「アラカン」~お楽しみはこれから volume3

『歌舞伎鑑賞』

しばらく振りに歌舞伎へ行きました。
歌舞伎役者さんの番頭をやっている友人が、「(片岡)仁左衛門兄さんの助六が今回はあるわよ!」と耳打ちしてくれたのがきっかけです。

私の歌舞伎との出会いは、父方の祖母に連れて行ってもらった小学生の時。もうかれこれ40年以上前のことです。
父方の家は生粋の江戸っ子ではありませんが、祖父母の代に東京下町で小さな店を構えていた縁から、お江戸の娯楽が大好きな一家でした。私も幼い頃から、「夏祭りだ!」、「相撲だ!」と、遊びの延長で祖父母にいろいろ構ってもらいました。
その祖母が、ある日「歌舞伎へ行こう!」と言い出し、一緒に行くことになったのです。
テレビで見慣れている寄席や大相撲とは違い、歌舞伎はかなり敷居の高い世界。ここからの準備が大変でした。
まずは歌舞伎の演目のお勉強から。お話をちゃんと調べろ、と祖母に言われたのですが、今のようにインターネットで簡単にわかる時代ではありません。漢字が羅列している意味不明な演目名を書き写し、学校の図書館で調べる方法をとりました。ただ、半ば強制的にやらされたので私もまったく気乗りせず、図書館の先生に丸投げ。「男と女の恋心が云々」という話を私に説明しなくてはいけなかった先生には、ご苦労をかけたかもしれませんね。
見に行く一週間前になったらまた祖母に呼ばれて、今度は歌舞伎役者についての講義。こちらはもう少しとっつきやすかったのですが、役者名は難しく混乱したものです。特に祖母は、興が乗ると自分が若い頃に贔屓していた役者さんたちの話ばかり。私は「先代の歌右衛門」とは、「センダイノ」という苗字の方だとかなり長い間信じていました。

そんなこんなのすったもんだはありましたが、当日はもうテンションMAX!一張羅のワンピース(昭和だな~)を着こんで、緊張して家を出たことを覚えています。
そして足を踏み入れた銀座の歌舞伎座。あの華やかなお客様の上品な雰囲気、きらびやかな舞台、神秘的なお囃子や三味線の音色。そして(セリフは何言っているかわからなくとも)目に焼き付いて離れない舞台上の歌舞伎役者の存在感。
その中でも、今でも “心トキメキ級” で思い出すのが、片岡孝夫さん(現・片岡仁左衛門)と坂東玉三郎さんのお二人での舞。本当に本当に美しかった!
今から思うと、この孝玉のお二人は30代前後で、ちょうど売り出し中の美男美女ペア。まだ10歳の小娘であった私ですら、その後光が射しているような艶やかさに魅せられてしまったのです。
幕間に「おばあちゃん、孝夫さま素敵だよ~」と興奮して話したように記憶していますし、祖母の目が「キラリ」と光ったように思います。

そんな祖母に舞台が跳ねてから連れていかれたのが、歌舞伎座のそば(中?)のブロマイド屋さん。幾多もある写真の中から孝夫さんのブロマイドを見つけて、「買いなさい!」と命じられたのでした。
状況がよく呑み込めなかった私は一旦断りましたが、そこから祖母のお説教が滾々と始まりました。
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役者さんは人気稼業なのよ。いかに舞台で人を魅了し、人気を保つかが勝負でありお仕事なの。
あなたは片岡孝夫さんの舞台に惚れたのでしょう?それならば、この役者さんを応援するのがあなたの大事な務め。これを買うことが片岡孝夫という人を立派な、つまり人気のある歌舞伎役者にすることにつながるのよ。
役者さんを応援することは、恥ずかしいことではないのです!
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40年前に当時60歳代の祖母から聞いたセリフですが、江戸の粋な文化そのものだと思いませんか?
私のミーハー魂は、確実に祖母から受け継いだものです。そろそろ当時の祖母の歳に近づいていますが、祖母の心意気を引き継いで、ミーハーの「錦の御旗」は降ろさずに頑張っています。

…なんてことを、今回の片岡仁左衛門さんの舞台を見ながら思い出してしまいました。
仁左衛門さんはすでに70歳代とのこと。確かに力強さは若い人に負けるけど、舞台での洒脱さや粋な伊達男ぶりは際立っていて、看板役者健在でした。
『私が応援した孝夫さんがまだ舞台に立って頑張っていらっしゃるよ』と、心の中で亡くなった祖母と会話をしながら最後の拍手を送っていたら、涙があふれてしまいました。
こんな歌舞伎鑑賞もあるのですね。

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