パリのマダムの・・・ volume10

『「復活」はいつ?』

ユダヤ教のPessa’hペサハ、キリスト教のEasterイースター復活祭がやってきた。
ユダヤ教徒やキリスト教徒にとって最も重要な行事だが、今年はどこもかしこも
Covid-19の集団隔離策で外出制限措置が採られているから、いつもと趣が違う。

その昔、宗教界が旧暦と新暦の妥協点を取り決め、移動祝日となったが、2020年のユダヤ教のペサハは4月9日(木)〜16日、キリスト教のイースターはカトリック及びプロテスタント、イギリス国教会が4月12日、ギリシャやロシアなどの東方教会系は4月19日。

春分の後の満月に続く最初の日曜日が「復活の日」。それに先立つ40日を四旬節、その最後の1週間を聖週間というが、教会では、キリストの受難を記念する典礼が行われる。カーニバル(謝肉祭)は、四旬節に食事制限等で節制するため、その前に行われる。

ユダヤ教のPessa’h(Pesach)は「過越祭」を意味し、英語では意味通りPassoverという。
「出エジプト」を伝承する機会となるが、大麦の収穫期を祝う農業祭の意味合いもある。

参考までに、アニメの映画「モーゼの十戒」(フランス語)

夫と私はエジプトのカイロで出会った。場所はクフ王のピラミッドから最も近いホテル。二人とも仕事が終わって帰国する前日の出来事で、私たちの「出エジプト」も、その後の人生を大きく変えることとなった。エジプトは私たちの出発点でもある。

ユダヤ人の家に招かれて、過越祭の晩餐「Sederセーダ」の儀式に参加したことがある。
食卓には、ワインや種無し(無発酵)パンが用意され、特別のお盆に、奴隷としての苦い
経験を思い出させる苦菜(西洋わさびやラディッシュ)、煉瓦作りの毎日だった当時を偲ぶハローセス(リンゴを刻んで甘いワインやシナモン、ナッツなどを混ぜたもの)、塩水に浸して苦しみの涙を象徴するパセリ、神殿に捧げられ生贄となった象徴の羊のすねの骨、
春の季節を象徴するの卵が載って、定められた順序と方法で飲んだり食べたりする。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、
ユダヤ人だったイエス・キリストがその弟子たちと「セーダ」を行なっているところが描かれている。
ダ・ヴィンチは、1495〜1498にかけて、その時代主流だったフレスコではなくテンペラで描いた。

フレスコは漆喰を壁に塗り、それが乾かぬうちに水で溶いた天然顔料で描く手法。
テンペラは、元々板に描くための標準的な技法で、「水に溶いたタンパク質は乾くと固着する」という性質を利用して、絵の具を固定する。

「描く時間が限られ、修正が効かない」フレスコは、ダ・ヴィンチの作風に合わなかったのか、油と卵を混ぜた「油性テンプラ」を使ったが、油絵具が一般化する以前のこと、
実験的な意味合いもあったかもしれない。

しかし、壁画が描かれた修道院は、馬小屋として使われた時期もあり、湿気がひどく、
漆喰が剥がれて絵も落ちてしまったり、カビが生えたりして、何度も修復が試みられた。第二次世界大戦中に爆撃を受け建物の一部が破壊されたが、壁画は奇跡的に助かった。

80年代半ばの独身時代、ミラノのSanta Maria delle Grazieに本物を見にいった。
縦 4m以上、横ほぼ9mの壁画は、修復のために一部足場が組まれていた。当時は観光客も少なく、時間は優にあったが、正直、何もかもが暗くて詳細はよく見えなかった。

1977年から99年にかけて大規模な修復作業が行われた。表面の汚れが落とされ、後世の
修復家の加筆が取り除かれ……オリジナルの線と色彩が復活すると、テーブルに魚料理が
並んでいたことが新たに発見されている。

イエスの時代、ガラリア湖、地中海、ヨルダン川は「魚」の供給源で、エルサレムの市場には「魚」が溢れ、旧市街の入り口の一つは「魚門」という。ユダヤ教徒らは普通に様々な魚を食べていた。聖書には「魚」に触れた「教え」、「魚」に関した奇蹟の話もある。

弧を成す2本の線を交差させると横から見た魚になるが、
ローマ帝国で迫害を受けていた時期は、
隠れキリシタンの如く同士であることを
暗示する手段として用いた。
イクトゥスIXΘYZといい、
ギリシャ語では「魚」の意味もある。

同じ半径の2つの円を重ねてできた数学的形状を、
vesica piscis、というが、
意味は「魚の嚢」で、魚の膀胱や浮き袋を指す。
古代社会は母権制で、生命の誕生の神秘は神話や信仰に結びつき「子宮」や「女陰」が母なる女神のシンボルとなった。つまり、この数学的形状もそれを表すが、細胞分裂の形で生命の始まりを示す。

古代には金曜日に魚を食べる「狂宴」を催していたが、性的な事と密接な関係がある。
ケルト人は、魚を食べると母の子宮に新しい生命が宿ると考えたが、一般的に、魚は催淫的な食物、媚薬だという観念は今も広くあるようだ。
キリスト教は神聖な話だけ残して「魚」を取り入れたが、カトリックの多いフランスでは、現在でも金曜日に「魚」を食す習慣があったりする。

では、イースターと「卵」の関係は? というと、

世界の様々な文化で、卵は「生命」「生殖能力」「再生」「復活」の象徴だった。
「世界は卵から生まれた」という「宇宙卵」の話は、世界各地の神話にある。

「鶏が先か、卵が先か」は、宗教界も矛盾を認めているが、「生命」と「復活」を象徴する「卵」は、キリスト教にも同化され、四旬節の間は、食事の節制と祝宴の自粛が行われ禁止された「卵」は保管され、禁食の終わりに装飾されるようになった。

春は自然の孵化の季節なので、エジプト人もペルシャ人も、春の時期に命や再生を表す「卵」を装飾して提供する慣習を古代から持っていた。スラブ世界では、イースターエッグ「ピサンキ」や、インペリアル・イースター・エッグに見られる見事な芸術品もある。
インペリアル・イースター・エッグ

中には、赤く染めた卵を贈る習慣もあるが、マグダラのマリアに起源があり、キリストの昇天後、ローマ皇帝の元に赴き「イエスが天に上げられた」と赤い卵を贈ったという。
「キリストの血によって世界が救われ、キリストの血によって人類が再生する」を表す。

ところで、小説や映画の「ダ・ヴィンチコード」では、「最後の晩餐」でキリストの横に描かれた女性的な人物はマグダラのマリアだ、という構想をした。「モナリザ」も然りだが、ダ・ヴィンチのホモセクシャル的な側面「両性具有」があるかもしれないが、作品にミステリアスな部分を残す茶目っ気に作者の「微笑み」が感じ取れる。

話を戻し、今や宗教行事はチョコレートと結びついて世界的なビジネスとなっているが、
卵を空にしてチョコレートで満たす、というアイディアは18世紀以降に生まれ、その後
カカオを扱う技術が発達し様々な金型が作られるようになって、卵が全てチョコレートで作られるようになったのは19世紀のこと。

そもそもが異教の伝統が混在する宗教的な祭日なので、卵の他に、鐘、ニワトリ、うさぎ、
魚、カッコウ、コウノトリ、他、様々な形のチョコレートが出回っている。いずれも、
多産、豊かさや富のイメージ。もはや、スポンサーがつけばなんでもありかもしれない。

私が初めて手にした成型されたチョコレートは、中身全体が固形のハードチョコレートで「キューピー」だった(時代が知れる)。幼稚園児だった末っ子の私は、歯でかぶりつくには大きすぎ、毎日ナイフで少しずつ切って食べたが、頭から切るのか足から切るのか、チョコレートを食す喜び以上に、残酷な思いにかられたものだ。
しかも、さっさと自分のものを食べてしまった姉たちからせびられ、喧嘩になると、いつまでも残しておく私もいけない、と母に叱られたものだった。懐かしい記憶の蘇り。

フランス人は大人も子供もチョコレートが大好きだが、調べてみたら、「自宅軟禁」に
応えてか、l’express(時事系週刊誌)のネット版に、「有名職人の手作りチョコをご自宅に
お届けします」コーナーがあった。25店舗の逸品、あなたならどれを選ぶ?
デリバリー・チョコレート(フランス語)

今の「受難」が終わり、早く「復活の日」が来ることを願って止まない。

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