随に(まにま-に)volume11

『マイノリティ』

フランスに来てから、ゲイの友達ができました。

日本にいた頃は、イベントやそういう指向のお店等で話をする機会はありました。
けれど、プライベートにまで超えて、仲良くなった存在は一人といませんでした。

今では、旅行するほど仲のいいゲイの友人が一人います。
主に芸術と恋愛の話で盛り上がり、久しぶりに会った時など、話がつきません。
また、旅行とまではは行かなくても、偶然小さなパーティなどで会えば、その後飲みに行く同性愛者の友人も数名います。

これまで、特にそれについて深く考えたことはなかったのですが、先日ふと改めて考え込んでしまうことがありました。

それは、ギャラリーのオープニングに訪れた日のことです。
抽象画の展示だったのですが、ファッションウィーク前だったせいか、ファッション関係者のような方が多くいました。

偶然フランス人の友人がいたので、話をしていたのですが、彼がおもむろに「そういえばさっき、男性か女性かわからない人が居たんだよね。多分女性だと思うけど、、それに、モデルさんぽかったな。」と言いだし始めました。確かに、特にモデルの方々の中には長身で体も細く、顔の造形が整っているためか、中性的で性別が一見では分からないことはあります。ただ、おそらく日本人だとも思うというので、私は見たらわかるかもな、なんて思っていたら、隣の展示室からそれらしき人が出てきました。

なんとびっくり、数年来の日本人の知人でした。昔、お互いパリに着いたばかりの頃に出会い、着いたばかりのため、情報がないもの同士助け合っていた仲です。お互いそれぞれ、パリに来た目的に向かって動き始めてからは、なかなか会うことはなくなったのですが、この日のように年に一二回、ギャラリーや展示会ですれ違うことがありました。
モデルさんではないのですが、確かにファッション業界で働いていて、個性的な雰囲気のある人物です。そしてまた、同性愛者です。ゲイなのかバイなのかは知りません。

彼が女性か男性か横で自問自答していた友人が、あっとした顔をしたかと思うと、この人だというサインを私に送ってくるので、「男性、友達、モデルじゃない」と矢継ぎ早にフランス語で答えました。
すでに私に気づき、近づいてきており、友人が送る露骨な視線と、私の放った言葉が聞こえた様子の彼。
訝しげな顔をさせてしまったので、
仕方なく「モデルさんだと思ったんだって」と伝えると、
すかさずフランス人友人「女性かと思いました」と。

これ言うのもどうかですよね。
私は、「男性かと思った」と言われたら不快とまでは行きませんが、だいぶ驚くと思います。

少し近況を話して離れた彼。
まだ、「男性だったのか〜」と大きめの声で言う友人。
あまりにも不可思議に思っている様子に私も考えてしまい、
少し考えた出た言葉が「あ、でも彼ゲイ。」でした。

しまいました、と少し後悔の感じがあるのは後になり、
その発言が適切だったのか考えてしまったからです。

それに対して、友人は妙に納得して「だからだねー」と頷いていたのですが、
これもまた今思えば変な話ではないかと思ったのです。

冒頭で書かせていただいた私の仲のいいゲイの友人は、同性愛者ではありますが、見た目はあくまで男性的であることを望んでいるように感じます。正直少し、喋り方仕草がくねくねしているのですが、それを指摘され、女性的であると言われると、かなり不快に感じるそうです。

そのため、私はやってしまったな。とこの時感じてしまったのです。
展覧会であった彼がどうかは知りませんが、「女性に見間違えたのは、ゲイであるからである」と、変にまとめてしまったのではないかと、もやもやしたのです。

私は海外で一応マイノリティーである日本人です。
時々、「日本人的だね」と言われると、もちろん嬉しい時もあります。
しかし、なんだかに不愉快な時があるのです。
おそらくそれは、そもそもそれが全く日本人的ではなく、間違った解釈から来た言葉である場合、そして〝日本人〟という枠に妙にカテゴライズされた気がして面白くない場合、
という主に2つが私の場合あげられる気がします。

その両方をしてしまった気になったのです。
また、加えてそれを聞いていた日本人の友人たちの目が好奇のそれに変わった気がしたのも、
余計なことを言ってしまったような後悔の念を加速させました。

ただ、あまりにもこのことに考えすぎるとそれはそれで、
「同性愛者」というマイノリティーをかなり特別視しているような気がして、
それもまた嫌なので、謎にどんどん落ち込む、という沼にはまった出来事でした。

フランス人の友人はあまり何も感じていなかったようです。
彼の周囲の同性愛者は概して外面が美的で、女性的な面が多かった可能性もあります。
彼の中での平均値がそこにあったのかもしれません。
ただ、驚いてはいなかったという点では、彼らの存在が彼の生活の中にも普通にあり、
冒頭で書いたような、フランスでは日本ではなかった関係性が私にもできたという、環境の違いを示しているのだと思います。

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