Ton Chin Kan シングルマザー奮闘記(その15)

『手続き』

日本で暮らす人として、手続きしなければいけないことがたくさんあります。
保険
年金
子ども手当
小学校入学
保育園
男女共同参画
結婚
離婚

等々

簡単なところで私に関係がありパッとおもいつくものでいいますとこれくらい。
このほかにもありとあらゆる手続きが存在しています。
もちろん手続きには期限があり、それまでに必ず提出しなければならない。
でも、役所は平日しかあいていない。(中にはそうでないとこもあります)
専業主婦のときは平日にでも子どもを連れてどこかしらの開いている時間で好きなときにパッといけました。

フルタイムになるとそれがなかなかそうはいかないのですよね。
仕事が始まる時間に役所が開き、仕事が終わる時間に役所が閉まる。
休日に窓口を設置してくれている親切な役所も存在はするが、私の居住地ではそのようなサービスはない。

結婚前はどうにかこうにか隙間時間をみてさっといけていたし、まず行くことがあまり無かったので困りはしませんでした。

「いついつまでの間にいつこられますか?」
と先方に電話で聞かれることがよくあります。
「17時以降、もしくは土曜日か日曜日です」
といける時を答ます。
「そうですよね。お仕事ですよね」
と先方。
「そうですね、難しいですよね」
とこの不毛なやりとりを毎回しているのです。
そして最終的に、
「郵便で送りますのでご確認のほど、ご返送ください」
ですよね。そうなってしまいますよね。

でももしかしたらいける時がある可能性もなきにしもあらずなので一応確認しなければいけない。

「あ、祝日ならお仕事はお休みなのでいけますよ」
とお伝えした所
「役所もお休みですので・・・」
といわれ結局あわず。

ただ時々今私が置かれている立場人はどうしても行かなければならないときがでてきます。

複雑になってしまっている我が家の住民票問題。
保護してもらうための手続きというものがあるのです。
私も今の状況に置かれなければ知る由もなかったこの制度。

住民票が諸事情で触れなくても、証明さえできれば居住地で代わりになるものを発行していただけるのです。

日本でDV被害者の数は年々増え続け、相談数だけでも年間7万7482件と2019年の3月に警察庁から発表されています。

でもそれは相談できた人の数であり、世の中にはまだまだプライドや環境の変化、本人の気持ちなどの様々なしがらみが邪魔をして相談すらできず苦しみながらもぎりぎりで生きている方々が大勢いる状況。

民間の相談センターへの電話もあとをたたず、電話はなりっぱなしでした。
真夜中の相談は「助けてほしい」や、「話を聞いてほしい」等の泣きながらの電話がたくさんでした。

その最悪の状況から助けられてシェルターにはいれても待っているのは、毎日くる様々な行政の方達の対応、ゼロから自分の状況の説明、様々な手続き、住居、子どもたち、お金の問題、そして逃げたことによる相手からの報復。

お金のことはご実家であったり、自身の蓄えがあったりしたらまだどうにかなるかもしれないが、大多数の人がお金の事も含め相当気持ち的に苦労している状況を目の当たりにしてきて思うことは多々あります。

声に出さないと助けてもらえない。
声に出しても助けてもらえない。

たとえ助けてくれる機関があっても大量の手続きをこなさなければならなく気が滅入ってしまうのです。
それさえ頑張ったらその先には新しい未来がまっている。
と思うとそれくらいのことくらい頑張れるでしょ??
と乱れていない精神状態の方なら思うことでしょう。

私も前まではそう考えていました。

本人以外の人は自分の考えや、よかれと思ってすること、助けてあげたい一心でしてあげることがたくさんあります。

「頑張れ」
「負けるな」
「今が踏ん張るときよ」

励ましの言葉ってありますよね。

どれもこれもその人を思い、なんとか奮起させてあげたくてかける言葉です。
その中には優しさや温かさや思いやりもあります。
ただ、私自身が実際に当事者になったことでわかったこともあるのです。

その嬉しいはずの叱咤激励が、
時にするどい武器になり傷をさらにえぐるということが。
当事者達は、既に頑張り、負けたくなくて、踏み込んでその状況になっています。
涙もでます。
弱音も吐きます。
苦しさを隠してひたすら強く見せようと頑張っている人だっています。
時に言葉は残酷で、
それって自分で選んだことなのでだから仕方がないでしょ?
自分で巻いた種だよね?
と軽くいう人もみかけます。

確かに正論。ごもっとも。

でも、本人は最初から本当にそうなる結末がわかっていたのでしょうか?
たら、れば。の話。
まわりがとやかくいっても、決めるのは本人。もちろん責任をとるのも本人。
ただ、弱っている人にそのような言葉をかけるような、小さな人間に私はなりたくないと心底思う。

「寄り添う」
思いやりを持つって上辺だけで簡単にできることですが、心に寄り添うってそれ相当の覚悟にプラス、本当の思いやりがないとできないことだとおもう。

手続きにしろ、その寄り添いの心が根本にあれば、今の時代において簡潔に済む方法があるのではないのか?と思う。

ただでさえ、手続きって大変で面倒で時間を取られる作業。
たかが手続き、されど手続き。
心身共に壊れかけている人にとっては本当に辛い作業なのです。

令和になったことだし誰か仕組みや、やり方をどうにか変えてくれないかな。
切に願っています。

次回は「旬のモノ」です。

それでは皆様実りのある一週間を。

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