随に(まにま-に)volume7

『言うまいと誓った言葉』

あ、これ年下 (特に同性である女の子) に言うの絶対やめよう。
そう思った言葉が最近一つあります。
それは、「若いころの私にそっくりだわ」です。

そういった、たとえその人個人にとって事実だとしても、年下にあまり言わない方がいいのではないかと言うワードは、いくつかあると思うんです。「今の若い子は…」「私の時代は…」も、使うタイミングによって、言われる側にとってはムッとしてしまいそうな響きを持っているのではないでしょうか。また、それを年齢をマイナスな要素として捉えているような人が言うと、卑屈な感じが伝わってしまいますしね。

なぜ「若いころの私にそっくりだわ」が嫌だったのか。
いえ、正直むかついたとか、嫌だったとはまた違う気がします。言われたときは、割と言葉を鵜呑みにする私です。「そうなんだ、〇〇さん(話相手、5歳ほど年上)は、今の私に似てたんだ〜」と、一旦そういうことにしました。ただ、漠然とした違和感はあったのです。

そしてふと後日、回想した時に思ったのです、「いやいや、似てないよな」と。

職種も違う
配偶者の有無も違う
経済力も違う
学生であるかないかも違う
話の主題となっている制度が、今とは違う

等々、その時に話の軸に対して「似てる」というために、必要なはずの情報がまるで一致しなかったんですよね。

相手の女性は、状況だけでなく、私がそれに対して思うことについて、当時の自分と「似てる」と言っている口ぶりでした。その人の若い頃ににそっくりだとすることは、「あなたはこういう人だと決めつけられる」ようなものです。

ただ、人と一緒にいる時、そして特に問題解決のために話しているとき、
ポイントになるのは、類似点ではなく、相違点ではないかと思うのです。
優劣でもなく、どっちが正解か不正解かでもなく、
その人と人との間に見出される状況や感覚の差異が大切なのだと思います。

しかしながら、今のところ言われた「若いころの私にそっくりだわ」の後に続くのは、「気にしたってどうしようもないのよ〜」なんていう言葉だったりしますからね。

似てる、から分かる。
私と同じでこういう人だ、気にしないのが一番だ。

結論、なんの足しにもなりゃしない。

年上の方が実際に経験したことを話していただけるのは、参考になることが多いのでありがたい限りです。
ただ、参考になるのは、酸いも甘いも問わず、それらの経験があるから今があると、歳月に愛着を持てている方から発せられた言葉の中にあると私は思います。

若くあろうとすること自体は悪くはないと思うのですが、それゆえに年下に、自分を重ねてばかりいるのは、相手にとって何の意味もありませんよね。
また、そういう人に限って、逃げ道を探したいときに自分のことを自虐的に「オバサン」と一人称呼びするなど、年齢をネタにしている気がします。そして、その自虐は年下からすれば、つついてはいけない領域を感じさせ、質問の機会を奪う行為にもなり兼ねません。

ちょっとこのことに対しては、我ながらブラックな側面が心の中で、にょっきっと顔を飛び出した私。

最近は、該当する諸先輩方が「若いころの私にそっくりだわ」発言をするたびに、
5年後この人たちの年齢になったときに、年下に同じセリフは言うまい、
そして5年後この人たちに、同じセリフを私に言わすまい、と冷ややか〜に心の中で誓うのでした。
でもせっかくなら、どこがどうそっくりなのか、いつか突き詰めて聞いてみるのも一興かもしれませんね。

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