三度の飯より寿司がすき volume1

『はじめまして』

初めまして。司寿嶺(つかさ・ひさね)と申します。
本名ではありません。
寿司が好きすぎて、名前に‘’SUSHI‘’を入れたくて。
ぐるぐるとペンネームを考えていた末、字画が特殊格のこの名前に辿り着き、名乗っている次第です。

私は埼玉の田舎町で生まれ育ちました。
いわゆる団塊の世代の見本のような家庭で、専業主婦の母に、育児を任せきりの父、2学年上の姉と私の4人家族でした。
運動会や文化祭、入学式、卒業式など、子供の成長の節目にあたる行事に父が参加したことは一度もありません。「うちは母子家庭だからね・・・」と母がよく冗談のように言っていました。父は毎朝、私と姉より早く家を出、片道2時間かけて東京まで通い、私たちが寝た頃に帰ってくることが多かった。休みの日もゴルフや仕事仲間との旅行など、いわゆる「つきあい」というやつで、あまり家にいなかったように記憶しています。

物心ついた頃から、私は母の、とある口癖に違和感を覚えるようになりました。
生活習慣についての注意をする時、母はいつも枕詞として「女の子なんだから」をつけるのです。言われるたびに嫌な気持ちになったのを今でも覚えています。
母がよく口にする「女の子なんだから」は、のどに刺さった魚の骨のようにひっかかり、やがて私の心の底に泥のように沈み込みました。異物と感じるその泥を吐き出そうと、言われるたびに私は口答えをしました。
たとえばこんな感じです。

・ 女の子なんだから部屋をきれいにしなさい。
・ 女の子なんだから食事の支度を手伝いなさい。
(女の子なんだから料理くらいはできるようにならなくちゃね、っていうのもあったな・・・)
・ 女の子なんだから洗濯物をきちんとたたみなさい。
・ 女の子なんだから行儀良くしなさい。

現在でも「女性がすべき、できて当たり前」と世間一般に思われているような日常の家事や雑務を、「あなたが女の子だから、お母さんは一生懸命教えているのよ」という圧力が半端なく重く感じられたのです。母が私と姉にこの枕詞付きで教えること一切を、父が全く実行しなかったことも不満に感じられました。(父はお湯も沸かさない人でした)
幸い私には兄も弟もいなかったので、兄妹間の不公平さを感じることはありませんでした。しかし母の言葉の端々からは、まだ見ぬ(将来関わるであろう)男の子との役割の差、性別による区別がこの世にはある、ということを感じさせられて、どうにも居心地が悪かったのです。母の言葉の裏を返せば、もしも私が男の子であったなら、そういう面倒な雑務は一切やらなくてよい、ということになります。だから私はいつも、「じゃあ、私が男の子だったら掃除しなくていいんだ?お風呂とか全然入らないで汚れていてもいいんだ?料理の手伝いも洗濯物たたむのも、ぜーんぶやらなくていいんだ?」と反抗していました。そんな時、母は決まって「またこの子はそういう屁理屈を言って・・・」と困ったような顔をするのでした。

私は母のことは大好きでした。
でもこの言葉を発するときの母だけは、好きじゃなかった。
この考えは母だけのものではなく、父のものでもありました。
父母はよく、私に「女の子なんだから別に大学なんて行かなくていい」と言っていました。なんたる時代錯誤!!
このもやもやした感情を一番最初に私に植え付けたのは他でもない母、そして父でした。世の中にはこのような考え(男は外、女は内)に凝り固まっている人間がいかに多い事か!父母が行かなくてよいと言った大学を出、社会人として働き始めると身を持って体感することになりました。そしてそれは今でも続いています。

このコラムでは、いまだに日常で感じるたくさんのこうした違和感をざっくばらんに書いていけたらと思っています。
若い頃はその思いが心の中にありながらも、きちんと向き合うことができなかった、この違和感を掘り下げて、時に笑い飛ばして、つきつめて、時にぶっ壊していければと思っております。女に求められる役割があるということは、男にも求められる役割があるはず。「男は家族を食わしてなんぼ」とかね。(これ、うちの両親が言ってたな・・・そして私も少なからずその言葉に最近まで影響を受けていた気がする・・・ヒィィ。)
昔はそれで良かったかもしれないけれど、時代も変わってきて、その半強制的な役割分担は、ある人々にとってはお互いの首を締めるだけなのでは?と、このごろとっても強く思うのです。
男だろうが女だろうが、得意なことは伸ばしていけば良い。パートナーとしてふたりで生きて行く際も、お互いの得意なところをお互いの足りないところに埋めて行けばいい、と思うのです。そういう生き方こそが、私の思う「幸せ」なんだな、と強く思う今日この頃です。(いまだ実現できてはいませんが・・・)
社会や人に押し付けられた役割に縛られることなく、女男関係なく、みんながのびのびと生きていける世界になるといいな。と思いながら、隔週でコラムを書いてまいります。

以後、お見知りおきを。

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