パリのマダムの・・・ volume76

『気象は操作できるのか?』

表題の答えは「出来る」
一択である。

太古の昔、雨は神からの贈り物だった。
雨乞いや祈雨(キウ)は、巫女や祈祷師の領域であり
その儀式や踊りは民俗行事として、今なお、受け継がれている。
地方の伝承芸能など、由来を紐解くと、空模様に関係する話のなんと多いことよ。

日本では、祈雨といえば晴天祈願の“てるてる坊主”が人々の日常に広まっている。
今ではこんな(どんな?!)私も、幼き頃には
「明日天気になぁーれ」と(可愛く)言いながら
手作りてるてる坊主を軒先にぶら下げて、明日の晴れを祈ったものだ。
とても懐かしい気持ちになった。

さて昨今、その神の領域であるはずの空模様に対して
【気候変動対策】と称する技術が世界中で試されている。

バチが当たらぬ訳がない
と思ってしまう…のは、考え方が古いのか…
でも、現実に、世界各地で気象に関わる
あらぬ被害が多発しているではないですか。

おかしな動きをする台風やハリケーン、メディケーン
(いくら学んでもこれらの違いに納得感が薄い私…故、専門家のご意見を文末に※1
おかしな威力の暴風、あり得ない量の洪水
毎回「これまでにない」が上書きされる天気予報。

想像を絶する量の雨を降らせる『線状降水帯』に至っては
もはや皆さま、何の疑問も持たず、受け入れてしまっている感あり。
『ゲリラ豪雨』なんていう物騒な命名にも馴染みすら覚える今日この頃。

自分の知らない分野や、深く興味を持たない分野の用語は
「そう呼ぶのかぁ」「そんな振舞をするんだぁ」
などとつい聞き流してしまうことが多い。

専門家ではないのに、至らぬ知識で強く主張をするといらぬ軋轢が生まれ
「それこそSNSの返り討ちに合うのが関の山…」
と親友が心配してくれる。

とはいえご存知、私は生来の天邪鬼!
日々、各所へ茶々を入れてナンボなエッセイを書いているわけで
ここでもやはり本領発揮といきたい。

写真は、乗っていた高速バスの窓から撮ったもの(2018年8月撮影)

もくもく雲の先端から、まるで何かが出ているような……
ねっ、ちょっと、否、だいぶ、怪しいと思いません?

世界はありとあらゆる怪しいモノに囲まれていると思えてならないから
コレもアレも操作されている
と、思い込む沼に自らハマっていく。

さあさ皆様、お立ち合い、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。
気象操作の話をしましょう。
信じるも信じないもあなた次第です
が…、ソレは物理化学的に
可能です!

そもそも“気象操作”と言うから
「すわ!怪しい」
と感情的になるのであって
“人工降雨”システムの実用化と言えば
これまた急に、背中に大義を背負うからアラ不思議。

「北京(夏季)オリンピック」
天気予報では雷雨だった北京の空を雲一つ無い様子にしたサイエンスを
目の当たりにしたのは15年前!

時を同じくして、日本各所でも“人工降雨”実験は行われていました。

人工的に雨を降らせるこの技術は
Cloud Seedingクラウドシーディング
「気象種まき」
と呼ばれる技術で
1946年、アメリカのゼネラルエレクトリック社の化学者らによって発見されたという。

フランスでも、かなり昔から実用化されているようで
ワインの製造に欠かせない葡萄が雹(ヒョウ)でも降って台無しになっては泣くに泣けないと
雹を雨に変えるシステムを導入しているとか…

それがどんなシステムなのか、ホントのところはわかりませんが…
コレが気象操作であることだけは真実ですよね
雹が雨に人工的に変えられているのだから。

様々な研究、開発や実験を繰り返し、今の形になった“人工降雨”のシステムを
とても分かり易く説明してくださっているHPのアドレスを文末に ※2

しかし、この人工降雨のシステム
ドライアイス、塩の他、ヨウ化銀や液体窒素などの化学物質が撒かれるわけだから
悪用すれば、知らぬ間に「気象兵器」となってしまう可能性はゼロではない。

一方、的確、適正に操作されるなら
水不足や干ばつ被害への対策、山火事消火、猛暑の抑制、農作物への被害を減らす等
多岐に亘って安全、安心に利用できるわけで
マイナス面ばかりではないとも思える。

事実、ムーンショット目標として気象操作の実験や研究を行なっていることは
内閣府のHPにも掲載されている。※3

いずれにしても、全ての創造物には、必ず、汚物やゴミ処理の問題が発生する。
しかし、そこにはそれ故の新たなビジネスも生まれる。
ビジネスが成立するからこそ、開発や改善が行われるわけだが……

忘れてならないのは、人間自体が物理化学的な素性で創られていること。
だからこそ、電磁波の影響を直に受けるのだし
化学物質に溢れた日常生活で、目に見えぬ汚染によって、要らぬ病気も罹ってしまう。

科学技術の進歩は、地球に生きる生物・植物にとって
プラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともある。

しかも後々、生物にしろ、自然にしろ、どのような被害を及ぼすかは
想像や予想はできても、確定的に言うことは不可能に近いだろう。

まして、これだけの矛盾やフェイクの溢れる時代は、これまでにない。
『自身ではない何かに操作されることなく生きていく』なんて
果たして可能なのだろうか?

神が創造したモノの中で、最も高等なのは人間かもしれないが
(本当にそうだろうか、という疑問は常に付きまとう)
良し悪し別に、この人間というモノは確信的な頭脳犯になってきている。

馬鹿と鋏だけではない、頭も心も使いようのはず…
Lassez-faireレッセフェール(成すに任せよ)の自由主義で良いはずがない。
儲かれば良いという発想ではなく、その上を行く心得と知恵があって欲しい。

世の中は、決して理想論だけでは成り立たないのはわかっているけれど
『宗教原理以前に、倫理や道徳というものが大事』だと皆が認める社会であってほしい。
それこそが世界の大義なのではないだろうか。

※1 https://www.dpac.dpri.kyoto-u.ac.jp/2023/09/16/medicane.html

※2 https://www.tdk.com/ja/tech-mag/knowledge/101

※3 https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/sub8.html

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