随に(まにま-に)volume6

『今日も頭の中で行ったり来たり』

素直だね、とよく言われます。
明るいね、ともよく言われます。
また、真っ直ぐだね、とも頻繁に言われます。

私の長所って、この三つ以外無いのかなって突っ込みたくなるくらいです。

そう、これらの言葉を素直に受け取ることが出来たならば、それはきっと褒め言葉。

なのになぜか、いつからか、分かりませんが、
故意にその言葉の中に、悪意を読み取ろうと試みる自分がいます。

以前は、相手が与えてくれた言葉をそのまま受け入れることができたのに、
最近は、言葉そのものの意味以外の何かが相手の心の中にあるのでは無いかと、
洞察を試みてしまうのです。

「素直だね」と言われれば、「分かりやす過ぎ」って呆れてる?
「明るいね、いつも笑顔だね」と言われれば、
「愛想ばっかり振りまきやがって」とか思ってる?
「真っ直ぐだね」は、「世間知らずのおバカさん」「苦労した事ないのね」っていう、
同じ目線でものを見れない人間だっていうジャッジメント?
なんて、考えるのです。

穿ち過ぎな姿勢になっていることは自覚しています。

そもそも、こんな考えが浮かぶ自分は、「素直」って言葉から、程遠い存在だな、
なんて思いもして、ため息がこぼれます。

ぽそっと、このもやもやとした感情を他者にこぼしてみたものの、

「大人になったんだね」
「社会に出たんだね」
なんて言葉は、慰めにはならなくて、
これが現実が見えてきたということ指すならば
悲しくて仕方なくて、むしろ受け入れ難く感じます。

最近は、素直だねと言われると、言葉に詰まってしまう自分。
会話のテンポを崩すことを恐れて、笑顔で返してみても、
我ながら妙な立ち振る舞いに感じて、心の中では俯いてしまいます。

どんな言葉で返してみても、私の中に相手に対して疑念がある以上、
どこか嘘っぽい返事に思えてしまうのです。

終いには、「素直」であることにどれくらいに価値があるだろうとまで考えてしまう始末。

結局答えなど見つからずに、少し忙しかったり必死な状況におかれてしまえば、
ひと時は忘れられてしまうような、とるに足らない不快感です。

ただこの疑念をいただいてから、人に感情を伝えることも臆病になった気がします。

大好き
ありがとう
会えなくて寂しい
会いたい
尊敬しています
お互い頑張ろうね

私にとって、心からそう思えるなら、相手に伝えて損がないと思える言葉たちです。

ただ、人の言葉の裏を考えるようになってから
「これ言ったらどう思われるかな」
「自分の感情は、適切に言葉になっているのかな」
「重過ぎでもなく、軽過ぎでもなく、ちゃんと気持ちのまま伝わってるかな」
なんて、少し不安になるんです。

そんな瞬間もあれば、「こんな臆病になるの私らしくないしやめよう」って、
「明るい」自分に一気に立ち戻ったりします。

いろんなモノに人に触れたい
いろんな経験をしたい
滞ることなく前を向いていたい

これは、私にとって大事な気持ちで、
これを恥ずかしげもなく初対面の相手にすら言えるのは、
「やっぱり私素直なのかも!」、なんて改めて開き直るように元気になったりします(笑)

でも、やっぱりふっと相手の言葉に疑念を抱いたとき、
まっっったく疑うことをしなかった自分が羨ましくなりもします。

強がり過ぎないように、
今日は素直であれるのか、
それとも素直でないことを良しとするのか、
そんなこと考えたって、すぐに変われるはずもないのにと思ったり、
今日も頭の中で行ったり来たりです。

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