三度の飯より寿司がすき volume8

『運転免許と私』

That people imagine, it is sure people can be realized.
「人が想像することは、必ず人が実現できる」というジュール・ヴェルヌの言葉です。なんてことを書きながら、ヴェルヌの小説1冊も読んだことないです、すみません。ただ、この言葉を聞いたことがある方は多いと思います。この言葉を聞くと私はいつも、子供に夢を与え続けた天才、藤子・F・不二雄先生を思い浮かべずにはいられません。ドラえもんに登場する夢みたいな道具は、ヴェルヌの言葉を借りればすべて実現可能ということになります。スモールライトや暗記パン、タイム風呂敷にどこでもドア・・・!欲しい・・!
しかし、どこでもドアの製品化が実現したらすべての航空および船舶そして鉄道会社は倒産してしまいますよね、光の裏には必ず影ができるものだな、などと感慨に耽ってみたりしつつ。私が小さい頃にはあり得なかったSFのような世界が少しずつ実現しつつあるのもまた事実です。

ところで私は運転免許を持っておりません。人生で一度たりとも運転免許証を持っていたことがありません。あれだけヒマだった学生時代、教習所に通わなかったために、今肩身の狭い思いをしております。職場でも、プライベートでも、「大人は運転免許を持っているもの」という認識が皆強く、「え?免許、持ってないんですか?」と驚かれること何回だか何十回だかわかりません。そのたびに私ではない他の誰かに運転してもらって、私はその時助手席か後部座席で起きてるフリして寝ていたりします。最低ですね。運転できない代わりに、せめて起きていよう、と思うのですが、気を許している相手の運転だと尚更寝ます。本当にすみません。

ではなぜ私は免許を取らなかったのか。学生時分でお金が無かったとか、そんなのは建前の言い訳です。車を運転してみたい、という欲よりも先に「絶対にぶつけるし、事故を起こす」という自信、いや、確信があったので、取得を自粛しました。歩いていれば人にぶつかっても「あ、すみません」で済みますが、車の運転だとそうはいきません。守るべき法律が増えるのも、私にとっては恐怖なのです。だったら歩いていよう。電車やバスに乗って移動しよう。と、ずっと思っていたのですが、もしかしたら、あと数年後くらいに私も車の運転ができる世の中になっているかもしれません・・・!いわずもがな、最近本当に人工知能の開発が進みに進んでいるからです。

先日テレビで、人工知能が人を追い越す、その時私たちは?という内容の番組が放送されていて、大変興味深く視聴いたしました。日本でも海外でも様々な場面でAIが生活に入り込んでいて、もはや人に対して人間よりも大きな影響力を持つ人工知能に少し恐怖を感じつつも、これはもう、車の自動運転なんてすぐそこではないか!という期待で胸が高鳴りました。

いろいろと調べていくと、技術的にはもちろんここ数年で可能にはなるのだが、法律の準備が進んでいないこと(事故の際の責任は?AIは学習して運転機能を習得していくため、前例がないものには対応できないのをどうするか。何を優先してトラブルを最小限にするのか、などの倫理感も含め検討の余地あり)や、国によっても価値観や規則が違うので、その整備にかなりの時間を有するのではないか、という見方もあるようです。
ふむふむ、でもそんなに遠い未来でもなさそう。

というわけで、今日も私は歩きます。
電車に乗って移動します。
そして近い未来、いろいろなことがクリアになって無免許の私でも運転可能になった暁には、晴れてハンドルを握ろうと思います。
その時はもうハンドルなんてないのかもしれないけど。

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