三度の飯より寿司がすき volume43

『2021年師走②~ラーメン遍~』

先日、職場近くのラーメン屋に入った時のこと。
そこはビルの6階。食券を事前に購入し店員に渡すシステムです。
いつもの私ならば「中華そば味玉付き」のボタンを押したでしょう。
しかし2021年師走の司はどこか違っていました。
頭の中で声が聞こえるのです。
「その味玉、本当に必要なのか?」と……。
私は自問自答し、そして決断しました。(この間わずか2秒)
押したボタンは「中華そば」。
自信を持って取り出した食券を店員に手渡し、席につく。
運ばれてきたラーメンは「イッツ・シンプル」。
澄んだスープの下には、ミニマムな具の間から奥ゆかしく麺が顔を覗かせています。
「余計なものなど、ないよね~。」
私の頭の中で飛鳥が歌っています。
いつもの私ならばここで真っ先に胡椒をかけているのですが、
2021年師走の司はやはりどこか違っていました。
「なにも足さない。」
またどこからか聞いたようなキャッチコピーが聞こえてきます。
胡椒を手にとるのを止め、そのままの味をいただきました。
すべての麺と具を平らげて思ったのは、
「ちょうどいい。」
ということでした。
ただ単にラーメン屋でラーメンを食べただけのように聞こえるこの一連の出来事から、私は悟ったのです。
「もう、味玉はいらない」
ということを。

……何が言いたいかと申しますとですね、
私はこれまで「余計なオプション」を付けすぎていたのだ、ということにようやく気づいたのです。
まるで「たまご」という高級食材を口にすることなく死んでいった前世の無念を晴らすかのように、ラーメン屋に入ると必ず義務のように「味玉」をトッピングしていた私。しかしその味玉分、腹八分どころか十分を超えていたのです。
最初は美味しそうに見えるけれども、食べ終える頃には「味玉いらなかったかも……」と思う事一度や二度ではありませんでした。人は同じ過ちを繰り返してしまう生き物。でもきっと、変わることもできるはず。その変化の日が、ようやく訪れたのです。
昔、オーダーして運ばれてきたラーメンに生姜やら胡椒やらラー油やらを入れる私を見て「まだ一口も食べてないのに!?」と同僚にびっくりされたことがありました。その時はまだ20代だったので私も尖っていて「ハ!?私の勝手だろうが!」って思っていたんです。でもあの時の私、間違ってたな、って今頃気づきました。

何も足さない。
欲張らない。
そのままの味を、楽しむ。
もちろん飽きてきたら味変するのもありです。

しつこいですが、
何も足さない。
これ、本当に大事だなと。
いくつになっても学びはありますね。
人生って、面白いですね。

上記全部ラーメンの話ですが、人生にも言えると思います。
私はこれまで余計なオプションを付けすぎていたのです。
本当は必要のない、余計な選択肢を自ら増やしてきてしまったのかもしれません。
なので、来年は、私がこれまで無意識につけてきたオプションを外しまくって、シンプルな司として生まれ変わることを、ここに宣言いたします。

もう、味玉はいらない。

それではみなさん、良いお年をお迎えください。

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