随に(まにま-に)volume4

『色難の相があると言われました②ー恋と子育と仕事と』

続きです。

趣味で、でもかなり本気で占いをして、信じているであろう
3人の女性に言われた、私に関しての占い内容についてです。

前回も書いた、柄にもなく深く考えてしまっている⑥つの占い結果

①変わってる。
②ネットワークを作ることに長けている。
③色難の相がある。それを避けるには仕事に没頭していた方がいい。
④独身でいた方が幸せでいられる。
⑤関係が遠い人間に対しては、「理解しなければならいないという思い込みにとらわれ」
距離が近い相手(特にパートナー)には、「影響したいという思いにとらわれる」。
⑥海外に住みなさい。

前回語り尽くせずにいた、③〜⑥についてです。

さて、“③色難の相がある。それを避ける(苦しまないため)には仕事に没頭していた方がいい“ と言われた時は、けらけら笑っていたものの
その後、他の占いが追加され、それと合わせて考えると、日を増すごとに気になる気になる。

というのも最近、お付き合いしている人なり、結婚した相手なり、パートナーのために住む場所、あるいは仕事を変えられるか、について周りと話す機会が増えてきているからです。
私はこのことについて、まだ現実味はあまりないものの、やはり日本人ではない、あるいは日本以外に生活のベースを置いている方を好きになったりしたときに、ぼんやりと考えたことはあります。
正直このことだけを考えた場合、その時々で波はあるものの、いまの私の基本的な答えは
「NO,変えられない」
なのです。それは、まず目標としている仕事をかえることは言語同断で、それを叶えるにはやはり環境を選ぶ必要があると考えているからです。

と、いつまでも強く言い切っていたかったところなのですが、それも④について深く考えてしまった今、かなり変化が出て来ています。

④独身でいた方が幸せでいられる について。
こちらについては、占われること3度目だったこともあり、慣れてきた私、少し食い下がって
「何なに? それってどういうことですか?」
と尋ねてみました。
すると
「結婚そのものがあなたを不幸にするというより、出産があなたにとって良くない。なぜならば、あなたは子供ができると仕事をやめるから、子育てに没頭するタイプだから」
と、回答を得ました。
まず思ったことは
「それ(仕事をやめる、子育てに没頭すること)って幸せを損なうことだろうか?」
でした。否、このことを言われてから数ヶ月たちましたが、それが自分にとって幸せを損なうことにはやはり思えません。
それは、私がここ1年で出会い尊敬している女性たちの多くが、結婚と出産、子育てを経験しており、それらをきっかけに、退職、休職あるいは転職を経験していること、そして子育てがひと段落した現在、周囲が驚くくらいの仕事量を、きらきらとした様子でこなしていることが、大きいのかもしれません。

これだけですと、やっぱり仕事しているときが、きらきら輝いてるんじゃ…となってしまいますが、そうではなく、私が何よりもその方々とお話しをさせていただいていて暖かい気持ちになるのが、子育ての期間があってこその今がある、という様子を感じられる点です。
正直、数年前、大学の学部生だったころは、結婚しても、出産しても仕事をそれ以前と変わらず続けられる女性でありたい、という思いがものすごくありました。
しかし今、強く理想とすることは、たとえきっかけが何であれ、一度仕事から一線を退いたとしても、またそこに戻りたいと思う自分がいたら、「戻る」という選択肢や、それを叶える能力や気力を持っている自分でありたいということです。
こう考えたときに、じゃあ、住む場所だって関係ないんじゃないか、となってきたのです。我ながら、ちょっと短絡的だとは思いますが… それに加え、⑥海外にすみなさい という助言もありましたしね! 笑

そして最後に、
⑤関係が遠い人間に対しては、「理解しなければならいないという思い込みにとらわれ」、
距離が近い相手(特にパートナー)には、「影響したいという思いにとらわれる」について。
実はこれが一番、心に染み付いて、言われからというもの、頭をぐるぐるしちゃっています。
なぜなら、かなり核心を突かれた気がしてならないからです。
ちなみにこれは、③色難の相…をおしゃった方が明言されたことで、その方曰く、この私の性質というのでしょうか、人との付き合い方が、色難を生み出すそうです…。恐ろしい。
ただ私はこのことは、そういった色恋沙汰において特にというわけではなく、全体的な人間関係において、自分でも気がついていなかった、私自身の癖のように思えました。
あまり知らない相手と接する際に、もちろん一般的に皆、「相手を知ろう」という姿勢はあると思いますが、私は、そこから知り、そして喜ばしいことに距離が近くなった相手の、納得のいかない部分に対しての、反発であったり、求めるものが強いのだと思います。

というのも、最近これに関しても思い当たる節がありました。
最近まで身近にいた人と一つのことで議論になった際に、「自分が自己中で普通じゃないのもわかっているけど、考え方を変える気がない」ということを言われました。それに対して私は、少し挑戦じみた気持ちで「変えてみせる」宣言をしました。ただ、散々時間をかけて、何度も話あって、変わった部分があったとしても、やっぱり難しい部分があって、少し自分自身の気落ちが疲れてきたときふと思ったのです。たとえ一般的にどう考えても相手が間違っていたとして、それでも相手を変えようとすることも、また自己中心的な考え方なのかもしれないと。

人は求めていないものに出会わない、と普段考えているのですが、
今まで縁が全くなかった占いに、ここまで想うことがあったのも、
何かのタイミングだったのだと思います。

一つのことを考えすぎると、どうしても他のことがうまく回らなくなってしまうので、
この占いについて考えるのは、ここに書き綴らせていただいたタイミングで一旦お休みとします。

何年後になるかわかりませんが、同じようなことに思いを馳せたときに、
これを読んで自分が一体どう感じるのか、少し楽しみです。

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