パリのマダムの・・・ volume37

『Carré Hermès ”Napoléon”』

没後200周年(1769年8月15日-1821年5月5日) ということで、パリを中心にフランス各地で、ナポレオン展が開催される。様々な関連物品で、オークションも賑わっている。
ご参考:https://expo-napoleon.fr
    https://fondationnapoleon.org/activites-et-services/histoire/2021-annee-napoleon/2021-annee-napoleon-calendrier-general-des-evenements/

ナポレオンは人気度1位だが、今の時代を反映して、奴隷制度復活や女性差別の側面で評価が分かれ、フランス政府は、あくまで”commémorer記念する”のであり”célébrer祝う”のではないとして、式典を遂行した。

そうだ、”ナポレオン”持ってた……写真のエルメス・スカーフ。
(スタンダードサイズ90×90cm、これがCarré四角形と呼ばれる理由)
何気に使っていたが、調べてみると、Phillipe Ledouxという人がデザインした1963年初版のヴィンテージ品だった。 OMG !

エルメスのスカーフは、メゾン生誕100周年を記念して、1937年から作られてきた。
創立者の息子Charles-Emileが現在本店のあるFaubourg-Saint-Honore24番地に店を移転した時、ビジネスの多様性を考慮し、19世紀に紳士のオシャレとして流行した首に巻くチーフから着想して、女性用のスカーフを作ることを思いついたという。

問題の”ナポレオン”は、パリの馴染みの宝飾屋さんでたまたま見つけたものだった。店の奥のケースに、ヴィンテージのアクセサリーと一緒に陳列されていた。見せてもらうと、ナポレオンの図柄だったので、ちょっと面白いと心が動いた。この色味は持っていないし、何より”ミツバチ”の織地が珍しい、と思って買った。

まずは、5つの絵だが、さすがにエルメスなので、”馬”が登場する(笑)。
左上は、有名なDavid作のイタリア遠征のサン・ベルナール峠越え(1800年5月)の騎馬像。
右上は、マレンゴの戦い(1800年6月13-14日
右下は、ラティスボン(レーゲンスブルグ)の戦い(1809年4月23日)で初めての負傷 
左下は、ヴァグラムの戦い(1809年7月5-6日)
中央は、戴冠式を行うノートルダム寺院に着いたところ
ご参考:https://sekainorekisi.com/glossary/ナポレオン戦争/

これらの絵が、まるで叙勲のように額縁されているが、ナポレオン自身は、1805−1810
の間にヨーロッパ各国から15個の勲章を授かっている。中央は、正にナポレオン本人が創
設したL’ordre national de la Légion d’honneurレジオン・ドヌール勲章の首飾り。
この勲章、軍人以外は自費?! なのだ。エピソードに事欠かないが、以下に詳しい。
ご参考:https://otium.blog.fc2.com/blog-entry-2637.html
    https://otium.blog.fc2.com/blog-entry-2638.html

中央の衣装は、右が軍服、左が文官服。この軍服は日本陸軍も参考にしたというが、ナポレオン・ジャケットと呼ばれるファッションもある。文官服は、ナポレオンがPremier Consul第一執政官として着用した。短剣は、エジプト遠征以来、身につけたものらしい。

お馴染みのナポレオン帽は、ビーバー毛皮で作ったフエルト製で、軍の正装である。
本来縦向きに被るところを横向きに着用、自分の居場所が遠くからでもわかるように?
その後ろは、戴冠式に用いられた”剣”で、Joyeuseという。クリスマスにJoyeux Noël、年末年始にJoyeuses fêtesと言い合うが、MerryとかHappyという意味。伝説ではシャルルマーニュが所持していたとされ、歴代のフランス国王の肖像画にも描かれてきた。

さて、ここからはシンボルについて。まずは”ワシ”。
“鷲”は聖書にもその力強さが描かれている。鷲の象徴は、バビロニアやエジプトの支配者の特性を表すものとして、王笏、軍旗、石碑などに用いられたが、古代から軍事的勝利と結びつき、ローマ帝国の国章にもなった。フランス王国カロリング朝でも使っていた。

ヨーロッパ人は、自らの歴史がローマ帝国から始まると捉えている。ローマの皇帝として初めてキリスト教を信仰した人物コンスタンティヌス1世以来、帝国統合のシステムとして宗教が利用されてきたが、これをCaesaropapism(Caesar+Pape)皇帝教皇主義という。
ご参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/皇帝教皇主義

ナポレオンは強い武将への憧憬、尊敬の念を持っていた。古代ギリシャのアレキサンダー大王、カルタゴのハンニバル将軍、ローマ帝国のジュリアス・シーザー……

ナポレオンは、1804年、国民投票で圧倒的多数により終身第一統領に選出されると、”フランス皇帝”となることを宣言。ローマではなく、パリのノートルダム寺院で、時のローマ教皇ピウス7世を招いて、戴冠式を行った。これは、宗教和約を計って、政教分離の原則を作り、なおかつカトリックを国民の大多数の宗教として認めた背景がある。

それまで”王冠”は、教皇から授かるものであったのを、ナポレオンは、自ら被って帝位に
就いたということで、神聖ローマ皇帝カール大帝(仏名シャルルマーニュ)をも凌駕することをアピール、フランス”帝政”の始まりを演出した。
フランス特有Gallicanisme(ガリアはフランスの古名)についても補足しておく。
ご参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/ガリカニスム

King王を殺して絶対王政を潰したフランス革命を経て、軍人だったナポレオンがEmperor
皇帝になった。天皇もエンペラーなので、日本人的には微妙にわかりにくいと思うが、
Emperorとは、宗教と軍事を支配する”君主”に対する一律の敬称だったのである。

明治維新後に列強入りした日本は、imperialism帝国主義の流れに乗って、西洋風の君主
制国民国家となった。20世紀二つの世界大戦を経て、世界中で共和制が一般化したが、
ヨーロッパでは、統治に重きを置くEmperor皇帝よりも血統を重要視するKing王が生き残った。Emperorと称される君主は、日本の”天皇”ただ一人となった。

次に、もう一つの重要なシンボル”ミツバチ”の話をする。
紀元前5000年から養蜂が行われていた記録もあるが、蜜蜂のメタファーとして、その社会は、王蜂(女王蜂とわかったのは17世紀らしい)を中心に、蜜を収集したり巣を作ったり、働き蜂が役割分担をしながら統率のとれた営みをする。そのイメージは、王と忠臣であり、不死と復活、ファラオの時代から聖職者や支配者が好んだものだった。
ご参考:http://blog.ac-versailles.fr/ddcassin95/public/abeilles_et_symboles.pdf

フランス王国の統一は、クロヴィス1世がキリスト教へ改宗した時から始まるとされるが、メロヴィング朝の開祖は、その父親ゲルマン系フランク王国のキルデリク1世。
1653年、ルイ14世のお抱え考古学者によってその墓が掘り起こされ、その棺には金と銀で”蜂”が描かれていた。

ミツバチはフリーメーソンもシンボルにした。ナポレオン本人がそうだったかどうかの証拠はないが、父親も兄弟も、ジョゼフィーヌも、多くの側近もフリーメーソンメンバー。
エジプト遠征自体、フランスのグラン・ロッジ、その名も”Grand Orient de France”が、費用を捻出し、他のロッジメンバーの啓蒙知識人たちも参加している。

一方、ナポレオンが、薔薇十字団という友愛結社のメンバーで、ヨーロッパ統一の使命を得ていた、という話もある。これも確証はない。ただ、ナポレオンのオリエント遠征は、エジプト十字軍と呼ぶ人もいる。その時代、地域は、オスマントルコの影響下にあった。

そして実際、ナポレオンは、エジプトからシリア方面にも遠征。パレスチナを占領して、アル・アクサーのモスクを破壊していた。どうやら、フランスのユダヤ人の植民地化を計り、ソロモンの神殿を再建し、地域を支配することを計画していたらしいのだ。つまり、影の勢力が藁をも掴む思いで託した人物がナポレオンだった?! 元祖シオニズム……?

ナポレオンはヨーロッパのユダヤ人のゲットーも解放している。ロスチャイルドが金融で力をつけるのも、ナポレオンの時代だ。ただし、シオニズム運動も一枚岩ではなく、ユダヤ人を一括りにはできない。ユダヤ世界こそ格差社会の典型のようなところがある。
ご参考:https://core.ac.uk/download/pdf/230548513.pdf

こうした歴史を辿っているうちに、私の頭によぎった出来事が……
パリのノートルダム寺院が火事になったのは記憶に新しいが、2年前の2019年4月15日。
この日エルサレムのアル・アクサー・モスクでも火災が起きていた。後者はあまり騒がれ
なかったので知らない人も多いと思うが、ニューズウィークはこんな記事を書いている。
ご参考:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/05/post-12150.php

単なる偶然?! 謎解きは今始まったばかり……

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