「アラカン」~お楽しみはこれから volume8

『Terrible Twos』

ある日の昼下がり。会社近くの公園を通ると、幼い男児が「イヤ、イヤ~」と泣き叫び、別の場所では女児が「キライ!キライ!」を連呼していました。
多分、反抗期真っ盛りなのでしょう。
英語では、この時期のこどもの状態を Terrible Twos(ひどい2歳児)と呼びますが、別にその子が悪いわけではありませんよね。
気まずそうにしている親らしき人に『いつまでも続くわけではないから、くじけずに頑張って!』と心の中で応援してしまいました。
と同時に、ちょっと余裕ぶっている自分に苦笑。

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息子が2歳の頃の20+年前を振り返ってみると、私はちょうど某外資系企業で働きだした頃です。
そこの会社は、平均勤続年数2~3年という厳しい成果主義を貫いている会社として今でも知られています。そんな中で、ましてや「働き方改革」なんて概念がまだ無い時代ですから、30代で油がのった私は、毎日をがむしゃらに頑張っていました。
『子育ても仕事も極めたい。』
でも1日は24時間しかなく、睡眠時間も確保しないと体力・知力・忍耐力・寛容さ等々、すべてが欠落してしまう。
こんな生活は自分のわがままかもしれない、と罪悪感を抱くことはしょっちゅうありましたが、「今」を生きることに精一杯。
結果、子育てに割く時間は限られてきてしまい、色々な方のサポートに頼らざるを得ませんでした。
私も主人も東京の人間だったので、両親たちには頭を下げて息子の面倒を頻繁に見てもらいました。
(私が仕事をすることに当初反対だった主人の両親も、孫の可愛さ⁉に負けて、いつの間にか協力的に。孫が鎹(カスガイ)です)
保育園の園長先生には、個人的に「延長保育」をしてもらいました。
ベビーシッターさんも何人にお世話になったことか。
同じアパートのママ友に、休日の朝預けたこともあります。
もちろん主人も巻き込んでいましたので、息子は多くの人に育てられた、ということができます。

こんな状態でのバタバタ子育てだったので、気が付いたら反抗期が無いまま2歳が過ぎていました。
このことに気が付いたのは、数年たってからのこと。
えっ、反抗期が無いの???
子育ての本や雑誌によると、この時期の反抗期は、こどもの成長に欠かせない重要な過程だと明記されています。それが無かったということは、何か重大な欠陥があるのでは???
あわてて周囲の人たちに聞いてみると、一つのことが判明しました。
息子は反抗期が無かったのではなく、私に対しての反抗期が無かったのです。
私の母によると、おばあちゃん達にはしっかり反抗していたようです。
「我が子ならいざ知らず、孫の反抗期まで付き合うことになるとは思わなかったわ!」と嫌味をたっぷりと後日言われましたが、そういう母は、身体を張って仕事している私への気遣いからか当時は黙っていてくれたのでした。
必死に走り回っている母親を見て、幼い息子も無意識に気を使って私への反抗を控えていたのかしら?
私って、2歳児にまで気を遣わせるような育児をしていたわけ?
真相はわからないままですが、この事実はかなりショックが大きく、自分が本当に情けなくなってしまいました。今でも、この原稿を書きながら涙が出てきてしまいます。
あんなに頑張っていたのに、私は子育てを大失敗したのか…

そんな時に、私を立ち直らせてくれたのは、またもや周囲の人たちです。主人や両親や保育園の先生。
特に保育園の園長先生に涙ながら相談したら、ギューと抱きしめて語ってくれました。
「いろいろな子供がいるの。みんな個人個人違うやり方で成長するの。あなたは子育て失敗なんかしていない。だって一人で子育てしていないでしょう。だから良いのよ。それに見てごらんなさい。こんなにいい子に育っています!!」
結局、息子だけでなく、私も育児を通じて多くの人に育てていただいたのです。
感謝。

後日談を一つ。
息子のTerrible Twos はありませんでしたが、思春期の反抗期はしっかりとあり、私はきっちりと向き合う(対峙⁉)することができました。
うちの場合、小6から中学1年生ぐらいが酷かったですね。身体は私より大きいので当然手は出せず、もっぱら「口」でのやりあい。
息子が「もういい!」と部屋にこもっても、追いかけていき徹底抗戦しました。ドアが壊れてしまったことも。
(あっ、ドアを壊したのは私です。部屋越しに怒鳴っていたら、ガンガンやりすぎちゃって。賃貸だったので、主人にはその後こっぴどく叱られました)
でも、反抗期って突然収まるものなのですね。いつの間にか、穏やかな生活に戻っていました。
Before と Afterの大きな違いは、息子の私に対する接し方。
それまでの「反抗する対象」から「いたわる対象」に変化したような気がします。
こう書くとなんだか素敵に聞こえますが、実は親の威厳が薄れてしまった、ということ。対峙を繰り返している過程で「この人、実は大したことないんだ。喧嘩しても仕方ないな。」と悟られてしまった感があります。
子どもは子どもなりに育つ。
ありがたいことです。

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