「アラカン」~お楽しみはこれから volume44

『東京オリンピック2020』

東京オリンピック2020は大きな天気の崩れもなく無事に終わりました。
ほぼスポーツ観戦漬けの二週間でしたね。
私もグループLINEを使って友人とメッセージを送りながら応援する、という新しいスタイルを試しながら、感動したり悔し涙流したり興奮したり、と忙しく楽しみました。(競技によっては、複数グループでやり取りをしたので、途中から誰に何を送っているのか分からなくなりました <笑>)

でも終わってみると、4年に1回のテレビを通して経験する通常のオリンピック観戦そのものでした。
時差が無かっただけで、「東京で開催したんだ!」という実感がゼロ。
特に私は、ブルーインパルスの飛行も見逃したし、聖火台や会場周辺には行く用事もなく基本的に在宅勤務に徹していたので、なおさらかも。
東京に住んでいても、オリンピックの熱気や混雑や浮かれたお祭り感をいっさい体験できずに終わってしまったな~

当初は、世界各国からの選手・観客が日本に集い、自然に交流が生まれ、世界的なイベントを日本人が得意とする「お・も・て・な・し」で笑顔いっぱいにするのだと想像してワクワクしていました。でも、新型コロナという特殊要因で、それが全く実現せず。
2002のFIFAワールドカップや2019のラグビーワールドカップの時のように、「世界中の人が日本に集まって、最高峰のスポーツの祭典を行っている!」という高揚感が無かったのが本当に残念です。
また、無観客試合になってしまったことも致命的でしたね。
以前にも書きましたように、私は一生分の「宝くじ運」と引き換え(?)に、5種目のチケットを当てていました。なので、本来ならオリンピックの2週間は、色々な競技場で熱く応援三昧して自国開催を心底楽しむ筈だったのに… 
これもすべてパー。もう泣くしかありませんね。
(父からは、「これで宝くじが当たるようになるかもしれないね」という慰めが来ました…嬉しくもないわい!)

とは言え、私は根っからの「オリンピック大好き」人間。日本中でオリンピック不要論が沸き起こっていた時も、『やるでしょう、出来るよね』と思っていたので、取り敢えず無事に終わったことには一安心しています。
ただし、「終わりよければすべてよし」というわけにいかないのが今回のオリンピックだとも考えています。
だって、歴史に残る『準備不足大会』かもしれない開催になってしまったのですから!

あっ、ここで一つ補足説明を。
私は、決して現場の批判をしているのではありません。
運営現場の友人から聞いたのですが、始まるまでは、世論の厳しい声にさらされ、辛いことも多かったようです。特に色々な情報不足に悩まされながら、「縁の下の力持ちに徹する気持ちで黙々と頑張った」と話しているのを聞いたときは、ただただ頭が下がりました。
実際始まると、海外の選手たちからの評判も良いようで、「日本の大会運営は細やかな配慮が行き届いていた」と良好なコメントを見つけては、自分のことのように嬉しくなっています。

私が「準備不足」と表現したのは、あくまでも『国』としての準備のこと。
始まる前の恥ずかしいゴタゴタ(問題発言事件、人辞める事件など)は置いておいて、一番の問題は『コロナ対策』でしょう。
これについては、世間でさんざん語られてきた(まだまだ続いている)ので、一言だけ。
「コロナの心配がないオリンピック開催、を真剣に考えていたのなら、対策のやり方や目標(タイムライン)定め方をもっとはっきりできたのではないか。
政治家も委員会の一部先生も、単にオリンピックを自分たちのマウンティングの場として利用しないでほしかった!」

IOCと開催国との問題も随分と明らかになりましたね。
こんなに具体的な問題があからさまに露呈した大会も珍しかったのでは。
次の冬の北京大会(2022年2月)は、中国側が国威高揚も兼ねてIOCをバンバン持ち上げてくることが予想されるので、問題を洗い出し突きつけていくのは今しかないのかも。
国として、しっかりやっていきましょうよ。
何なら、この後の開催国であるフランスやアメリカを味方につけた交渉はいかがでしょうか ← と書きながら、これを推進していく母体が日本側には無いのがすごく空しく思えてきた…

最後に。
東京での開催が決まった時から頻繁に使われてきた「レガシー」という言葉。
覚えていますか。
終わった今こそ、『東京でオリンピックを開催したレガシー』として何が残ったのか、という厳しい問いにしっかり答えないといけないと思います。
新たに作った新国立競技場とかマンションとして生まれ変わる選手村などの「箱もの」はもちろん有形物として残ります。
でも、本来なら「無形レガシー」として人々の心に刻まれるはずであった自国開催をやり遂げる達成感やプライド、他国の人に日本を知ってもらう歓びや他の文化に接する刺激は、残念ながら半減以下。
それでも「スポーツの感動を目の当たりにすることができた」と言うのならば、それが日本国民にとって、いつものTV越しのオリンピックと何が違ったのか、しっかり言葉にできなければいけないのだと思います。
実は「オリンピック開催推進派」である私自身、この問いに応えられなくてずっと悩んでいます。
何かあるはずなのに。
一つの希望は、この後に開催される「パラリンピック2020」の成功かも。
これによって様々な偏見解消や障がい者スポーツに対する理解や協力が進めば、開催の意義について少しは語れるかも。
でもメディアの友人に聞く限り、取り上げ方はかなり薄そう。
うーん、個人的な何かできることがないか、現在思案中。

オリンピックに関しては、まだまだ語りたいことが多いです。
スポーツ競技そのものやメディアの取り上げ方など。
時間があったら、また持論を語らせてください。

では暑さに気をつけて。

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