随に(まにま-に)volume10

『ストレスを抱えるほど甘くなる』

「トマトってストレスを抱えるほど甘くなるんだってよ。」
そんな話を、先日おでんを4、5人で囲みながらしました。
なぜ、おでんを食べながら、その鍋の中にいもしない、トマトの話になったのか不思議ですが、「あぁ、それって素敵だな」と強く思いました。

だってそうじゃないですか。ストレスって、私は例えば色として想像してみたら、深緑と灰色と茶色をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたようなイメージしかありません。ストレスを抱えている気持ちの自分を思い出してみても、不定形の体の中にあるべきではない金属質の何かが胸につっかえている感覚です。それを取り出して、ストレスの原因となった出来事や人に、思いっきり投げつけてやりたくなります。

そう、とにかく私にとってストレスとは、「体の中にあるべきではないもの」なのです。

そのため、ストレスを抱えるほど甘くなる、トマトの存在を聞いて、なんて素敵な性質なのだろう! と本気で思ったのです。私もトマトになりたい! と思ったのです。

そこで最近は、ちょっとでも嫌なことがあるとトマトを頭の中に描くのです。綺麗に赤く、まぁるい、つやつやっとして、中はジューシーなトマトを想像するのです。
泥のような気持ちが、もにょもにょ悪態をつく気配があれば、「トマトは甘くなる、甘くなる… 綺麗な赤…あか、」と念仏のように唱えるのです。 
ちょっと我ながら、訳のわからない心の中の独り言ですが、意外と気がまぎれ、気持ちを切り替えるのに、今や一役買っています。

まぁ、でもやっぱりストレスって抱えたくはないですよね。
基本的には体に毒なのだと思います。
ただそんなことを考えると、ストレスに関してもう1つ思い出すことがあります。

ひと月ほど禁煙しているという知人がいました。健康のために辞めるとのことでした。
禁煙をしていると耳にした1週間後に会った時に、待ち合わせのテーブルに煙草の箱を見つけました。私の目がそちらにいったのに気付いた知人は、先日飲みに行った際につい買ってしまったのだと、バツが悪そうに言いました。私は、非喫煙者です。ですが、喫煙者がそばにいてもそんなに嫌な気持ちになることはありません。そのため、ふ〜んくらいな感想しかでてこなかったのですが、相当相手はバツが悪いらしく、つい買ってしまったんだと、しばらくぶつぶつ言っていました。
その様子を半笑いで見ながら、確かに今まで習慣になっていたものを辞めるのって大変なことだし、徐々に徐々にっていう感じなのだろうな〜と思っていました。
本人が、本当に辞めたかったらやめるのだろう、とも思っていました。
そしてまた、その後も頻繁に会っていたのですが、割と人並み以上に鼻が効く私。う〜ん、多分これは喫煙してるな、と度々思うことがありました。ただ、本人が前回気付かれたことで、バツが相当悪そうだった様子と、ちょっと隠しているのではないかという素振りがあったため、あえて突っ込むこともありませんでした。
しかし、とうとうある日、ふっと横で普通に吸い始めたため、「あれ、今もう吸ってるの」と、聞いてしまいました。すると、前回はただただバツが悪そうにしていた知人でしが、今回はというと、、ちょっとムッとしつつバツが悪そうな様子で、「だって、吸うのを我慢するストレスは体に悪いから!!」と言うのです。
おいおい、ですよね。私も、相手の気が悪くなるのかもしれないのが想像できたのに、ちょっと悪戯な心であえて質問をぶつけたのは認めます。でも、ただまだ一言質問しただけだし、攻めてもないんだから、ムッとせんでくれ〜〜〜。そして、禁煙をやめた理由、なんだそれ〜〜と、ちょっと薄笑いで「あ、そうなんだ」と返すしかありませんでした。

健康のためにと禁煙を始め、我慢をするストレスは健康に悪いと、喫煙を再開した知人。

いいんですよ、それぞれの選択のことだし考え方の問題です。
確かに私も、冒頭に書いた通り、ストレスは体の中に溜めたくないことです。

ただ、あの時の私に気転が利いていれば、相手がさらにバツが悪くなってしまうような「あ、そうなんだ」という、冷たい返してではなくて、
「ストレスでトマトみたいに甘くなれるかもよ?」なんて、ちょっと可愛く言えたかもしれない、と悔やまれるばかりです。

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