パリのマダムの・・・ volume27

『Auld Lang Syne』

タイトルを見て何語?と思った人もいるに違いないが、スコットランド民謡で、オールド・ラング・サインと読む。逐語訳ではOld Long Since、意訳ではTimes Gone Byで、日本語では「久しき昔」などと訳されている。

と言っても、全然ピンとこないかもしれない。実は『蛍の光』の元歌である。
今は昔?! 『蛍の光』は、『仰げば尊し』と並んで、卒業式の定番だった。

Edinburgh Military Tattoエジンバラ・ミリタリータトゥーというスコットランド最大の夏の祭典を一度観戦したが、観客含めて参加者全員で閉めにこれを歌った思い出がある。
もっとも私は、大勢に紛れて、日本語で『蛍の光』を歌った(笑) 。
ご参考:https://tabicoffret.com/article/77388/index.html

Auld Lang Syneは、賛美歌370番「目覚めよ、わか霊(たま)」としても知られる。
これが、海を越えてアメリカ大陸にも普及し、日本にはそのアメリカ経由で入ってきた。

日本では、明治維新後、西洋音楽教育が推進されたが、スコットランドの旋律は、日本の伝統音階と同じように、四七抜き(ファとシがない)で作られ、馴染みやすかったようだ。

原曲は4拍子だが、3拍子バージョン『別れのワルツ』の方が普通に耳にしているかもしれない。「終了を惜しむ」という理由で、各種式典の終了時間直前、来客に退出を促す目的で、デパートやパチンコ店など店舗の閉店時間直前に流される。

1940年 “Waterloo Bridge”というアメリカ映画で使われた。日本では『哀愁』という何とも叙情的な邦題がつけられた。主演のヴィヴィアン・リーとロバート・テイラーが曲に合わせて踊り、キャンドルが一つずつ消されていく……これが別れの曲として定着した。
ご参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/哀愁_(映画)

話が少々横に逸れるが、ウォータールー(仏語ワーテルロー)には面白い場所がある。
ロンドンにはアートな場所がたくさんあるが、テムズ川南岸のターミナル駅ウォータールーの高架下、最大のストリートアートを体感できる、特別なトンネルがあるのだ。
ご参考:https://www.excite.co.jp/news/article/ExnewsGotrip_110907/

実は、以前はここが国際列車ユーロスターの駅で、そのトンネルは利用客用のタクシーの連絡通路だった。2007年にSt Pancras International駅に移行したことから、利用されなくなったトンネルに目をつけたのが、バンクシーだった、というわけ。

アートギャラリーやイベントスペース、レストランやバーもある。観光客がSNS映えする
グラフィティの前でボースをとっていたり、有名無名アーティストたちが日々新たな作品を生み出している。

私たちも興味本位で出かけたことがある。その時は、視察と下見?という感じだったのが、私が東京に行っている時、ロンドンに遊びに行った夫は、娘を引き連れ、ついに、
自分のアート(落書き?)を描き、本望を叶えた。もっとも、夫自身がそうしたように、
自由に描いて良いスペースは、次から次へと、上描きされる運命にある。

ここで、『蛍の光』の歌詞について見てみよう。

1)蛍の光、窓の雪
書読む月日、重ねつつ
いつしか年も、過ぎの戸を、
明けてぞ、けさは、別れゆく

2)留まるも行くも、限りとて、
形見に思う、千萬(ちよろず)の
心の端(はし)を、一言に、
幸(さき)くと許(ばか)り、歌うなり

3)筑紫のきわみ、みちのおく
海山とおく、へだつとも
その真心は、へだてなく
一つに尽くせ、国のた

4)千島のおくも、沖縄も、
八洲(やしま)のうちの、守りなり
いたらんくにに、いさおしく
つとめよ、わがせ、つつがなく

1番は大方皆が知っていると思うが、「蛍雪の功」と言われる、苦学することを褒め称える中国の故事に由来している。2番は「幸あれ(どうかご無事で)」と歌い、3番は「お国のために尽くせ」だし、4番は日本の領土を意識させる。日清・日露戦争後、1875年の樺太・千島条約や1895年の下関条約で台湾を領有、『台湾の果ても樺太も』になっていく。

一方、お隣の韓国では、日本の侵略に対して独立を主張し、このメロディで愛国歌として「わが大韓万歳!」と歌ったという。そして、日本ではせいぜい2番までしか歌わないのに、台湾の淡江大学「日本語学科」の卒業式では4番までしっかり歌うそうだから驚く。

アメリカなど英語圏の伝統では、1年の締めくくり、年末のカウントダウンの定番で、新年を迎える曲。NHK「紅白歌合戦」でも『蛍の光』を最後に、「ゆく年くる年」だ。

新年のお祝いそのものは、紀元前のローマでも行われていたのが、キリスト教文化がヨーロッパに広がってからは、宗教的意味のない「1月1日を祝う」ことが「異教徒的である」とされ、禁じられていたという。

そのため、西洋文化圏では、1月1日に新年のお祝いをするのはかなり後になってから。
クリスマス休暇が終わると、お祭り気分は落ち着き、年末のカウントダウンが終わると、
仕事も学校も早々と、1月2日には通常通り始まる、という具合だ。

日本では、年末年始は休業になるので意識しないが、戦後、宮中祭祀の元始祭が廃止され本来元旦だけが祝日である。元々は大晦日から元旦にかけて氏神神社に籠る習慣があり、その『年籠り』が「除夜詣」と「元日詣」に分かれて、「元日詣」が初詣の由来となった。

「恵方詣」というのもある。陰陽道の「歳徳神」が在位する方角で、十干に従って毎年変わる。「恵方巻」の方が馴染みがあるかもだがその巻き寿司は、節分に恵方を向いて無言で食すると良いという。伝統や習慣は、つい”食い気”に走って、意味はどうでもよくなってしまうが、再認識するのも悪くない気がする。

話を戻す。Auld Lang Syneは、スコットランドでは非公式ながら準国歌だが、anthemアンセムといっても良いと思う。アンセムと言えば、聖歌、賛美歌だったのが、特定の集団を象徴する代表曲を指すようになり、クィーンの『伝説のチャンピオン』はスポーツ応援のアンセムだし、National anthemといえば国歌になる。

ちなみに、世界的にもよく知られる英国国歌 “God Save the Queen”(男性国王の場合は、God Save the King)だが、法律で定められているわけではないという。
ご参考:http://www.youtube.com/watch?v=fw8X9tiCU1U&index=1

1776年に独立を果たしたアメリカでは、『星条旗』が法制化される1931年まで、同メロディを使った”My Country, ’Tis of Thee” が事実上の国歌として定着していたという。
さらにドイツ帝国、プロイセン ではタイトルは “Hell Dir im Siegerkranz(皇帝陛下万歳)”だが、メロディは同じくイギリス国歌だったので、人気がイマイチだったとか。
また、ロシア帝国でも、1815-1833、タイトルこそ『神よツァーリ(君主)を譲り給え 』だが、メロディは英国国歌だったそうだ。

実はパリの自宅、固定電話機がユニオンジャック柄、着信音はイギリス国歌である(苦笑)。
結構好きな曲なので電話が鳴るのが楽しみだったりもするが、固定電話は一般的にどんどん使わなくなっているので、聴く機会はそうそうないのが少し残念でもある。

さて、年末も押し迫って、Brexit(EU離脱)の行方が気になる。グローバリゼーションへの政治的反動で、国家主権の問題が大きく関わっている。通商問題の解決の糸口が見つけられない中、コロナ禍が政治ツールとして使われている気がしてならない。そういう意味では、アメリカ大統領選もリンクしているのかも。

ところで、Auld Lang Syneの作詞はロバート・バーンズという詩人だが、アメリカ独立
戦争の精神に共感し、フリーメーソンに加入。友愛団体なればこその歌詞が垣間見える。
ご参考:http://www.youtube.com/watch?v=XPYXZCvc3ko

そう言えば今年1月、欧州議会でブレグジット承認時、議員たちはこの曲を大合唱した。
ん? EU統合思想もフリーメーソン……ロータリークラブ、スカウト運動など、メーソンの集会でも歌うらしいが、そうか、これ、メーソンのアンセムでもあったのだ。

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