随に(まにま-に)volume21

『自利利他でありたい』

新型コロナの影響で、あっと言う間に色んなことが変わりましたね。

私も大学修了に加え、新型コロナの影響もあり、変化に富んだ春を迎えることになりました。

コロナの影響というと悪いことのようですが、
どちらかというと全体的にはいい変化に向けた決断ができたのではないかと思えます。

「自他の利を考えること」を周りに説くだけの人。
「あの人は自利利他だから」と、周りが言う人。

そんな2人の存在と、前回追えなかった私の最近の3ヶ月について。

「自他の利を考えること」を周りに説くだけの人。

そんなあの人とは、毎週、いや、ほぼ毎日のように仕事のやり取りをしていた。
今年に入ってから彼女は「自他の利を考えること」を私だけでなく、周囲の人間によく説いていた。
「他人の利益を考える仕事をしようね。」
私も何度とそう言われたと思う。
そんな彼女と、3月半ばごろから一時期ぱたりと連絡が取れなくなった。
やっと連絡が取れた時、彼女は「新型コロナの影響で….」と全てのことを包括しようとした。
そんな影響、大多数の人にあったはずだ。
それでも、やらなければならない2人の間の仕事はあり、むしろ影響があるからこそ、早めに考え対処しなければならなかったのに。
だから、連絡していたのに。
こっちだって、影響の対処に追われていて、暇じゃあない。
連絡が取れない彼女の代わりに、私に連絡する人も多くいた。
皆、不安だったと思う。
嫌な気持ちで催促を繰り返して、やっと連絡がきて、
嫌な気持ちから呆れた気持ちになって、前に進むことができた。

「コロナが、コロナで、、」と彼女は申し訳なさそうに言うけれど、
語られる問題は新型コロナで世の中が変わる前からずっとあった。
「経済が、、、、」と彼女はそれらしいことを言うけれど、彼女の生活や懐のあり方が、新型コロナで揺らぐものではないことを知っている。
本当に新型コロナの影響で、失うものがあった人が世の中にはたくさんいるのに、あたかも自分もその1人であるかのように振舞っていることに心底嫌気がさした。

私が待っていた間の時間、彼女は私の「利」について考えてくれただろうか。
金銭的な「利」を言っているんじゃない。
少しの思いやりが欲しかった。
あったかもしれない、私が未熟で見逃していただけかもしれない。
けれど発せられた言葉は、後々トラブルを起こさないためだけのそれらしい理由にすぎないように感じた。
「自他の利」をよく周囲に説いていた彼女の、今の姿が心底嫌になった。
なぜだかわからないけれど、これ以上側に居続けたら体が内側から腐っていく気がした。
いつか自分が欲まみれで、惰性な人間になる気がして怖くなった。
世の中に必要のない人はいないって言うのは真実だと私は思うけれど、
私の人生には必要のない人だと、サヨナラを決意した。

「あの人は自利利他だから」と、周りが言う人。

そんなあの人とは、連絡を取るのは年に数回のことだった。
とても忙しい人だと分かっているから、その数回もだらだら続けたりしない。
元気なことを知るだけで、自分が元気なことを伝えれるだけで、十分だった。
この状況下で、「お元気ですか ?」なんて聞いて良いものか迷ってひと月、4月に彼女の知人の訃報を耳にし、尚更連絡をためらった。
連絡しようか、携帯を握りしめていたら「元気 ? ちょっと心配で連絡しました。」と彼女からきた。
その日は、自粛中の生活等についてなどいつもより多めにたりとりをした。
区切りがついたように思えて、返事をしないでいたら、付け加えるように時間をおいて、「困ったことがあれば遠慮なく言ってね。」ときていた。

飲食業、特に彼女の商いは一般に、水商売とカテゴライズされると思う。
「水」が、先の見通しが立ちづらく、収入が確実ではないことを指すかとがまさしくそうであるように、新型コロナの影響は大きかったはず。
彼女は、きっと既に一生分の蓄えはある人。
だから生活が揺らぐような心配はしていなかった。
それでも、仕事と人が好きな彼女がお店を閉めなければならなかったのは、つらかったはず。
そんな中、心配の連絡をくれたことが本当に嬉しかった。
彼女に頼る人は多いと思う。
「困ったことがあれば言ってね。」は、彼女が発するには少し危険な言葉。
本当に、ある程度のことができてしまうから。
明らかに経済力のある人だから、新型コロナで世の中がこうなる前ですら、彼女にお金の無心をほのめかすような人がいたことも知っている。
無責任な人じゃないから、「困ったことがあれば、、」なんて簡単に言わない。
ある程度長い付き合いでも、今まで彼女がそう口にしたことは聞いたことはなかった。
だから、その言葉をもらえたのは、少しだけ本当に少しだけ、特別に信頼してくれているから、その言葉をくれたのではと思えて、特別に嬉しい。
だからこそ、多少生活が苦しくても困っても連絡はしないで、踏ん張ろうと思える。
元気で、前向きな連絡をたくさんできるようにいようと思う。

ひと月後の5月、また彼女からの連絡。
「〇〇さんのところのお弁当買うから、届けるね。」
知り合いの料理屋さんにお金を落とそうと、たくさんお弁当を買うのも彼女らしくて、心がほっこりした。
私を思い出してくれただけでも嬉しかったのに、その日に限ってテレワークではどうしてもできない仕事で、烏丸に出ていたら、わざわざそこまで届けてくれた。
お弁当より、会って少し話せたのがとても力になった。

以前、彼女を知る共通の友人と彼女について話しをした。
「あの人は自利利他だから」と、言っていた。
自分にある利を、人に分け与えることを知っている人。
一度彼女がそうであることが身に染みた人は、きっとそれだけで人生の「利」を得ているのではないかと思う。
時々、偶然でも一瞬でも会えることがあれば、とてもとても幸せ。
その分、一生私の人生の内側にいてほしいと思う。
今までみたいに年に数回の連絡で十分だから、気軽に近況を報告できる関係でいてほしい。

「自他の利」を周りに説いた彼女も、そのこと自体は間違いではないと分かっているつもり。
ただ、多くの人に語るよりも先に、まずは身近な大切な人たちに与える「利」と、自分が不安な時にもそれを与える心を持ちたい。

正直、今は自分で精一杯な部分も。
それでもそれを目標に少しずつ。

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