随に(まにま-に)volume22

『慣れてはいけない』

「慣れって怖い」
なんてよく聞くセリフですが、本当にそうだなぁと。

逃げることに慣れる
1人でいることに慣れる
失敗することに慣れる
我慢しないことに慣れる
傷つくことに慣れる
諦めることに慣れる

慣れたくないこと、たくさんあります。

最近、慣れたらあかん案件1つ増えました。
我が身と友人の命を守るためです。

酔っ払うことに慣れる、です。
いえ、正しくは、酔っ払ってとんでもない事件を起こすことに慣れる、です。

私と、私の数少ない友人たちは、お酒を飲むことが大好きです。
強い弱いに関わらず、割と飲みます。

20代前半の頃から、ずっと同じメンバーで毎週末のように飲んで騒いできました。
正直な子達ばかりで、私生活から、仕事のことまでなんでも話してきました。

アメリカの連続ドラマでサラ・ジェシカ・パーカーが主演の「Sex and the city」は、映画版しか見たことがなかったのですが、最近、1998年に放送された最初のシーズン1から観始めました。
20代前半で初めてこの映画を知ったときは、主要人物の4名は40代に突入しており、友人と「私たちも歳を取ってもこんな風にいたいね。」なんて話をしていたものです。
面白いことに、ドラマ版を観てみると主要人物である4名もドラマや映画が製作された歳月分ほど若く、30代前半の独身女性の姿がコミカルに描かれているのですが、まるで今の自分自身や友人の姿を見ているようです。

クリティン・デイヴィス演じるシャーロット・ヨークのようなお嬢様気質で、結婚願望が強い子がいないということを除けば、笑ったり、泣いたり、怒って喧嘩したり、様々な展開に既視感や起こりうる可能性を多々感じながら、ドラマ鑑賞が着実に進んでいます。

特に共感できるのは、4人が近況報告をするためにカフェやバーで集まっているシーンです。

1人が真剣に自身が犯した失敗に悩んでいても、他3名はその失敗をげらげら笑って聞くか、笑えないというような表情で聞きながらも、結局はユーモアたっぷりの皮肉を発して笑いに変えてしまいます。

どんなに辛い経験や、恥ずかしい失敗談も、彼女たちのように笑いに変えてきてくれた友人たちの存在に感謝と、これからもドラマの中の彼女たちのようでありたいなぁと思います。

けれど、ドラマはドラマ。
台本がそう書かれない以上は、思いもよらぬアクシデントで彼女たちは怪我したりしないし、ましてや命を落とすことなんてありえない。

ただ、現実を生きる私、そして友人たちにはそんな不幸やアクシデントも起こりうるのです。
だから、冒頭の通り、「酔っ払ってとんでもない事件を起こすことに慣れるな」の教訓が最近追加されたのです。

20代前半の頃は、酔っ払った勢いでしでかしてしまったことを本気で、それはもう本気で、心底後悔したり、時には泣いたりもしていました。記憶が少しでも欠けているとその間に何かしたのではないかと、不安で仕方なく、けれど記憶が無いなんて知られる事自体が恥かしく、共に飲んだ友人に連絡することすら躊躇っていた頃もありました。

慣れって怖い、ですね。

しでかすことに慣れ、ちょっとくらいであれば記憶が無いことにも慣れ、
そして、後から聞いて目を瞑りたくなるようの自身の話も、笑いながら語ってくれる友人がいることに慣れてしまったいま、矛盾するようですが、怖いものなしなのです。

ただ慣れただけでなく、友人たちと数々の泥酔劇場の幕の開閉を繰り返した結果、
1人がひどく酔っ払うと、そばにいる1人は多少冷静になるという安心をも今では得ています。
(周りから見たら、そろいもそろって酔っ払いなのかもしれません。あるいは、皆んなが酔っ払いすぎた時、全員の記憶そのものがいいように修正されてしまっていて、なかったことになっているだけかもしれませんが、、、笑)

とにかく、安心してお酒も飲めるし、正直でいられ、どんな姿も見せれる友人に出会えて幸せです。
しかし、やはり私たちの人生には台本はないのでうっかり、慣れに身を任せていたらいけないなと反省することが最近多発しました。

まずは、私。
酔っ払って、10段ほどの階段から転げ落ちました。
こける !と思って、踏ん張って左に体を振って、左頬を壁に強打する犠牲を払ったのにも関わらず、結局転げ落ちて、階段がL字型に切り替わっていたがために正面にも壁が待ち構えていて、おでこをとどめにと言わんばかりに強打しました。

翌朝、私が「頭強くうって、脳の中でなんか起きちゃうかもしれないから、もし今から48時間以内に連絡とだえたら心配して !」と本当に不安で数名に電話で訴えたのに、誰もが大丈夫だと笑っていました。
結局、何もなかったので、しばらくは左頬の痣を私も笑いのネタにしていたのですが、何もなかったのは幸運だと思っています。
そして、挫いた足は忘れるなと言わんばかりに、いまだに少し痛く、アスリートでもないのに、もう早く走れないのではないかと悲しくなります。

そして、友人①。
道路で寝ていたそうです。
それも1時間近く、偶然通りかかった人に起こされるまで。
タクシーから同乗していたのは私で、いつも通りに酔い、いつも通りに先に彼女が下車したつもりでした。
逆に、「いつも通り下車」したのが、彼女をすでに家にたどり着いたも同然の気持ちにしてしまい、いけなかったのでしょうか。降りた、まさにその地点で寝ていたそうです。
とにかく、人よりもタクシーの通行量の多いその道で、彼女が轢かれなくてよかったです。
笑い事ではないにも関わらず、彼女から電話をもらった時、私も驚くと同時に笑ってしまいましたが、その夜いなかった友人②と③にこのことを後日話した時の反応は、「めっちゃ面白い。起こしてくれた人いい人。」と、「お財布取られたり、襲われたりしなかったのってやっぱり日本って安全だね。」でした。

階段10段転げ落ちて重症の足で、無意識に家まで徒歩30分の距離を歩いて帰った私も大概おかしいけれど、私の友人たちも何かがおかしい。アクシデントに慣れすぎている、そう思いました。

慣れてしまったことを見直そう。
長生きしたいし、まずは友人たちと「Sex and the city」映画版のようなキラキラした40代を迎えるために。

以上、慣れの怖さに、命の危険までを感じた最近の出来事でした。

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