パリのマダムの・・・ volume42

『Mensonge 「嘘」』

フランスのTV番組で、Mensonge『嘘』について取り上げていたのが興味を引いた。
女性は1日に3回嘘をつくが、男性はその倍は嘘をつく、という。
それなりに言い得て妙という感じで笑えるが、

中には、ジャン・コクトーのように、
Une femme dort. Elle triomphe. Elle n’a plus à mentir. Elle est un mensonge des pieds à la tête…「女は眠る。女は勝つ。女はもはや嘘をつく必要もない。女は足の先から頭まで嘘そのものだ」と言うに及んでは、一体何があったの?とそっちが気になる。

何より、この世の中で、一度も嘘をついたことがない人なんているだろうか。古今東西、嘘にまつわる表現がたくさんあることこそ、人間社会において嘘が日常茶飯事化していることの証明かもしれない。

フランスには、”La fin justifie les moyens”「行き着く目的のためには手段を選ばず」という表現がある。所謂”嘘も方便”というわけだが、アルベール・カミュは「じゃあ、その目的を正当化するのは一体誰なんだ?」と問いかける。これはもっともな視点だ。

また、”mentir comme on respire”「呼吸するように嘘をつく」というのは困ったもんだが、“raconter des salades”「ホラを吹く、デタラメを言う」というのもある。これは、どんな野菜でも適当に入れれば”サラダ”になるから、という如何にもフランス的な表現。

番組では、子供たちを偽の嘘発見機にかけて実験を試みたルポがあった。質問に対して、応える度にブザーがなるので、終いには、聞かれてもいないことまで”正直に”答えると言う具合で、大人にとっては苦笑が起きていた。

幼い子供が嘘をつく行為には、可愛い側面もある。例えば、口の周りにチョコレートがついているのに、食べていない、と目をキラキラさせる。子供が嘘をつくのは、自由の享受であり、嘘をつくことで、ある種の喜びや征服感が生まれるらしい。何より、想像力の発達になるので、ある程度は容認するのが良いと言っていた。

一方、大人は子供に対して、「嘘をつくことは絶対にいけない。正直であれ」と言うが、大人たちは、平気で嘘をつくのだから、実際には、始末が悪い。

カトリック信徒は教会で”告白(懺悔)”をして、罪の赦しを請う。もちろん、聞く側の司祭は秘密厳守の立場だが、笑える話は山とあるようで、告白をネタにした本も出回っている。例えば、夫婦個々に浮気を懺悔。お互いに平然と浮気をしていた、というわけだが、そんな話はいくらでもある。何だか、性に対する根本的な問題提起ではないのかと思う。

Netflixで、女優だったメーガン妃の出世作という”The Suits”を観た。
役どころの弁護士らが、嘘をついたことの心理的苦痛を、司祭やラビへの告白ではなく、精神科医を相手に訴える場面が多々出てくる。神が絶対であるからこそ、そこは別次元であって、日常のことは科学が解く、のが現代アメリカ社会なのだろう。

恋人同士でも一旦嘘はつくのだが、その嘘に苛まれ、結局自白する場面もよくある。どこまでピューリタンなのだ、と思うが、その後にどんなに苦々しい時間が訪れようと、嘘をつく罪の方が重く、結果として罰をして受け止めなければならない、と言う考え方が根強いように感じる。ただ、その反対側には、”赦し”を受け入れる懐の深さも試される。

しかし、仕事や利害関係が絡むと、平気で嘘をつくし、裁判沙汰も、結局は論理の展開、解釈こそが大事となって、それ故に、弁護士の力量が相当のウエイトを持って社会に関わると言うカラクリになっている。正に”噓も方便”な社会なのだと感じる。

フランスの番組に話を戻すが、嘘をつく人の挙動についての話が出てきた。例えば、嘘をついている人が目をそらすかどうか、という問題。こうした分析ポイントは、あくまで一つの側面であって100%確実とは言えないという。つまり、嘘の常習犯にとっては、しっかり相手の目を見て話すことなど何の努力も要らずにできてしまうから。
ご参考:https://www.businessinsider.jp/post-166512

SNSの発達で見られるのは、自分の虚栄心や見栄のために、容姿含めて、嘘をつく人も多いという現象。その達成感には毒素も含み、嘘をつくことが習慣化してしまう。終いには仮想幻想化したり、病理的嘘に発展して、”Mytomane虚言癖”になってしまったりする。

ところで、何と言っても”国益のために?!” 狡猾に嘘をつかねばならないのが政治家だろう。フランスの哲学者ヴォルテールが、次のような言葉を残している。
La politique est-elle autre chose que l’art de mentir à propos ?
『政治とは、嘘をつく以外の術があるだろうか』
ご参考:https://www.uplink.co.jp/allgovernmentslie/
https://ifi.u-tokyo.ac.jp/news/7980/

イギリスの作家Henry Wottonは、
“An ambassador is an honest gentleman sent to lie abroad for the good of his country.” 大使とは、国のために嘘をつくことを使命とする正直な人である。

ふと思い出したのが、都知事の学歴詐欺疑惑。正に、エジプト”大使館”が声明文を出して
いた。暴露本が出るとか、献金問題で騒がれるとか、小池女史下ろしを願う敵対的グルー
プの謀略?! これ見よがしの女性抜擢も抵抗あるが、政界も財界も男性社会の根は深い。
ご参考:https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20200606-00182101/

元より世界中の首相や大統領の座を巡っては、国境を越えた利害の争いがあって、黒幕もいるだろうし、とてつもないお金も動くだろう。IMF会長で大統領候補の噂もあったドミニク・ストロス=カーンの政治的失脚も記憶に残るが、今年3月には、サルコジ大統領が汚職で実刑判決を受けた。殺されるよりはマシだろうが、政治はヤクザな世界だと思う。
ご参考:https://www.afpbb.com/articles/-/3334303

さて、嘘にはカラーがある。まず浮かぶのは、”真っ赤な嘘”だと思うが、意味は明らかな嘘。でもそのイメージは人によって罪深さが違う気もする。white lie白い嘘は、お世辞も含めた罪のない嘘。黒い嘘となると、無神経で自己中な嘘。では、その中間のグレーな嘘は? 動機は善意かもしれないが、結果は害のバランスで変わる。

そういう意味では、私的な見解だが、昨今益々、グレーなイメージがつきまとう出来事が起きている。コロナもワクチンも歪曲があるように思える。地球温暖化も人為説が信じられない。何かおかしい。元より、生物・化学兵器、気象・地震兵器も昔から存在する。様々な問題に専門家の意見も分かれて、一体何をどう信じろと言うのだろう。メディアを煽って、人々を恐怖に陥れる”真偽”は終わりが見えない。これも戦争なのだろう。

そんな中、フランスでは、国民全員がワクチン接種へ向かうことになる大統領通達が出た。アクセスパスのシステムも施行され、近いうちに、ワクチン未接種者は映画館にもレストランにも行けず、TGVにも乗れなくなりそう……悲観的な世の中になった。

後先になったが、番組の初端で、ベートーヴェンもビックリの日本人「耳が聞こえない作曲家」”佐村河内守”が紹介され、笑いをとっていた。なんとなく覚えている人だったので、ついでに調べると、あれから7年、何とYou Tubeで新曲を公開していた……!!
ご参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/佐村河内守

嘘を”つく”は漢字で”吐く”と書くが、つい口から出てしまった感が出るのに対して、”騙す”になると、同じ嘘でも確信犯的な印象になる。彼は後者なのだろうが、何となく憎めない感じもするのはなぜだろう。

何より人間には、自分とは似ても似つかぬ者、別人になりたい”名声欲”と言うものがある。
その上、”嘘”でも”箔が付く”ことを求める社会の方にも、問題はあるのかもしれない。

日本には「うそ替え神事」なるものがあるそうな。神頼みで救われるって、どこか呑気な
感じもして笑える。やっぱり日本人の多くはお人好しなのかもね。
ご参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/鷽替え

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