「アラカン」~お楽しみはこれから volume70

『40年振りの再会』

先日、高校時代の友人とナント40年振りに再会しました。
その友人の名はSue。
Sueは私が高2の時のクラスメートで、一年間だけ日本に来ていたオーストラリアからの留学生でした。
彼女がオーストラリアへ帰国してからは、しばらくは文通していたのですが、その後すっかり疎遠に。

そのような友人と劇的な再会ができたのも、本当に偶然のこと。
それは、これまた久しぶりに参加した大学の同窓会の場でのことでした。
私の大学は男性が9割以上を占めている男子校みたいなところだったので、女子高出身の私の高校時代を知っている人はほとんど皆無。
ところがその同窓会で、『知り合いの知り合い』程度の友人から、急に「もしかして○○女子高出身だったよね?」と話しかけられたのです。
もうびっくり。
少し身構えながら「なんでそんなこと聞くの?」と尋ねると、「Sueって知っている?」という話になり、そこから話が急展開したのです。
どうやら、彼はSueの留学時代のHost Familyだったようで、Host Brotherとしてずっと連絡を取り合っていたそうです。
一方Sueは、時々私のことを探してくれていたのですが、私はFBもLinkedInもしていないし、そもそも結婚後の新しい姓も教えていなかったので、見つからないまま。
今回、Sueは久しぶりに日本に遊びに来るにあたり、そのHost Brotherに私のことを色々相談してくれました。その時に私の父のことが話題に出たのですが、その内容が、私が以前に大学の同窓会報に書いた父の話と酷似していたので『もしや』と彼は思ってくれたそうです。
それで、同窓会で私を見かけて声をかけてくれた、という経緯だったのです。
この度重なる偶然、凄くないですか!
本当に人の縁とは不思議なものです。それと同時にすごく大事なものだな、と改めて感じました。
まずは、大勢の中から私を見つけて声をくれた彼に感謝!

ということで、彼のおかげでお互いの連絡先を交換でき、そこからSueとは連絡を取り合えるようになりました。
そして先日、劇的な40年振りの再会を果たしたのです。
はっきり言って、お互いにウーンと年を取ってしまいましたが、一目見ただけで彼女だと分かり、感動!
暫く抱き合ったまま、涙が止まりませんでした。
そこからは、怒涛のおしゃべりタイム。
何しろ40年分のブランクを埋めなければならないのですから、ワインを片手にお互いの人生を語り合い、同時に思い出話にも花を咲かせました。
実際に会って話を始めると、忘れていると思っていた高校時代のエピソードが出てくるわ、出てくるわ。
入学早々、体育祭の応援に駆り出され、「日本の応援は、おなかに力を入れて大声出すのがまず重要」と私が力説したこと(?)。
文化祭で、Sueが日本語の漫才をしなければいけなく、何人ものクラスメートが交代で練習に付き合ったこと。
修学旅行で、バスの中では外を見るより歌を歌っていた時間の方が長かったこと、等々。
Sueが覚えていたことと私が記憶していたことが微妙に違っていたりして、これもこれで面白かったな。
彼女は昔の写真を、私は最近の高校の同窓会の集合写真を持ち寄ったので、「やっぱり××先生、老けたわねー」と、自分たちのことは棚に上げて笑ってしまいました。
夏休みにうちに泊まりに来て、浴衣を着こんで、祖父母含めた家族総出で盆踊りに行ったときの話に辿り着いた頃には、二人とも感極まり、その日何度目かの大泣きになってしまいました。

Sueが留学した頃は、東京でもまだ外国人は少なく、ましてや金髪の女の子が女子高の制服着て電車通学している姿も珍しかったから、複雑な思いをしたことも少なくなかったはず。
でも、そんな中でも日本の良いところだけ見てくれて、その時の経験を全て「良い思い出」としてくれていることが本当に嬉しかったわ。
彼女はその後、日本語教師となり、シドニーで長年にわたり日本語教育に注力し「日本シンパ」を育ててくれたのだから、その1年の留学がどれだけ日豪の架け橋の礎となったことやら。
今さらながら、文化交流は大事だと思い知りました。

私の「日豪」文化交流は再会したばかり。
次回は、私がシドニーに乗り込むことで今回はお開きとなりました。
早く行きたいなー、オーストラリア。

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