パリのマダムの・・・ volume25

『“カトリネット”』

日本人なら、音からして『蚊取りネット?!』とか、想像してしまいそうだが、11月25日は聖カトリーヌ、25歳になってもまだ独身という女性をCatherinettesカトリネットと呼び、「善い結婚相手がが見つかりますように」と、お祝いをする日。

もちろん、これは昔の基準だが、お祈りの慣用句はどんなものだったか、というと、

– 25歳未満の場合、
“Donnez-moi, Seigneur, un mari de bon lieu ! Qu’il soit doux, opulent, libéral et agréable !”『 『主よ、善い夫を私にください。優しくて、お金持ちで、寛大で、楽しい人でありますように』

– 25歳以降は、
“Seigneur, un qui soit supportable, ou qui, parmi le monde, au moins puisse passer !” 『主よ、我慢できる程の人で、世間的に何とか合格点でありますように』

– 30歳を過ぎると、
“un tel qu’il te plaira Seigneur, je m’en contente !”『主よ、貴方が気に入る人なら、 私はその人で満足します』

いかが、笑える? 当たらずと言えども遠からじかしら。時代の変化で、25歳独身は普通だし、社会保障もしっかりしているフランスでは、同棲はしても結婚しない人も多いし、再婚や再同棲、再々云々はたくさんいる(笑)。

さて、フランスではカトリーヌ、イギリスではキャサリン、ロシア系だとエカテリーナ、という名前は、キリスト教の聖人で殉教者、独身を貫いた”聖女カタリナ”に由来する。西暦287年に生まれ305年に殉教死したとされ、その生涯は伝説になっている。

カタリナは、エジプト・アレクサンドリアの高貴な家柄の娘で、父コンストゥスは知事をしていた。カタリナは高い知性を持った美女で、リベラルアーツの教育を受け、キリストと神秘の結婚をした汚れなき処女だった。(挿絵は、ラファエル作)
ご参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンドリアのカタリナ

ローマ帝国のマクセンティウス皇帝(マクシミアヌス皇帝の息子)は、当時の主流だった多神教を信仰し、特にマルス神を崇拝していた。コンスタンティヌス帝のプロパガンダの影響で、マクセンティウスはキリスト教の敵と見なされていた。

皇帝との結婚も拒否したカタリナは、異教の賢者50人と論争させられるが、賢者らがディベートに敗れ殺されてしまう。そして、彼女が改宗させた人々を前に、車裂きの刑で拷問が命じられたが、カタリナが車輪に触れるとそれが壊れ、結局、斬首刑となる。

伝説では、カタリナの遺体を天使がシナイ山に運んだことになっていて、そこには聖カタリナ修道院がある。
ご参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/聖カタリナ修道院

実は私、そこに行ったことがある。エジプトには砂漠ラリーの仕事等で5回も行っているが、シナイ半島のSharm el-sheikhシャルム・エル・シェイクがゴールという年があった。

スポンサー対応の一環で、レース観戦のついでに案内することにしたのだが、修道院は、モーゼが十戒を授かったシナイ山の麓にある。流石に山に登る余裕はないが、その岩肌は拝める。実際そこまで行ったことで、チームの健闘を間近に見られる幸運にも恵まれ、皆に喜んでもらえた。もう二度と行けない場所かもしれないし、今となっては感慨無量だ。

シナイ半島は1956年のスエズ危機でイスラエル国防軍に急襲され占領されたが、1957年にエジプトに返還。1967年の大暫時中東戦争で、イスラエルに再び占領され、1979年エジプト・イスラエル平和条約で再び返還されることが決定し、1982年に返還された。

イスラエルは、占領中にインフラを整備し、湾岸をリゾート開発したが、その後エジプト政府も観光開発を継続し、避寒のリゾート地になっている。私たちが現地入りした真冬も温暖なため、保養のために家族づれで訪れていたロシア人を多く目にした。

さて、話を戻すが、この聖カトリーヌの日は、特にモード界では、お針子さんたちの伝統行事でもある。突飛な帽子を作って被るのだが、中でも緑と黄に彩られた帽子が目を引く。緑は、l’espoir希望の色で結婚願望、黄色はla sagesse知恵を表すという。実際、帽子のコンクールなども行われたりする。

では、聖カトリーヌの翌日、”今年の”11月26日は何の日?
カトリックのフランスでは特に何もしないが、特にアメリカでは、プロテスタントの一大イベントThanksgiving 感謝祭である。七面鳥を食すので、Turkey dayともいう。
ご参考:https://www.whitehousehistory.org/press-room/press-timelines/thanksgiving-at-the-white-house

由来は、イギリスからメイフラワー号で移住したピューリタンたちPilgrim Fathersの宗教行事から始まっている。イングランド国教会から弾圧を逃れて分離したグループで、信仰の自由を求め、キリスト教徒にとって理想的な社会を建設する事を目指した。

メイフラワー号は、1620年11月11日にプロビンスタウン港に到着、こうした事がイギリス植民地の先駆けになるのだが、インディアンとの交流も始まり、後に、秋の収穫を祝い続く移民の到来や物資の到着に感謝する、ということと相まって、「感謝祭」になった。
ご参考:https://americancenterjapan.com/aboutusa/monthly-topics/2060/

リンカーン大統領の時代に、11月の”第四木曜日”に定められ、国民の祝日になった。では、さらにその翌日は何の日? というと、Black Friday !

1960年代にフィラデルフィアで始まったそうだが、何とその名付け親は「警察」らしい。買い物客でごった返して、警察の仕事がふえるために「真っ黒な金曜日」と呼んだことがきっかけとか。感謝祭から週末にかけて休暇を取ることも慣例になっているから、店員も病欠?!で休み、客の数に対する店員の数が少なく大混乱の一因だったらしい。

ただし、フィラデルフィアの新聞が小売業者が儲かり”黒字になる”という解釈を発表してから、良い意味になった。感謝祭プレゼントの売れ残り一掃セールも含め、クリスマスにかけての年末商戦の幕開けを告げ、1年で最も売り上げを見込める日となっている。

ただし、前日深夜から店の前には行列ができ、開店と同時に駆け込む客も大勢いて、セール争奪戦で、暴力や怪我も発生、死人も出ている、というのはやはり”ブラック”かも。

ちなみに、中国には、聖カトリーヌとブラックフライデーの両方を兼ね備えたような日がある。11月11日に祝われる「独身者の日」で、中国語では『光棍節』と言うらしい。

11月11日は1並びで”棒”だけしかない、というわけで、1993年に南京大学の寮生たちが始めたイベントが、ネット上でジョークとして広まり、独身者同士が集まって合コンやパーティを開いたり、贈り物をすることも流行している、という。

アリババグループのECサイトTmall(天猫)は、2019年、過去最高の2684億元(約4兆2000億円!)を売り上げた。アメリカ最大のネットセール「サイバーマンデーの流通総額の4倍に達する、という。今年は、コロナ渦の中、さらなる売り上げを見込んでいるそうだ。“非常棒!” (“非常”はとても、”棒”はすごいで、今風に言うなら”ちょーヤバい?! “ )

一方、欧米では、11月11日11時、第一次世界大戦の“Armistice””休戦”協定が結ばれた。英連邦諸国ではRemenbrance day、Poppy dayとも言い、戦没者追悼でポピーの花をつける。アメリカでは、復員軍人を称え、Veterans Day退役軍人の日と呼ばれる。

この日、日本では、31個もの記念日になっているという。こっちの方が”非常棒”かも?!
ご参考:https://www.kinenbi.gr.jp

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