パリのマダムの・・・ volume79

『イタチ(鼬)ごっこ、ネズミ(鼠)ごっこ』

私は「謎多き賢人、聖徳太子」と同じ2月7日生まれ。

そんなこともあってか
親友は私を“北の賢人”といって(岩手の出身なもので…)
聖書よろしくあれこれ話をするので
この「誕生日、誰と同じ」「出身地どこ」の話を何度でも強調したくなる。

だからって「=賢い」にはならないのは承知の上で
尚、その高みにあやかろうと自らを思い込ませるのは
ポジティブエネルギーを働かせるのに案外有効なんじゃないかという気がします。

さて「今日は何の日?」で言えば
福井県の「ふるさとの日」
1881年の2月7日に
石川県・滋賀県から越前・若狭を分離して、福井県が設置された日。

な、な、何と前出の親友は福井県出身
またも繋がった!
と内心ウキウキ。

同じ2月7日でもこちらはウキウキとはいかない
「北方領土の日」

この日、日本ではよく右翼の街宣車を見かけました。
55デシベルぎりぎりまでの音で
「北方領土を返せぇぇ!!」
「歯舞、色丹、国後、択捉は日本の国土だぁぁぁっ!!」
と正に街宣していました。

ロシアと日本の領土問題の発端については諸説あるものの
ロシアが毛皮事業の拡大でシベリアやカムチャツカに遠征し
日本は漂流民と蝦夷地探検で北方進出を図る中で
やり取りが生まれたという説が濃厚だと私は思います。

ロシアは日本を食料補給地と考え
他方、日本人漂流民の送還事業と合わせて
極東市場の開拓に乗り出したとも言われています。

ロシアがついぞ北米大陸へ渡ったのも、毛皮猟のためという説もあります。

ところで、16世紀に、フランスの探検家ジャック・カルティエが
「中国への道」を探してたどり着いたのはカナダで
実際、セントローレンス川の行く手を阻む急流を
Rapides de Lachine『ラシーヌ(中国)瀬』と名付けました。

金銀財宝は見つかりませんでしたが
持ち帰った毛皮が、思いがけず大ヒットで
ヨーロッパでビーバーの毛皮を使ったフェルト帽子が流行しました。

日本では、時代は少し遡り、長屋王邸宅跡から出土した木簡や
『東大寺献物帳』や『正倉院宝物一覧』などにもある様に
嵯峨天皇(786-842)の時代には、毛皮は舶来品として輸入されていた様子。

その詳細は後世、史学者らによって
今でいう「テン」や「トラ」であったと解読されています。

ウィキペディア情報ではありますが
『平安時代には貴族の間で毛皮が流行し、富裕な人々が防寒着として着用していた』

その時代を舞台にした軍記物語である「平家物語」にも
トラの毛皮が幾度と登場することから
平安時代には裕福な人々の間で既に毛皮が使われていた
と考えても差し支えなかろうと思います。

紫式部は、源氏物語で
「末摘花」に黒貂之裘(くろてんのきゅう=黒テンの皮の衣)を着せ
内衣には色褪せた袿(うちき)を着せる対比で
没落と栄華を表すという素晴らしい筆をふるったと解されています。

また、清少納言の随筆『枕草子』の中でも
“むさくるしいモノ”の代表として毛皮が挙げられたりしているのを読むと
案外、毛皮は、平安時代には一部ではあるものの
よくよく認識された存在だったのかもしれないとも思えてきます。

話を戻して
南方では、茶やコーヒー、綿花などが植民地物産として流通
北方では、露英仏米の毛皮業者による開発競争が大きくなり
いずれも、陸上事業から海洋事業へとどんどん拡大し
貿易のネットワークがグローバルに構築されていくのに伴い
領土分割や国際関係に大きな影響力を及ぼしていったに違いありません。

一方、列強による新領域進出の背後には
日本のアイヌ、北米のイヌイットなど、「先住民」との問題もあったでしょうし
植民地開拓には、統治と労働力の確保に「移民」が必要になりました。

日本人の女性同士は
国籍や血統、祖国などについての談義はあまりしない様ですが
私と親友は、好んで(?!)この手の談義を交わしている。

そして、気づく。その手の話は、そこそこ以上にデリケートな問題で
人によっても考え方が大きく違うのは確かだと。親友同士ですらそうなのだ。
赤の他人や他国の政治家同士ときたら…想像するだけで不協和音に耳が痛くなりそう。

そこに、領土や領地問題が絡んでくると事はさらに別の局面を生むのは必至。

で、北方領土だが、外交青書によれば
北方領土の島民の中にしめるウクライナからの移民の割合はかなりの数に上るとのこと。
正に今、ロシアとウクライナの状況をみながら北方領土問題を考えると
日本の国際的立場もわかるのですが
ウクライナ一辺倒になっていることに矛盾を感じずにはいられない。

何より、北方領土問題の裏には、プロジェクトHula(フラダンスのフラ)という
米ソ合同の極秘作戦がありました。
もちろん、元凶はヤルタ会談です。

元海軍陸軍少尉、リチャード・A・ラッセルという方が、
この極秘作戦について米海軍歴史センターから本を出版しています。

対日参戦に備え、ソ連は、米国からの軍事支援を受け
その4ヶ月後に千島列島に上陸し、北方4島占拠したのです。

この時F・ローズベルト大統領によって適用されたのが
1941年3月11日に成立していたレンドリース法(武器貸与法)でしたが
2022年5月9日、第二次世界大戦終結の日に、今度はバイデン大統領が
再びレンドリース法を復活させ、実施されました。

いずれも、軍需産業を中心とするアメリカ経済にとってとても重要な意味を持つ。
一方、今のウクライナやパレスチナしかり、翻弄される人々にとっては死活問題なわけで
言葉を選ばずに表現するならば、先住民と移民が、何なら兵士も?!
正に資源・物資・資材になってしまう悲劇が生まれます。

結局は、対立構図を作ることで、商売のネットワークの構築だったり
利権のすげ替えだったりで、潤う人々がいる。
政治的には、清濁合わせ飲む側面が見えてきます。

戦略といえば聞こえは良いが
これは明らかに、どちら側かに都合の良い工作であり
所を変え、品を変え、の様相は、比喩としてはかなり古い言葉だが
「ボードゲームの千日手のようなもの」にしか見えない。

しかも地位や権力を手にしてしまった人々が飽きもせずにソレを繰り返す…

これをして、イタチごっこみたいだと思いながら
しかし、事は子供の遊びではないから、可愛げは全くない。

真の”賢人”の登場を願って止まないが
そんな人どこにいるんだろ……

*ご参考までに、歴史や近年の流れについては、以下、外務省内閣府のページへどうぞ

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