「アラカン」~お楽しみはこれから volume10

『パワハラ防止法案~理想の行きつくところ』

先日(2019/3/8)、パワハラ防止法案や女性活躍推進法の改正案が閣議決定されました。
後者があまり脚光を浴びなかったのは何故かな?とも思うのですが、今回は「パワハラ防止法案」について。

私の認識不足もあり、改めて読んでみると、色々な発見や驚いたことがありました。
そもそも、日本ではパワハラ防止が明文化されていなかった、という事実に、私は『へぇー』。
セクハラは男女雇用均等法にて、マタハラは育児介護休業法にて、企業の防止措置がすでに規定されているので、いわゆる「パワハラ」は後れをとっていた形だったのです。
さらには、「パワハラ」や「セクハラ」をそれぞれ切り離して定義・防止対策を行っていることにも、少々びっくり。
私の現場感覚では、実際の問題が起こった場合、「これはパワハラ」、「これはセクハラ」切り分けて考えることはかなり難しいし、あまり意味が無いような気がするからです。

諸外国の事例はどうなっているのだろう、と調べてみたところ、ヨーロッパ諸国が一番進んでいるようで、2000年初頭までには多くの国々にて、男女問わず、職場でのいじめや精神面でのいやがらせを規制する法律が制定されました。
また、2018年に国際労働機関(ILO)が加盟80カ国に行った現状調査では、「仕事に関する暴力やハラスメントの規制がない国」はその時点では20カ国しかなく、日本はそのうちの一つだったとか。
これまでセクハラしか定義付けできていなかった日本は、世界的には遅れていた訳ですね。

ただ、セクハラやパワハラを一括して規制をかけることに関しては、先進的な先ばかりではない模様。
実際に、ILOでは職場でのあらゆる暴力やセクハラを含めたハラスメントを防止するための国際基準づくりを今年目標で動いていますが、加盟国間での足並みが揃っていません。EUや中国などは条約作りに賛成している一方、米国やその他諸国は、一律に規制をかけることに抵抗中。(日本は、「定義が広すぎる」と2018年6月の総会では態度を保留。)

日本が遅れている、と文句ばかり言っても始まらないわけで、今回の「パワハラ防止法案」を契機に改善されていくことを切に願います。
ただ、完全な意識改善には、まだまだ先が長いような気がしてなりません。
例えば、今回のパワハラ防止ガイドライン作りでは、「企業側はパワハラの概念が広くなると上司が委縮し、指導ができなくなるとして審議会などで厚労省に慎重な対応を求めてきた」(日経新聞、2019.3.9)とのこと。
うーん…
強い立場を利用した圧力的行為や精神的苦痛を伴う差別的言動は、そもそも指導ではないのだけどな。これは家庭内暴力についても、最近似たような議論がありましたよね。
ハラスメント行為を防止する、ということと、このような規程の「悪用」を防ぐ、ということは分けて考えるべきでしょう。

残念ながら、私もいくつかのセクハラ・パワハラ問題の企業内対応に巻き込まれてきました。
訴えられた人にとっては、多くの場合が晴天の霹靂 ←これ自体が大問題。
訴えた人も、周囲で思っているよりずっと苦しんで、人には言えない罪悪感に苛まされながら行動を起こしているので、仮に訴えが通ったとしても嬉しいことは何もないのです。
間に入った企業の人間は、目先の火消しに追われる。それと同時に、未然に防げなかった悔しさと今後の防止策に向けての焦りで心が落ち着く訳がありません。
全員が敗者となるこのような戦い、誰も経験したくないはずです。絶対に防ぐべきなのです。

これからの日本は未曽有の人手不足の時代に突入します。
別に預言者でなくてもわかっている事実です。
つまり、男女であろうと、LGBTであろうと、日本人・外国人であろうと、色々な人が色々な形で働き手として働ける世の中を作って行かないと、そもそも日本の経済が成り立たなくなっていきます。
それなら、みんなが気持ちよく生産性高く働ける環境をつくっていくべきではないでしょうか。
このハラスメント防止法の行きつくところは、パッチワーク的な「禁止規定ガイドライン」(つまり委縮型規制)ではないと思っているのですが、少しユートピアすぎるかしら。
今回は、ちょっと理想論をぶち上げすぎたかもしれませんね。

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