「アラカン」~お楽しみはこれから volume71
『昭和の懐メロ』
先日、大学時代の仲間で同級生のお宅に集まり、家族同伴のお食事会をしました。
こういった気の置けない友人で集まると、その当時の話題で盛り上がりますよね。我々も、ほろ酔い気分にのせられて、懐かしの『昭和懐メロ』大会に突入。
「俺、太田裕美が好きだったのよ」と、友人の一人が『木綿のハンカチーフ』を歌い出し、みんなで大合唱をしていた時のことです。
私の隣に座っていた大学生のお嬢さんが、歌詞カードを見ながら私の耳元でボソリ。
「この男、最低なクズ男ですよね。」
少々びっくりしたけど、歌詞を改めてじっくり読んでみて、なるほどと思ってしまいました。
例えば、
♬見間違うような スーツを着た僕の 写真 写真をみてくれ
だの、
♬恋人よ 君を忘れて 変わっていく僕を忘れて
毎日愉快に 過ごす街角 僕は 僕は帰れない
この女子大生の言葉を借りれば、「仕事に追われているならともかく、単に都会に浮かれて遊び暮らしていることをひけらかしているだけの薄っぺらな奴。サイテー」な男の歌だそうです。
フムフム、確かに。
さらに、
♬都会で流行の 指輪を送るよ 君に 君に似合うはずだ
と送られてきた指輪を彼女は、
♬きっとあなたのキスほど きらめくはずないもの
と言って断ってしまう。
これに対しても、「信じられない。そんな奴からは、もっと高いものゲットすればいいのに。何を我慢しているのだか。この女もメンタル崩壊している」と、憤慨していました。
ということで、令和の女子大生には、この昭和の名曲『木綿のハンカチーフ』は、メロディーはともかく、内容的には我慢ならない歌として彼女の記憶に刻まれたようです。
その場では、気持ち良く歌っている同級生のために静かにしていました。
しかし後日、彼女の力説を脳内で反芻しているうちに、なぜ今まで自分がこの歌詞にあまり疑問を呈さずに口ずさんでいいたのか、少し恥ずかしくなってきました。
改めて読むと、今の時代では通用しない男女の価値観丸出しの歌詞ですものね。
当時の私だって、内心では、『こんな人、私だったら好きにならない』という感情はあったはず。
『これを理想的な女性像として欲しくない』との思いもあったはず。
でも、この疑問や不信感を、彼女のようにはっきりと口にしようとは考えませんでした。
無意識に誰かに遠慮していたのかな。波風立てないように、感情を封印していたのかな…
ちょっぴり言い訳になるけれど、男女雇用均等法以前に社会人となった私たち昭和世代は、やっぱり必要以上に「男の人」の目を気にして、無意識に色々な気遣いをしていました。
だって、男性社会の中で仕事をしていくには、実力で勝負したかったもの。
カラオケみたいな私的な場での言動で、「女がいると面倒くさい」とは思われたくはなかった。
私のようなガサツな人間でも、言動には注意せざるを得なかったのだろうな。
まあその後、年齢と経験と精神的な図太さを得て、私もそれなりに発言力を増してはいきましたが、まだまだやれることはあったのだと思う。
時は平成から令和に移り、例えば今の小学生にとっては、大正や明治と一緒に括られてしまうぐらい、昭和は『過去』の響きがする時代になってしまいました。
今や、あの女子大生のように、男性中心の考え方に「おかしい」とはっきりと言える時代になったのでしょう。
良い傾向。
でも、昨年発表になった性差によって生まれる不平等を表す『ジェンダーギャップ指数』(世界経済フォーラム調べ)によると、日本は146か国のうち125位と過去最低を記録してしまいました。
順位もだけど、指数が低下していることが情けない。
まだまだ、本当の意味での「昭和の価値観」払拭は出来ておらず、グローバルなスタンダードに追いつくには道半ば。
というか、世界的に見て、まだ緒に就いたばかりの“途上国” 状態という体たらく振りなのです。
昭和の一時代を生きてきた者としては、これをしっかり改善して、次世代に繋いでいくのが宿命のような気がしています。
私も、「昭和のオジサマ」経営者たちに意見を言える立場(お年頃?)となった今、これを意識して、しっかりと仕事を続けないといけないな、と新年改めて思っています。頑張ります。
とは言え、久しぶりにカラオケに行って、八代亜紀さんを忍んでこようかな。
『昭和懐メロ』は、やっぱり体に染みついていますものね。好きなものは好きなので、歌うぐらいは許してもらおう、っと。
今年もよろしくお願いいたします。