三度の飯より寿司がすき volume60
『習い事とわたし』
初めての習い事は習字でした。
たしか小学1年生の時。それまでの私の字は絶望的に汚く、幼稚園児の落書きのような字を書いていたと記憶しています。まあ、まさにそれまで幼稚園児だったんですけどね。
毎週土曜の午前、徒歩3分ほどの教室へ。まずは硬筆。鉛筆で文字を書き、先生のOKが出たら次は毛筆。和室のだだっ広い部屋で正座をして道具を広げ、洗って干して固まった筆の先を墨でほぐしながら今日の課題の文字を書く。
4年も通うとさすがに読める字になっていき、学校の硬筆展でもなんか賞をもらうレベルまでいった気が(うろ覚え)。今でも仕事で手書きの文字を書く機会があるので、あの時習字を習わせてくれた両親に感謝です。
小学2年の9月。次に通い習い始めたのは算盤でした。この頃、小学生の間で算盤塾が大流行していました。いまでいうダンス教室くらい人気があったと思います、マジで。みんな通ってた。
皆勤賞を取ると毎月点数券がもらえ、それを集めると教室の奥に置いてあるガラスケースの中にあるファンシーグッズ(もはや死語ですね。可愛いキャラクターやイラストがついた文房具などのことです)と交換できるという特典もあって、子供たちが楽しみながら通える策をちゃんと考えてくれていたのだなあ、と、今となっては先生に感謝です。みんな先生に採点してもらうのを待っている間、このショーケースを覗いていました。塾に通うモチベーションになったのは言うまでもありません。
今とは違いクソがつくほど真面目だったその頃の私は片時もサボることなく毎週3日通い続けました。毎晩、布団に入っても2時間くらいは寝られなかったため(神経過敏な子供だったんです、今と違って!)暇で仕方なく頭の中で算盤をはじいていました。1から100までを足すと5050になるんです。それを永遠に頭の中で続けていました。極度な怖がりだったので、夜寝る前の怖さを紛らわすために頭の中の算盤に注意を向けていたんだと思います。そんな無意識の努力が実を結んだのか、珠算教育連盟が年に一度主催する競技大会にメンバーとして選出され、塾代表として参加することに。算盤、暗算と、準優勝やら優勝やらのトロフィーを持ち帰ることもたびたびで、最終的に4段まで取得することができました。
習字に算盤。こんな昔の寺子屋みたいな習い事ばかりしていた私ですが、本当は、本当は、ピアノを習いたかったのです。
私の家は父が公務員、母は専業主婦と貧乏ではないけれど決して裕福な方ではなかったのと、両親共に女の子は大学なんて行かなくていい、という非常に男尊女卑な考えがあった&そこまで教育熱心ではなかったため「親に無理やり習い事をさせられる」という経験が皆無でした。習字も算盤も、姉が習っていたので私もやりたい!と、自らお願いして習わせてもらったものでした。
気づけばクラスの女子はほとんどがピアノ教室に通っており、みんな当然楽譜が読める。音楽クラブに入ってしまった私は、顧問の先生にヘ音記号が読めないことをバカにされたのを覚えています。あいつ、許さねえ。こちとら授業で習ってないんだから知るかよ!そして知らないからって丁寧に教えてくれるわけでもないその音楽教師のせいで、ピアノに苦手意識が生まれたのは確かです。ほんと、幼少期にどんな大人に出会うかで、その子の将来は変わっちゃうんだよ。お前ら責任重大なんだかんな!って、今もしその教師に会ったら言いたい。書いてて気づいたけど、初めてのクラブ活動に音楽部を選んでオルガンを弾きたいって思ったのも、やっぱりピアノを諦めきれなかったからかも。(そのやる気は音楽教師にへし折られたけどな!)
ピアノを習いたい!
母にそう伝えたものの、うちにはピアノはなく、買ってもらえるわけもない。
そんなに習いたかったら自分で申し込んでくればいいじゃない、と言われたけれど、家にピアノがないのにどうやって日々の練習をするのか。大人になって自分で稼げるようになってから習ったって遅くはない、とも言われました。
親に無理矢理習わされていた友人たちが次々にピアノをやめていく、またはどんどん上手くなり、合唱コンクールで歌うのではなく伴奏側にまわる。私にはどちらも叶わない夢でした。結局、月謝がこれ以上増えたら家計の負担になるよなぁ、とピアノ教室の門は叩けずに大人になってしまいました。
そして25歳の時、表参道のピアノ教室の門を叩くのです。
大人になった私は、今こそ自分で稼いだ金で通ってやろうじゃないの!と思い立ち、仕事の後に週1回、まずはクラシック、そしてジャズピアノを習いました。3年くらい通ったでしょうか。初めて1曲通して弾けるようになった「Moon River」を友人の結婚式で弾かせてもらいました。たくさん練習したなあ…遠い目。あと、教室の発表会で1回だけ、スティービー・ワンダーの「Isn’t She Lovely?」を披露したなぁ。あれからもう20年かぁ…遠い目。結果この2曲しか弾けなかったけど楽しかったな。(もちろん今はもう弾けない)
買い物時に瞬時に計算できたりと、日常で役立っているのは算盤だったりします。
でも駅や空港に置いてあるピアノをさらっと弾きこなす人への憧れは尽きません。やっぱりピアノ弾ける人ってかっこいいなあ、と思いながら算盤はじく人生を、私はこれからも歩んでいくのだと思います。