Ton Chin Kan シングルマザー奮闘記(その7)

『どこにいってしまった私の心の余裕』

「もうさ、本当にいい加減静かにしてくれる?」
「喧嘩するなら、もうお母さんは消えます。結構です」
「早くして」
「なんでできないかな」

どこぞの虐待の家庭のお話かしら? と皆様お思いであろう。。。 これはパッと思いつく我が家で頻繁に登場してしまう台詞たちである。 わかっている。わかっているのだ。そんなことは教育上言ってはいけないことだなんて。 外出先でお母さんが騒いでいて周りに迷惑をかけている子どもに対して 「もーだめよー」とほにゃっとした柔らかい感じで注意をしているのと、我が家は訳が違う。我が家はいつでも戦闘モードなのだ。外出先だろうが、家の中であろうが変わらない。だから、余計に外でほわん。とした感じでそれ注意ですか?と思うような場面をみると、「このお母さん、外面を気にしているのかな。その注意の仕方だと子ども全く言うこと聞いてないけど。優しさアピールか?病んでいるな」 と、だいぶひねくれた見方をしてしまう。
しかしながら皆様おわかりのように、そう、何を隠そう、そんなひねくれている私が一番病んでいるのである。 なぜにそんなにひねくれた考え方になってしまったのか(元々の可能性もあるかも)はまたいつの日かゆっくりと書きたいと思います。

さて、私が外で注意している姿を、「偉い!」と褒めてくださるのは後期高齢者の方々。 私の叱り方はかなりの昭和スタイルなのであろう。 悪いことは悪い。 人様の嫌がることをしてはならない。 困っている人がいたら助ける。 とりあえずこのことを守っていれば良いと両親から教わってきた私。
最近の子育てをみていると、ふとたくさん思うことがある。 例えば、つい最近美容室に行った時、美容師のお姉さんと子育て話やら子どもの話になった。 聞くところによると、最近嫌な思いをしたとのこと。 何があったか聞いてみると 「つい先日、バスに乗っているときに私の何か座り心地良くないなーと思っていたら、後ろの幼稚園生くらいの子がずっと椅子を蹴飛ばしていたのですよ。横にお母さん座っているのに全く注意してくれなくて。だから降りるまでずっと蹴飛ばされっぱなしでとても嫌でした」この状況、皆様も見たり、実際されたりするよくあるあるの話だと思う。 “じゃ、直接注意したらよかったのではないの?”と思う方もいると思う。でも、現場にいたらこのご時世よその子を注意ってなかなか難しいもの。 横にいる子どもが人様に迷惑をかけているのを知りながら放置をする、そんな人にはなかなか伝わるものも伝わらないだろうし、そんな母親に言い返されてもっと嫌な気持ちにはなりたくないのが現実ではないだろうか。 我が家もよくバスを利用する。 「バスは皆が使うものだから、静かにしていないとだめだし、椅子に座ったらおとなしくしないと恥ずかしいよ」とトンチンカンに伝えているにも関わらず、伝えていても時々やらかす。それはもうしょうがないと思う。だって子どもだし、まだ本当には理解ができていないと思っているから。でも、私は椅子を蹴飛ばしていり、騒ぐ我が子を放置しない。したくない。 カッコつけたいわけではないし、周りの目を気にしてではない。なぜならば、私がされた側なら嫌だから。されている身になって考えた時にせっかく座れることができて、一息つける状態のさなか後ろからガンガンガンガン蹴飛ばされた時はたまったものじゃない。その気持ちがわかるから、速攻叱る。人様の嫌がることをしてはいけない。されている相手に身になって考えることが大事。と子ども達に教えている私が。

そんな私が、最近冒頭でも述べたように病んでいて心に余裕がない。
一人親。片親。シングルマザー。シングルファザーなどなどのこのネガティブワードを、ポジティブにしていきたいと思ってはいるが、現実はなかなか大変なのである。父親、母親で分けて受けるものを、全て一人で受け止めなければならない。これって思っているよりも大変。本当に。一人親の子育てにとても理解がある会社で私は働かせていただいている。急に熱がでたり、保育園への早めのお迎えお願いされたりしたときに、そのことを伝えるのにとても言いやすくしてくださっていてとてもありがたい。そんな優しさに触れ、ありがたみも感じている。その一方でとても申し訳ない気持ちでいっぱいになる。この表現ができない複雑な気持ち。この勝手な気持ちの葛藤が、勝手に一人親をどんどんと追い詰めていくのではないかなと思う。
もっと周りに頼ればいいの。
誰か助けてくれる人は?
熱がでたらこういう預ける場所がありますよ。

と行政の方々がご丁寧に仰ってくれる。申し訳ないが、同じことを散々言ってくるので知っている。笑
同じことしか言えないのかな。
提案は?
別の案は?

と行政に対して思ってしまう。
しかし彼らはそれをいわなければならないのが仕事。そこに気持ちがはいっていようが、いまいが仕事。
病児保育は登録制。しかも予約制。すごい。私には予知能力なんてないため「明日我が子たちに熱がでるから予約しておかなきゃ!」はできない。その予知能力どこに売っているのだろう。あ、行政に聞いてみよう。とかそんな意地悪なこと考えてしまう。しかも急に熱がでて、病気の子を預ける機関に1時間2千円。8時間預けたら・・・ なんのための仕事なのかわからなくなる。
子どものため?
生活のため?
自分のため?
会社のため?

だからまた葛藤が生まれる。

片親ということ、一人で全てを受けなければいけないということ、子ども達が熱をだしたときの対処などの様々な葛藤が絡まり、そして私の心に余裕がなくなる。きっと私だけが抱えている葛藤ではないにしても、同じ苦しみを抱えている人と話をしても、結果がついてこない限り私のなくなりかけている余裕は増えてはいかない。
どうしたらいいのだろう。
そんなことを考えていたら、、、だめだー!!また減っていく心の余裕―。
ポジティブにいこうよ!・・・ってなれるかー!
さて、甘い美味しい物を食べて落ち着こう。
皆様はどうやって気持ちに余裕をつくっていますか?
気持ちの余裕の作り方どうか私にご教授願います!

そして、次回は「言葉」です。

皆様、実りのある一週間を。

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