Ton Chin Kan シングルマザー奮闘記(その9)

『父親という存在』

はじめに私の思いと違う解釈をしていただきたくないので言っておきたいことがあります。

「父親」は必要であり、なくてはならない存在である、と私は考えています。
皆様と同様、私にも父がおり、普通とはちょっと違い我が父は少々変わっていますが大切な存在です。(普通の父親像がなにかはわかりかねますが)何かあったときはやはり精神的な面で頼りにはなります。かけがえのない存在です。

そうです。
わかっていただければ幸いですが、私は父親という存在を否定はしていません。

今からお話させていただく話は、こういう家庭もあるのだな。
ふーん。Ton Chin Kanの家は大変ね~我が家は幸せでよかった。と軽く読み流してもらえたら嬉しい限りです!

人という生き物は、言葉にださずともどこかで誰かと比較して幸せを感じるものであると私は思っています。
もしも今「苦しい。なんで私だけこんな目に遭わなければならないの?」とか、「我が家はなんでこうなの?」などのネガティブな気分に陥っている誰かの、少しでも心のよりどころになれれば。という気持ちで綴っていきたいとおもいます。

長々と私の意見を綴ってしまい申し訳ございません。

さて、今までTon Chin Kanの「トンチンカンな日常」を綴っていたのに、なぜ急にこんな暗い話題!?と思う方もいらっしゃると思います。
それは。
ただ、書きたくなったからです。
といいましても、きっかけはもちろんあります。
七五三の参拝で久しぶりに日本の「家族」の形を目の当たりにしたからです。
この島国は島国魂でここまで築き上げてきました。
歴史をざっくり振り返ると鎖国をしたこともあったり、それから他国の文化を積極的に取り入れたり、今日では多様性に向けて様々な取り組みをしていますよね。
どこぞの誰が言ったのか?
日本人は寛容である。礼儀正しい。異文化や多様性を受け入れるキャパシティがある。
海外から絶賛されているよ。と。
テレビや本などから見たり聞いたりしているだけでそう感じてしまっている我々。
よくありますよね。
「あの人がこういっているからこうなのよー絶対に」現象。
自分の目で確かめない限り、事実かどうかは実際のところわからないのに。
海外のニュースをみていると日本の評価は案外違うのに。。。
そんな難しい話題をあげていくと、きりがないので戻りましょう、本題に。

七五三で神社に参拝するために袴をレンタルしたのです。
お値段はお手頃ながら昔ながらのシックな袴が借りられる所に。
私が訪れた時間帯は計5組のご家族がいらっしゃっていました。
気にしすぎと言われるとおもいますが、父親が不在は我が家だけ。
父親が来られないイベントや行事って普通に暮らしていたら忙しくてなど色々あると思いますが、さすがに七五三はね。皆で予定合わしてこられるやつに、いない。となると目立ちます。しかもTon Chin Kanは誰にでもすぐに絡んでいく。恥ずかしがり屋さんとは無縁の子ども達。だからよく話しかけられるのです。
子ども達に何気なしに質問してくる方もいます。
「今日、パパは?お仕事?」
この何気ない質問。
なにげに破壊力があるのですよ。
Ton Chin Kanはあっけらかんと「いないよー!だってバイバイしてきたもん!」と楽しそうに答えます。
さらにその横から私が
「捨ててきましたからー」と笑顔で返答。明るさ通り越してもしかしたら不気味かもしれませんが、この質問をされたときにはこう返答しています。
すると大概の人はもうそれ以上は何も聞いてはいけないとさすがに察するのでしょう。
聞いてきません。

そりゃ考えたら母だけで子どもは作れないから父ありきですよね。
でもこの質問。たぶん日本を含めたアジアだけの独特なものだと思います。
インターネットで調べただけでもアメリカ、カナダ、フランス、スウェーデンなどの諸外国では「事実婚」が盛ん。
シングルマザー。ファザーだとしても偏見の目はなく、当たり前の光景として扱ってくれる。
その諸外国からみた日本のシングルマザーの待遇については先進国の中で最下位とのこと。
そんな国だからその質問がさらっと出てくるのだろうな。
多様性を大事と、いっているだけの日本。言っている人は偉いよね。くらいの。
こういう質問がさらっとでてくるあたり、やはりまだまだ遅れているのでしょう。
我が家みたいなあっけらかんと、笑いながらその質問に答える方はどれくらいいらっしゃるのだろう?
傷ついていない。
笑って答えられているからそんな風に見受けられますよね。
私自身は本当に心底家をでたことが正解だった。今が本当に幸せ。と思えています。
もちろん質問にも笑い話で答えます。

でもですね、子ども達の心はどうでしょう?
その何気ない失礼な質問にきちんと答えますよ。人なつっこいので無視はしません。
ただ明るくふるまっている分、目には見えない傷が心につくことだけは理解してもらいたいとおもう。
普段暮らしていて、私には父親系の話題はほぼ言いませんが、Ton Chin Kanは確実に苦しんでいるとおもいます。(時々Chinが、保育園のお迎えになになにちゃんのパパがきたんだよ!とか聞きますが)

父親と呼ばれる人が我が家にはいない。
この国にいる限りはずっとこの父親不在ということに縛られていくのだろうと思うと、ぞわっとしますが、同時に皆の意識を変えられるチャンスかなとも思ってプラスにとらえて行きたいと思います。

近くにいることが全てではない。
ましてや近くにいて、家族、母親、子ども達、なにもかも全てが壊れていくのであればいない方がより良いこともあるのです、現実的に。

では皆様、実りのある一週間を。

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