Ton Chin Kan シングルマザー奮闘記(その5)

『迷子になるのはいつも・・・』

買物に行く。遊びに行く。

こういう普段の何気ない行動でも、我が家全員で動くとなるとそこそこの大変な作業になる。

大人1人、小学生1人、保育園児2人。
男児3人。気持ち的には民族大移動。
いや我が家の子ども達のことは3匹と数えさせていただきたいです。
駅のホーム、バス停、スーパー、デパート、遊園地でも常に「1,2,3」と数えながら行動。

子ども達と過ごしているときは、片時も休まることのない私の脳みそと身体。
五感をフルに使い危険を察知しながら遊ばなければならない。
もちろん細心の注意を払って。

しかしながら細心の注意の注意を払っていても子ども達がすることは、大人の考えの斜め上を突き抜けていく。
「え?」「なんで?」「どこで?」「どうして?」「何があった?」

特に我が家は全員「どこにいくにもママのそばから離れない」とは真逆の「ロケットタイプ」。
自分の興味あるものが視界にはいったら最後。
Ton Chin Kan全員が私の見える範囲から一斉に解き放たれていく。
なので常に1,2,3のカウントをしなければ見失うのだ。

そして男の子のママあるある(我が家だけか?)で、言葉使いも荒くなり、声も大きくなっていく。もちろんドスもきいてきて元々の低い声がさらに・・・
ギャングの3人を相手にしていたらしょうがない!

そして大体名前を呼んだらきちんと集合するのだが、時々名前を叫んでも集合してこない奴がいる。
そしてこの迷惑な(あ、いけないつい本音が)迷子になるのはいつも決まっている。
長男のTonだ。

誰が迷子になったとかは言わずに他愛もない会話の中で迷子の話になると大概の人は、
「三男のKanくんはまだ小さいものねー」
「小さいからちょろちょろいっちゃうよね」
といってくれる。
小さい子=迷子になりやすい。わかるわかる。私もそう思う。

しかし我が家は違うのです。
迷子になるのはいつも決まって小学生の長男。

彼の迷子の歴史は2歳から始まった。

ベビーカーを使わなくなり、「自由」というものを手に入れた頃からなので、彼は迷子の達人だ。

記念すべき初めて迷子になった場所は、一日そこで時間をつぶせるような規模の大型のショッピングモール。フードコートでご飯を食べ終わり、片付けているときにそれは起こった。
私がゴミを捨てにいって席に戻ると長男はすでにいなくなっていた。一瞬の出来事である。
お互いにとって記念すべき初めての迷子。
不安でパニックになった私は、真っ先にインフォメーションに行けばいいのに、自分の足で探そうと名前を呼びながら歩き回ってしまった。フードコートがあった3階をひたすらまわり、もしかしたらとフードコートに戻り、トイレをみて、不安で涙がでそうなのを必死におさえていた。永遠に続いたようなあの押しつぶされそうな不安な時間。
どのくらい時間がったただろう。
ようやく冷静になった私はインフォメーションに行って呼び出してもらう案をやっと思いついた。
涙をぬぐいながら一階のインフォメーションに走った。
目を真っ赤にしながら、
「子どもが迷子になっているんです。探していただけませんか?」と美人なインフォメーションのお姉さんにお願いした。
すると、「もしかして2歳くらいのお子様ですか?」とお姉さん。
軽くパニックの私はそのお姉さんの「2歳くらい」というキーワードを軽く受け流し
「はい、そうなんです。はじめて迷子になったから泣いてるとおもいます。」と必死な私。
そしてまだ気付かない私は「ジーンズに黒いTシャツで、白い文字がかいてあります。靴は赤のスポーツブランドのものです」と立て続けに話した。
するとお姉さん「お預かりしているお子さんとお洋服の特徴が一緒です。お連れしますね」とにっこり。
「え?」
しきりの裏から現れたのは満面の笑みでこれまた可愛いお姉さんに抱きかかえられた長男。
「あ、ママ!」
感動の再会。のはずが
「帰りたくないー!いやだー!」
この迷子の間泣かなかった長男が初めて泣いたらしい。
おい、この反応なんやねん。
とても嫌いな母さんが迎えにきちゃって本当に嫌でしょうがない。
なんだったら普段いじめられていて、やっと逃げられたのに見つかってしまった、かの様な反応。
インフォメーションのお姉さん方と気まずい空気が流れる中、泣いてる我が子を抱きかかえお礼を述べて逃げるようにその場を離れた私。。
あれ?普通、お母さんと離れちゃったら不安で泣くのではないのかい?
疑問が残る中、ご機嫌斜めの長男と帰宅。

このことを私の母でありTonの祖母に話した。

すると母が、
「覚えてない?幼稚園(私が)のときに、新宿でピアノの発表会があって終わってから新宿で迷子になったときのこと」
「え?覚えてないよ」と私。
「えー!あのときは携帯電話も何もないから、もう大変だったのよ。交番のおまわりさんや知らない人たちにも特徴いって結構な人数で探して」と母。
「全く覚えてない。で、どこにいたの?」と私。
「小田急デパートの近くの段差で座ってなんか嬉しそうに一人でバナナを食べてて。そのバナナどうしたの?ときいたら、全く泣いた様子もなく嬉しそうに、知らない人からもらったのー!って」と母。

それは本当に私なのだろうか。全く記憶にない。
大人達が心配で探し回ってくれてるときに泣きもせず嬉しそうに知らない人からもらったバナナを食べているなんて。
色々と怖いぞ、その状況。

そして私と長男、血は争えない。

大人になるとそれまでの経験から怖さ知って学び、危険を察知する能力も司る。
子どもの危機管理能力については大人達が守ってくれるからまだゼロに近い状態だ。
周りの大人達がどれだけ迷子になってはいけない。危ないからと。注意しても、純粋な子どもにとってはまだ自分で体験したことないから、何が危ないのかわからない、理解をするのが難しいのではなかろうか。

例えば、火。
目で見てるだけだと炎が揺れていて綺麗。不思議な魅力がある。光っている。触れてみたい。そして触ってみて気付く熱さ。怪我した。焦げた臭いもする。その傷が痛い。痛みが続く。嫌だ。怖い。そっか、こういう目にあうから、だから遊んではいけないんだ。

五感をふるにつかって最終的に気付き学ぶ。

迷子だって五感をふるにつかう子どもからしたら初めての“冒険”なのかもしれない。
守ってくれる人がいない、一人の初めての世界。
見える物、触れるもの、大人達から注意を受けることなく、自分が思っていることが全てが思った通りにできる初めての自由な世界。
迷子をしたからこそ成長できることもあるのかもしれない。
迷子にあったからこそ、幼ないなりに頭を働かせ、大人に話しかけ、助けを求めゴールにたどり着けた。
幼心にも初めて自分一人でやり遂げたという結果を手に入れて、それが目にはみえない自信に繋がるのかもしれない。

そこまで壮大に「迷子」について考えてみた。
ん?いや、まてよ。それを未だに小学生の長男が繰り返しているのって問題じゃないのか。。
初めての迷子からかれこれ6年経つ。長男は迷子のプロだ。
彼はこの6年の間でかけるとどこかしらで迷子になる。何も変わらない。
しいて変わった所と言えば、迷子センターなどに自らいって、
「お母さんが迷子になってます」といえるようになった。
しまいにはChinとKanに、
「お兄ちゃん!迷子になっちゃうから、ちゃんとついてこないとだめだよ!」と普段からいわれる始末。

色々と長々とどうでもいいことを書いてみたが、何を隠そうご存じの通り「迷子」は危険。
たまたま私のヶースや普段のTon Chin Kanがうまいこといっているだけであって、
どんな事件に巻き込まれるかなんてわからない。
そのまま行方不明になって。。とか考えたら気が気でもない。

アメリカでは5歳のときに中国で迷子になった子が方言のせいでうまく説明できず保護され、アメリカに養子として引き取られていったが13年後SNSを利用して本当の両親に会えたというケースがある。が、そんな最終的に幸せになれたのはレアなケースだと思う。

迷子は甘く見てはいけない。

だから少しでも不安そうに一人で歩いている子ども、泣いている子どもがいたら積極的に話しかけて、保護者や知り合いの元に帰れるまではなるべく一緒にいるように心がけている。
我が子達がいるときは、積極的にその迷子になっている子の不安を取り除こうとしてくれる。そういうときにTon Chin Kanやるな。と感心する。

自分の身に置き換えて行動すること。
優しい社会ってなんだろう。
地域、社会が子どもを育てていた昔の古き良き日本の生活を思いながら。
これがなかなか難しい。
意識をしないと私にはできない。
いつか意識せずに身体が本能的にそう考えられるようになっていきたいものです。

そんな子ども達とのお出かけは、いつも迷子とミラクルと勉強の連続。
いつになったら落ち着いて出かけられるのであろうか。。

次回は「次男ことChinの恋愛事情」です。

それでは皆様、実りのある一週間を。

一覧へ戻る