パリのマダムの・・・ volume19

『海水浴とプール』

カンヌに来て、何十年ぶりかに水泳を嗜むようになった。
すっかり硬くなった体に最も負担の少ない運動だし、最寄りの市営プールまで家から徒歩10分。しかも、行きは上り坂なので、準備体操にもなる。

ところが、1ヶ月もしないうちにコロナ騒ぎでロックダウン、3ヶ月お休みして、7月中旬に予約なしで入れる状況になったところで、再開したが、入り口で、体温が計られ、 更衣室まではマスク着用義務がある。

着替えて、プールのあるところまで行ってみると、なんと、
屋根が開放され、まるで室外にいるような様相を呈し、テラスで日光浴もできるようになっている。

お陰で、本当はあまり日焼けしたくないのに、背中は見事に水着の跡がクッキリ、腕や足は水泳以外でも四六時中太陽にさらされているから、こんがり肌色でアラブ人の様相。

一時カンヌに避難していた娘は、友人と一緒だったり、一人でも海に出かけて、日焼けを喜んでいたが、私はまだ地中海での洗礼を受けていない……海の塩気はかなりきついらしい。

高級ホテルはいずれも、浜辺にお客様用のデッキチェアを並べているが、海に近い方が料金が高い設定になっている。ホテル側は、数に限りがある中で、宿泊客でも格差サービスをしなければならず、対応は結構大変だ。

ヨーロッパでの海水浴の歴史は、17世紀半ば、最初は健康と保養が目的だった。それが、鉄道の発達とともに、レジャーとなり、フランスにも広まり、特に、イギリスに近いフランス北部に、最初の海水浴場ができた。とはいっても、当時の海水浴は貴族などの特権階級のためのものだった。庶民には、水に浸かる習慣と施設がなかったのだ。

冬を暖かい場所で過ごしたいイギリス人貴族の多くが、南仏にも家を建て、地元の経済発展や景観の向上に大きく貢献してきた。ニースにあるPromenade des anglaisは、訳せばイギリス人の遊歩道(約7km)で、まさに、素晴らしい眺めを楽しむための散歩道である。

フランスでnatation水泳という言葉が現れるのは 1785年。パリ5区セーヌ川にかかるトル
ネル橋の近くで、水に浮くプールが敷かれ、初めての水泳教室が開かれたという。何より
初期のプールは、公衆衛生を目的とした公衆浴場として発達したのが、1855年にドイツよって公衆シャワーが設置されると、公衆浴場ではなく憩いの場所へと変化していく。

1920-30年代に、フランスは娯楽やスポーツ施設として楽しめるプール建設に乗り出し、20施設が建設、様々な階級の人々が行き交う場所にもなった。ドイツにはすでに1400、イギリスには800ものプールがあったのに比べれば、遥かに数では及ばなかった。

北フランス、ベルギー国境に、Roubaixルベという街がある。フランスは、ツールドフランスでお馴染みの自転車競技も盛んだが、ルべでも、パヴェと言われる凸凹の石畳の上を走るロードレースがあり、その名の自転車ブランドもある。

1930年、アール・デコの素晴らしいプールが建設された。ルーベは当時、繊維産業で栄え、急増した労働者に比例するように、限られたスペースを使って集合住宅が作られたのだが、密集した住宅には窓も少なく風通しも悪い上に、日当たりも良くなかった。トイレも共同で、水を使えるところも1箇所しかなく、衛生状態の悪化が懸念された。

そんな中で、Batiste Lebas市長が改革に乗り出し、125000人の市民の体を健全に保つために、温水プール建築を計画。家庭に風呂がない人たちのための個室の浴槽や、結核予報に効果的な日光浴をするための庭、さらに裕福な人たちに向けて、マッサージやフィットネスなどを用意したのだ。

70年代に老朽化のために改装もなされた。しかしなかなかうまく行かず、費用も嵩む事から、1985年に閉鎖された。それが2001年、オルセー美術館を手がけた建築家に依頼し、これを美術館として再オープンさせたのだ。
ご参考:https://www.roubaix-lapiscine.com
   
一方、ブルターニュのレンヌでは、1926年来、アール・デコの建物そのままのプールが 現役で使われている。歴史建造物の中で普通に 泳げてしまうのは何とも風情がある。

ご参考:https://fr.wikipedia.org/wiki/Piscine_Saint-Georges

さて、水泳が現代スポーツになったのは19世紀。イギリスで水泳クラブが作られ、西洋諸
国に水泳連盟もできて、1896年アテネでの第一回近代オリンピックで採用された。
種目は自由形だけで、当時は、男子のみの参加で、競泳種目は、100m、500m、1500m
と、水兵が参加する100m自由形の4種目のみ。

泳法は問われないので「自由形」と言ったが、実際は主流だった平泳ぎで競技された。 当時は、息継ぎという習慣がなかっため、顔を水につけずに泳ぐのが一般的だったため、平泳ぎは最も伝統のある優雅な泳ぎとされていた。

今では「自由形」と言えばクロールをさすが、イギリス人のアーサー・トラジオンという人が、腕を交互に水面上に出すストロークを考案。さらに、平泳ぎと並んで主流だった「横泳ぎ」のはさみ足がバタ足に変化し、「クロール」が誕生したもの。

背泳ぎは、当初、平泳ぎのようなカエル足で、腕はバタフライのように両腕を揃えて同時に水をかくという泳ぎ方をしていた。その後、クロールを裏返したような今の形となり、
ドルフィンキックで潜行するバサロと呼ばれる潜水泳法が取り入られた。

1988年ソウルオリンピックで、鈴木大地(スポーツ庁初代長官)氏の泳ぎが、この「バサロ泳法」で話題になった。結果、不調続きだった日本の競泳界に金メダルをもたらしたのだが、これ以降「15メートル以内に水面に出る」という規制が設けられてしまった。

4泳法の中で最後に誕生したのがバタフライ。最初は、カエル足でキックし、競技会ではバタフライ式泳法として平泳ぎの種目だったものが、ドルフィンキックに改良され、平泳ぎから完全に分離してバタフライ競技となった。

何れにせよ、当初、スポーツの祭典は、白人たちの娯楽だったのである。有色人種に対する排斥の歴史から、海水浴場もプールも「人種差別的な場所」だったのだ。白人には、黒人は汚いとか不衛生だと言った思い込みがあり、あからさまな人種差別につながった。
ご参考:金メダリストのアメリカのアービン選手
    https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2019/09/0917.html

日本発の全国水泳大会は1914年のこと。面白いことに、戦国時代の武技を発祥とし、軍事技術として発達してきた歴史がある。「水術」「水連」「遊泳術」「泅水術」という、日本泳法と言われる「武術」で、視界を保ったまま飛び込んだり、甲冑を着用したままの着衣水泳、水中での格闘技術、立ち泳ぎの体制での射撃など、様々な流派もある。

国際的な競泳4種目は上記の外来泳法であり、日本水泳連盟は、1932年、古式泳法中の重要なものを採択、スピードを主とした競技泳法を加えて標準泳法というものを作った。
クロール、背泳ぎ、平泳ぎ、伸(のし)泳ぎ、扇(あおり)平泳ぎ、抜手、立泳ぎ、潜り、浮見、逆飛(さかとび)、立飛の12種で、足の動作は、バタ足、扇足、蛙足、踏足の4種。

私も水深1,8mの場所で立ち泳ぎを試みたが、なかなか難しいと実感。早いスピードで泳
げる水泳部員でも長時間は無理なのではないだろうか。でも、例えば『服を着たまま泳げ
る』と、夏の水難事故防止にも繋がると思うし、何より『海で泳ぐ』ノウハウが体得でき
る。船が転覆して冷たい水中に投げ出されても、浮力と体温を維持して救助を待つことができる。と、良いことづくしだ。

実際、ビデオを見ると感動する。日本には全てに道を極める文化がある。素晴らしい!
NHK大河ドラマ「いだてん」にも登場したようだが、日本だけのものにしておくのはもったいない。「東京オリンピック」で披露できれば格好のExhibitionになると思うが、何か更なる啓蒙運動はできないものだろうか。
ご参考:https//www.youtube.com/watch?v=WwDvJeP4WOg
    https//www.youtube.com/watch?v=tjy5s-_owyg

   

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