随に(まにま-に)volume14

『泣きたい時は』

みなさん最後に涙を流したのはいつですか。
私は記憶にある限りでは、ついひと月ほど前に京都駅のJRの在来線と新幹線とを結ぶ改札口で号泣したときです。
そして、そのまま続けて流れてくる涙を止まらず、その時期に住まわせもらっていた友人宅へ向かって徒歩20分ほどの距離を、晴天の真昼間に歩きました。
すれ違ったサラリーマンは驚いた顔をしていましたし、建設現場の外で休憩していた職人さんと思われる男性には、珍しい物を見るようにじろじろ見られました。あの人泣いてるぞ、と言わんばかりに私に指をさして隣の人に話している人もいました。

いきなり蛇足なのですが、私は基本涙が出る時は右目から必ず出ます。
少しだけの時は、右目からしか流れず、
〝号泣〟の時は、もちろん両目から流れるのですが、
明らかに右目からの流量が多いのです。

これについて、
一般的に右目から多く出るのが、嬉し涙。
左目から多く出るのが悲し涙。
という説を聞いたことがあるのですが、

それだと私、ほぼここ数年、嬉し涙しか流していないことになるんですよね。
映画とかみてでた、「感動の涙」は一般的にどちらから流れるのか気になるところです。

みなさんはどんな感情の時に涙が出てきますか。
泣きたい気持ちになりますか。

私は小さな頃から、怒りの落とし所を見失った時や、
自分の感情の形容を言葉にすることを躊躇う、けど言わなければならない状況に陥った時に涙が自然に出てきます。
あとは、映画や小説に心動かされ、涙が出てくることも。

疲れや、理由がはっきりしないストレスがあることを感じた時は
自分が泣けそう映画をあえて選んで観たり、
何人かのお気に入りの作家さんの中から本を選んで読みます。

いつからか分かりませんが、泣くことが自分にとってとてもストレス解消になることに気づいてから、
「よし今日はこれを観て(読んで)泣こう!」というくらいの心構えで、作品を選びます。
もちろん涙が出ないこともありますが、どちらにせよ疲れや気持ちのもやもやから一度遠ざけてくれるので、少なからず気分転換になるのです。
この「泣く=ストレス解消、リセット効果」というのは自分ならではのことだと思っていました。
しかし最近、これは医学的に証明されていることを知りました。「涙活」イベントなんていうものも開催されているということです。

ただ、こういった能動的に泣くために、わざわざイベントが存在することの背景には
大人になるにつれて、泣くことに何故か後ろめたさを感じやすくなっている人の方が多く
毎日の生活の中では自然に泣けないということがあるのではないでしょうか。
私は、先日の京都駅での号泣の時もでしたが、涙を堪えることはあまりしません。
泣きたい時に泣いて何が悪い! くらいの気持ちでいます。笑いたい時に笑うのと同じで、失礼な行為でなければいいのでは、と思っています。
(ただ、私は泣くと自分の鼻が真っ赤になり、なかなか見れない顔になることを知っているので、お見苦しい物をお見せしてすみません、.という申し訳なさは時々ありますが…..)

さて、職場で泣くことはどうなのでしょうか。
先日、仕事終わりの友人と食事をしたのですが、「会社で泣いてしまった」と、とても落ち込んだ様子。
彼女が仕事をものすごく頑張っていることを知っている分、涙を流すほど落ち込むことがあったことに即座に私は悲しくなりましたが、
どうやら話を聞くうちに、落ち込んでいるのは職場で起こしてしまったミスそのものに対してではなく
「泣いてしまった」ことに対してだということを知りました。
年上の男性ばかりがいる環境で働いている友人ですが、ミスに気づいておらず怒鳴られてしまい、泣いてしまったようです。
「自分が悪いのを分かっているだけに、そこで泣いてしまうと相手に気を使わせるのが申し訳なかった。」
「泣くと〝これだから女は〟とか〝女であることを利用している〟と思われそうで悔しかった」
そんな風に話しながらまた泣きそうな様子でした。

難しいですね。彼女はその後、「泣いてしまって申し訳なかったです」とも謝ったそうです。
確かに20も歳の離れた女性に泣かれてしまい、その男性は困っただろうな、と少し不憫にも思います。
でも、涙って個人差もあると思いますが、感受したことに対する一つのバロメーターですよね。
もちろん、場所や相手との関係性に応じて絶対泣かない方がいい状況というのはあると思うのですが、彼女の話を聞く限り、今回叱られた職場の方は彼女に対してとっても愛のある方のようです。そんなに落ち込む必要ないんじゃない? きっと大丈夫だよ、もう同じミスしないといいね、と私は思っています。

そして、今この文を書いている新幹線の中でまたこれから起こることを思って、まだ何が起こるか分かりもしないのに何だか泣きそうになっています。
(やっぱり、涙が出そうなのは不思議と右目です。悲しくはないけれど、嬉しい気持ちでもないのに、です。)

せっかく早起きしてした化粧が落ちるのは嫌なので、違う考えことでもして涙を回避しようかなと。

涙を堪えないといけないときはもちろんあるけれど、素直に泣いたり、もっというなら子供のように大声で泣くくらいの感情に正直な瞬間を何歳になっても持っていたいなと思います。

「泣く」という一つの大きな感情表現を自然にできる環境が、全ての人の日常の中にありますように。

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