随に(まにま-に)volume18

『桃栗三年柿八年』

秋ですね。

今年は、月の出をみるイベントのスタッフをしたり、9月15日の夜に琵琶湖の近江舞子で、友人と夜までゴロゴロしていたら偶然にもまん丸なお月様が、湖から上がるのを観れて、その美しさにはしゃいだりと、例年にもまして秋を感じる過ごし方ができている気がします。
今日、十五夜じゃん! 満月! なんてぎゃあぎゃあ人のいない浜辺で友人とはしゃいだのですが、15日だったいうだけで、今年の中秋の名月、つまり十五夜は9月13日だったということを後から知りました。
この年齢になるまで、9月か10月の15日だなんて、適当に捉えていたことを恥ずかしく思います。
でもとにかく感動の美しさで、来年こそはまさに中秋の名月を琵琶湖でみようと小さく決めました。とてもおすすめですよ。ちなみに、来年2020年の十五夜は10月1日だそうです。

またほぼ毎年、「今夜は十五夜ですね」と母から送られてくる、実家の縁側に餅などお月見のお供え物を飾っている写真をいかに軽くみてスルーしてきたかを自覚しました。
そういえば、今年も写真送られてきていたなと思って見てみると、籠に盛られた餅、梨、ぶどうはいいとして、普段は床の間に飾られている鹿児島が誇る伝統工芸品、白薩摩にまぁ素人目に見ても斬新かつ、ダイナミックすぎる高さと傾き加減で、栗が大きめのひと枝ごとぶすりと刺されている写真が見つかりました。生ける、という言葉よりもまさに突き刺すという表現が正しい感じでした。十五夜の日についての知識がかけていた私ですが、いや、そこは薄でしょ!! と心の中で突っ込んでしまいました。
無かったなんてことはあり得ません、この時期になると家の周辺に死ぬほど生えていることを私は知っています。そして、いくら鹿児島が田舎とはいえ、今時栗はスーパーで実だけ買うものですが、なぜ我が家はこんな大ぶり栗の木の枝ごと縁側にもって来れるのかも、私は知っています。

さて、琵琶湖で素敵な月の出を経験した翌々日、実家からの荷物の不在票が入っていました。
はてなんだろうと思いつつ翌日再配達してもらったところ、片手では持てない大きさの箱いっぱいに栗が送られてきました。

実家で収穫された栗です。

そう、私の実家から歩いて五分ほどのところにある、山と一体化していて、どこからどこまでが我が家の所有地なのか、一見非常にわかりずらい、40年ほど前までは祖父が畑を耕していたという土地には、二本の立派な、それはもう立派な栗の木がなっています。
時々母が思い立ったが吉日と言わんばかりに行う、やってみよう☆ぶっつけ生け花体験〜十五夜編〜に、使用された大振りの枝も、もちろんこの栗の木です。

この栗の木が我が家の仲間入りするに至った経緯は、15歳だった私が放った何気ない一言が始まりです。
記憶も遠くなっていますが、とにかく私が父に「お父さん、お父さん、栗が食べたいクリ、クリ、クリ、クリーーーーー!」とふざけてまとわりついたのを覚えています。
基本とても口数が少なく、家族とのコミュニケーションが少ない父だったので、時々こんな風に中身がほぼゼロの内容で父に話しかけるのが、私の癖でした。この時もおそらく「食べたい果物は?」なんて聞かれてもいないのに、いきなりその時の気分で、こんなことを言い出したんだと思います。どうかしてますね私。
強いていうなら、この頃から今も変わらずマロンクリームたっぷりのモンブランが大好きです。ケーキの中で一番好きです。

その時は適当にあしらわれて終わったのだと思います。お風呂上がりに汗をかきたくないからまとわりつくな、とでもいわれたのでしょう。今でも、帰省時にちょっかいを出しに行くと言われます。

そしてその数日後、忘れることのできない衝撃の週末が訪れます。
部活の午前練から帰宅すると、畑仕事から戻ってきた父が嬉しそうな顔で(畑のことと、車のことになるとちょっとだけ饒舌になります)、言ったのです。
「〇〇ちゃん(私)、栗の木植えたからね。2本。」と。

私「んっ??????!」キッチンにいる母をみる。
母「あんたが言ったじゃない、栗が食べたいって。だからお父さん今朝苗木買ってきたのよ」
私「えっ!?……………………… いつ食べれるの?」
父「桃栗三年柿八年」と、ピースサイン。
いや、三年って言いながら堂々と指2本突き出して自慢げに笑われても、、、
父「〇〇ちゃん、お父さん頑張って育てるからね!」

そして、今に至ります。
(あの15歳の私はきっと、調理済みの栗が、モンブランが食べたかった……)

ひょろっとした、本当にこれにあの丸々そしてトゲトゲした実がなるのか、と疑問に思うくらい頼りなかった苗木が今では大木です。本当に三年目から実はなりました。初年度は、気持ち実がなったくらいでしたが、今では、母が持て余すくらいの量がなります。

秋になると、毎年とても嬉しそうに収穫してきます。
父が山や川、畑から何か採ってきた時は、心の中の賞賛の3倍くらいのテンションで褒めるが良し。これが我が家の母、姉、私の女3人間の暗黙の了解です。
ただ、未だに栗の時だけは姉は、「発端はお前だろ、いってこい。いけ。」と言わんばかりの目で見ますし、母は必ずたとえ私が海外にいようと写真を送ってきます。
即座に父に電話するようにしています。

ちょっと面倒ささも感じていますが、素直に長い年月をかけて実をならした父を尊敬しています。
だって本当に今では大木なんです。近所だけではなく、わざわざ私のいる京都に送ってくれて、職場の上司におすそ分けするくらいの量が収穫できます。
春に雑草が生い茂ると毎週末草抜きに追われていましたし、台風がくる暴雨風の中、倒木を防ぐために添え木をしていました。冬は、木の足元に藁を敷いて暖めてあげています。

「桃栗三年柿八年」は、比喩的に、物事は一朝一夕にできるものではない、それ相応に時間がかかるものだという教えがあるとのことですが、まさにそれを身近でみせてくれたのが父です。

ただね、毎年思います。
お父さん、同じ三年なら、桃の方がよかったな…..
食べるまでに、下処理が大変なんだ、栗。
そう心の中でつぶやきながら、今年もせっせと栗の皮むきを行うことにします。

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