パリのマダムの・・・ volume6

『ここはベルサイユじゃない?!』

「そう、ここはパリだもの」……では、答えにならない。

実はこれ、フランス特有の表現で、もはやフランス家庭では常套句、
付けっ放しの電気に、イラついた親が、子供に怒鳴りつける、という場面で使われる。

我が愛する夫も、こと、電気のつけっ放しには、うるさい。
娘も私も、 ”C’est pas Versailles ici !” (セ パ ヴェルサイユ イスィ)
と、よく怒られている。

そもそも、白熱電灯から、LEDに変えて、消費電力はずっと少なくなっているのだから、少々のことでは大差ない、と思うのだが、私よりうーんと若い夫なのに、まるで昔の世代のように、「電気はつけっぱなしにすると電気代が高くつく」と言う頭がある。

ご存知、ベルサイユ宮殿は、太陽王ルイ14世が、1661年、「有史以来、最も大きく、
最も豪華な宮殿を!」との一言で建設が始まった。続く、ルイ15世、断頭台に消えた
ルイ16世までが、過ごした王宮で、部屋数2300、630000平米の大きさを誇る。

1789年のフランス革命によって王政が廃止されると、ベルサイユ宮殿は、権力の中枢
としての役割を終え、その後ナポレオンによる修復を経て、王政復古で王位に就いた
ルイ・フィリップ王によって歴史博物館に生まれ変わった。

ところで、ルイ16世が処刑されたのは、1793年の1月21日。
1815年来、毎年この日は、レクイエムのミサが各地のカトリック教会で開かれ、王族や
爵位を持った貴族の末裔たち『王党派』が集結。一方、ジャーナリスト、作家、哲学者等共和主義者たちも、市民が自由を勝ち取った「フランス革命」に思いを馳せ、フランスの伝統料理で、王党派を意味する隠語たる「Tete de Veau(子牛の頭)」の煮込みを食す、というから、いかにもフランスらしい。

日本では、ベルサイユが身近になった時代がある。

ある一定以上の年齢の方々はよくご存知、池田理代子さんの漫画作品「ベルばら」の
影響。史実を基に、男装の麗人オスカルとフランス王妃マリー・アントワネットらの
人生を描いたもので、宝塚歌劇団でも演じられてきた。
強烈なインパクトを放つ少女漫画だったが、世界中で翻訳され、フランスでも、Lady
Osacar やRose de Versaillesと呼ばれ、日本を代表するMangaとして知られている。

おかげで、フランスに来たら、そのゆかりの地ベルサイユは必ず行く、と言うほどで、
混み合うことなど何のその、聖地巡礼のごとくファンなら必見の場所となっている。

さて、日本語で「鏡の回廊」と呼ばれるギャラリーは、
宮殿の中でも最も壮麗な空間だ。
73mもの大回廊の壁一面に、当時非常に高価だった鏡が357枚も張り込まれ、3列のシャンデリア、32の燭台, 150ものロウソク(現在は電灯)がついて、人工的な明るさを誇っている。

王族の結婚式の際の舞踏会場など祝典の舞台となり、1919年には第一次世界大戦を集結させたベルサイユ条約調印の場所にもなった。豪華絢爛なこの回廊は、フランス王室の
栄光をヨーロッパ中に鳴り響かせ、ヨーロッパの王侯貴族の憧れの的になった。

蛇足ながら、特権階級?から一挙に脱落した、昨今話題のカルロス・ゴーン被告。
ルノー社がベルサイユ宮殿と結んでいた文化振興スポンサー契約を利用し、アライアンス15周年記念式典を自分の誕生日に開催したり、再婚の祝宴パーティを開いたり、と言う
ことも話題になった。政治的失脚の裏は知る由もないが、どこか皮肉めいている。

で、話を戻して、先の表現「ここはベルサイユではない」の意味するところは、
『その電気代を支払う立場にない、特権階級の贅沢、を物語る』というわけだ。

翻って、家では、家長たる父親、母親が電気代を支払う義務があり、つけたい時にスイッチを押すだけの気軽さしか持ち合わせない子供達は、いわゆる特権を享受しながら、そのありがたさを噛みしめる立場にない、という現実があって、この表現がぴったりする。

昨今、日本も含め世界中で、電力会社が独占していた市場が解放され、電気事業が自由化、様々な企業が電力供給市場に乗り出し、消費者獲得に躍起になっている。
そんな中フランスでは、Total Direct Energieという石油会社がこれでTV広告を作った。

消費電力に注意喚起するキャンペーンを張ったものだが、論争大好きフランスでは、
様々な意見がツィートされ、中でもヴェルサイユ市長が反論。
「このCMの前に、ベルサイユ市に対して予め一切話がなかった。ベルサイユでは、
むしろ消費電力にも注意し、エコロジーに再三の努力を払っている」としている。
政治的に黙っている立場になかった、ということだろう。

さて、きらびやかで豪華な宮殿と少々ケチケチ?消費電力に敏感なフランス人家庭を
知っていただいたところで、ここからは、明かりに纏わる話をしようと思う。

外国を旅行すると、室内が暗く感じることが多いと思う。
日本と違って、間接照明が多く、部屋全体、あるいは、家全体を明るくしておく習慣が
ない。レストランも、ディナーはテーブルにキャンドル照明だったりする。

室内と書いたが、外もしかり。道路事情、明かりのインフラも習慣の違いを感じる。
高速道路はさておき、一般道、特に田舎道は外灯が乏しく、あっても光が弱く、
よく見えない。

夫と外国で生活するようになって数十年たつが、何かが違う、と
気づいた。そもそも「目」が違うのだ。

夫は遠視だから、眼球の直径が普通の人より小さいので、光の刺激を受けやすい。
しかも、虹彩が伸び縮みをして、光の量を調節するので、外国人、特に、白人系は、遠視で、虹彩の問題があって、眩しさに弱い。
 

茶緑色目の夫でさえそうなのだから、青い目はもっと大変なのだ。
メラニン色素が少ない分、光を通しやすくなってしまうわけだ。

昼間のオフィスなど、職場では、活動するところなので、欧米でも白熱電灯系を使って
いるところがほとんどだが、家はもとより、レストランなど、リラックスするところ
では、ムーディなライトでないと落ち着かない、というのが外国の文化だ。

この点、面白いことに、壁の色に対する感覚も変わるようで、日本だと、オフィスはもと
より、家庭でも、白ないし淡色の壁や壁紙が多く使われるが、外国では、はっきりとした色合いが好まれたりする、という具合だ。

昨年、パリのアパルトマンの内装工事をした。廊下の壁を、白から思い切って黒紫に変えたのだが、真っ暗で、天井のスポットライトをつけないと歩けなくなった。白があんなにも光を反射するものだったのか、と改めて知ってびっくりした。

昨今、日本ではカラーコンタクトレンズが流行しているが、レーザーで、瞳の色を変えてしまうという手術も出て来た。なんでも整形が叶う時代になっているが、外見で人生が
変わる、というのは一理あるようにも思う。

瞳の色や模様は世界に一つ、というわけで、最近では、入退場管理や携帯に虹彩認証
システムが導入されたりしている。

瞳を写真に写して拡大すると、結構、びっくりする。「瞳に吸い込まれるそう」という
表現があるが、まさにSFの世界だ。ぜひ、お試しあれ。

あっ、念のため、私はフリーメーソンではありません。

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