本人でもかなりの人々がもはや過去の問題として考えもしなくなっているが、当時“Hirohito”は、ファッシストのムッソリーニ、ナチのヒットラーと同じ扱いだった。同盟国だったのだから、と言えばそれまでだが、なぜ“Hirohito”だけが生かされたか、については、漠然と「天皇だから」というのが世界的な見解だろう。

世界中の兵士も家族も皆、戦争が終わって安堵し、普通の生活に戻った喜びで、上の者たちの責任やら何やら、そんなことに構っている状況ではなかったと思う。今と違ってSNSもなければ、報道規制もあったと思うが、連合国側の戦争犯罪は、全て不問にされた。

方や、東京大空襲(昭和20年3月10日)は無差別の夜間爆撃で、10万人の老若男女が殺され、広島・長崎への原爆投下は、軍事工場や軍港を狙ったものではなく、“Innocent people無辜の民”の大虐殺だった。

東京大空襲の被害を受けなかった場所を見ると、意図的に残されたと感じるものもある。皇居、丸の内、明治神宮、東宮御所、オークラ、青山霊園、赤十字、増上寺、東大赤門、上野、護国寺、巣鴨刑務所、早稲田、参謀本部、新宿御苑……
ご参考:https://tokyo-sensai.net

戦争には、常に“Scrap and build”の側面がある。未来に向かうに“人身御供”は避けられないことなのか……倫理の問題は、法ではなく、哲学的な道理が求められるように思う。

実家のお墓が護国寺にあり、軍医として戦死した祖父以来の家族が眠っている。どうい
う経緯で、護国寺に墓地が買えたのか知らないが、祖父の兄弟揃って3つの墓が並ぶ。
葬式や墓参りに出かけると本堂にもお参りするし、東京在住時、初詣は護国寺と決めて、
行く度にお守りやおみくじを買っていたが、“護国”という言葉がいつも気になる。

護国寺に行くと、池袋に出て食事をしたり買い物をすることが度々あるが、その経路に
サンシャイン60というビルが建っている。巣鴨刑務所の跡地に建っていて、60という数字は、戦犯で死刑になった人の数というのはかなり後で知った。近所の東池袋中央公園に、処刑場があって、慰霊碑が建っているそうだが、そこにはまだ行ったがない。
ご参考:https://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-3kuboyama.htm

一方、靖国神社で結婚式を上げた親戚もいた。そんなこともなければ、母を送って内殿に上がることもなかったと思うが、親戚筋は福島や宮城の出身で長州閥ではない。相手方にご縁があったか、今となっては聞く機会も逸したが、亡き先祖が先の戦争に関連してのことかもしれない。そんなことを思いながら“靖國”という言葉もいつも何か引っかかる。

靖國神社が騒ぎになるのはやはり8月15日の終戦記念日だ。総理大臣の参拝云々で話題になるし、何よりA級戦犯が合祀された昭和50年を最後に、天皇は参拝されていない。その理由には、殉国者とか英霊などと、戦争が終わってから“尊い命”と言って“祭神”に奉ることへの諫めがあるような気もする。皇族とて一枚岩ではないはずだが、天皇を盾に極右翼的な方向に走ってはいけないと、天皇自ら、諭したのかもしれない。

思えば、1936年(昭和11年)2月26日、陸軍の青年将校による“昭和維新”未遂事件が起きた。事件後、陸軍内で皇道派を一掃し実権を握った統制派は強行路線をひた走り、亡国の戦争に行き着いた、という経緯がある。

戦争当時の政府広報や通達には???となるものがいくつもある。あのまま戦争が続けられたなら、一億総“特攻”の“玉砕”政策で本土決戦へ突き進んでいたであろう。イスラムの自爆テロが“Kamikaze(神風)”と呼ばれることを日本人としてどう思っているのか……
ご参考:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52580
    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54545
    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54614?imp=0

ナショナリズムとグローバリズムのバランス感覚が政治の鍵を握ると思うが、国連とか欧州議会とか、「私たちは世界のために政策を考えていますよ」的な、一見すると良さげに見えるのが曲者のような気もする。皆、プロパガンダに纏わされて、本質を忘れている。

なぜなら、國體は、言語や信仰や文化や習慣や伝統など、様々な要素を与したものこそが、本物のはず。それを無視した“第三者”が、経済活動を中心に据えて官僚主導で支配
しようとするのが間違いではないのか。

偉そうに言えば、世界の統治に体質改善が必要な時が来ていると思うが、情勢を見ていて良い方向に向かっていると感じられないのが辛い。なぜが浮かぶ「国破れて山河あり」

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