随に(まにま-に)volume15

『雨の日』

小さい頃、雨の日が大好きでした。
なぜかというと、その頃大好きだった
〈ミツバチハッチ〉と〈アルプスの少女ハイジ〉の録画を見ることが唯一許されるのが、
「外で遊べない雨の日」だったからです。

晴れ、もしくは曇りの日は外で健康的に遊ばせ
雨の日はテレビの前でおとなしくさせる。
4つ上の姉と、我ながらなかなかにお転婆だった私に
家の中で悪戯なことをさせないための母の術でもあったと思います。

我が家の子供用、晴耕雨読プランです。

当時会社員だった父は、平日はもちろん仕事でしたが、休日は晴れていれば、庭と畑の手入れ、あるいは車を洗車し、雨であれば家で読書か映画鑑賞をしていました。

まさしく晴耕雨読な生活です。

6月に東京を訪れた際に、梅雨の始まりを感じさせる雨を友人宅の窓からからぼーっ眺めながらそんなことを思い出していました。
結局その友人宅にいた三日間は、半分以上雨だったのですが、休みだろうと仕事だろうと、天気に左右されない生活でした。休みの日はあいにくの雨でしたが、とりあえず朝外でカフェをして、話題に上がった展覧会をみに行くことにしました。日記にしてしまえば、田舎育ちの私にはかなり都会的な休日の過ごし方です。
ふと、また実家のことを考え、「私の家から一番近いカフェ…..」と考えたとき、とりあえず気軽にいけるカフェはおろか飲食店なんて徒歩圏内にはないという結論にいたり、なんだか改めて遠い違う環境にきているなぁと思いました。

雨のせいか、翌月に2年半ぶりの実家帰省を控えていたからなのか、なんだかとっても感傷的になったのを覚えています。

帰省すると未だに、実家のリビングの収納棚の大部分は、今でも前述の〈みなしごハッチ〉シリーズと〈アルプスの少女ハイジ〉に加え、ジブリや、ルパン、名探偵コナン録画されたカセットテープで埋められていました。

録画の媒体はカセットテープです。
新調されたテレビには、それらを再生するためのデッキがついていないのが、時間の流れを感じさせてとても残念でした。観れたら、観たのかと言われると観てないのでしょうが、とりあえず昔当たり前だったことが、そうじゃなくなってるには悲しいものですね。

帰省したのはちょうど7月頭に全国的なニュースになっていた豪雨が一度は明けたころでした。
帰宅したその日の夜、実家の台所にはキュウリが、15本ほど籠に山盛り置かれていました。
父が「雨ですくすく一気に育っちゃってね」と、あまりの量に困った顔でそう言いつつも、晴れた日には、仕事のあとでもせっせと手入れをしていた農作物が立派に育って嬉しそうでもありました。
キュウリ、茄子、トマト、苦瓜、アシタバ、オクラ、さらにはスイカ等々、帰省中に母が作ってくれた料理には必ず庭からとれた、野菜が使われていました。

目の前が山の一軒家に住んでいるため、多少なりとも報道を見て心配していたのですが、そんな嬉しそうな父を見て拍子抜けでした。

現在の南九州市の山の中で養鶏場を営んでいた祖父母が生きていた頃は、野菜に加えて肉、魚等も親戚内で調達できる環境がありました。今回のような大雨や台風の際には、必ずと言っていいほど、山の中の職場へ土砂が流れてきたり、大木が倒れてきたりと、問題が起きていたのを覚えています。その頃私は小さかったので、車の中で留守番でしたが、祖父を先導に私の両親、叔父、叔母等その場にいる大人みんなで、チェーンソーで木を切ってどかし、道を開いていました。今、思えばなんて大変な作業だろうかと思います。
それでも、その大雨の記憶とセットにあるのは、雨のあとは川でよく蟹が獲れると
祖父が山の中に連れ出してくれた、わくわくする思い出です。

少なくとも雨は最近の私にとって、
足場や交通の便を悪くする、厄介なものでしかありませんでした。
それを生活のプラスや翌日の楽しみ変えてしまう逞しい暮らしが、
そういえば小さい頃、私の周りには当たり前にあったなぁと
密かにとても誇りに思っている〝ど田舎育ち〟であることを再確認しました。

そして、それを私の両親は今も当たり前に生活しています。
今日は晴れていて、父は家の垣根を汗だくで剪定しています。
やったこともないのに、とりあえず「手伝おうか」と言ってみたものの、案の定、断られました。田舎育ちのくせに、特に足の多い虫が、もの凄くだめなので、
申し訳ないけれど提案しておいて、その返答を希望していました。
満足して、家の中から父を眺めることに徹しています。

大好きだったのに今は亡き祖父母と、まだあるけれど再生することのできないカセットテープを思うと少し寂しいと同時に、
変わらない、安定の父と母の雨の日の過ごし方に、ほっこりと心が暖かくなった実家での時間でした。

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