随に(まにま-に)volume12

『言葉で生きていく』

作詞家のお仕事をしてみたい。
そんな風に最近ふっと思っては、どうすればなれるのだろうと真面目に調べたりします。

チャンスをいただければ、今は学ぶ時だと自分に言い聞かせ
色んな方面からのお仕事に応じています。
ただそれは、ほぼほぼお誘いをいただいてのことでした。

それ以外に自ら積極的にアクションを起こす場合は、
自己紹介で書かせていただいたアートに関することです。
今まではギャラリーでの展示の企画が主でした。
最近は、アートフェアへの参加の重要性をここ数年間感じていた気持ちをやっと機会につなげることができ、いくつかのフェアのスタンドの出展準備に慣れないながらに勤んでいます。

そんな中、なぜか“作詞”願望。
しかも、趣味で書きためてみるのではなく、
世の中にそれを出すまでには、どうすればいいのかなんて考え始めた私。

人と関わることが好きです。
特に、美しい物を作る人が好きです。
美しい物を大事にできる、それに思いを寄せる人が好きです。

人と会話することが好きです。
特に、創造的な人の話を聞くことが好きです。

だからこそ、作り手と作られたものに対して価値を感じてくれる人との間に入れる今の仕事を選びました。

だからこそ、それを行うには欠かせない言語を大事に思っています。

ただ、お仕事の中で自分に足りないことがたくさんある中
何よりもコンプレックスなのは、まさにその言葉の表現力です。
とっさの言葉の選択力です。
話し言葉と書き言葉の伝える印象の違いって難しいとみなさんは思いませんか。
それをなかなか使いこなせないことも、私には大きな悩みです。

どちらかというと、瞬発性は求められますが“話す”行為の方が
“書く”行為によって思いを伝えるより得意だと思っています。
でも正直これも、“話す”行為が時間的にも早くすみ、気持ちが楽なだけで
何も本質的には伝わっていないのではないかと反省することもあります。

そんななか、歌詞というのは、“話す”ことと“書く”こと
つまり“聴く”と“読む”の間にあって
それができたら、“書く”と“話す(語る)”の、
誤差を埋める力がつくのではないかと考えたのです。

まずそれは“聴く”行為のなかで受容されていきますが、
それと同時に、歌詞で有名な曲という括りが存在することや
ヒットした曲の歌詞についての解読を試みるサイトが多く見つけられることから
“読まれる”ものでもあると思います。
私が、歌詞の全くないサウンドソングよりもストーリー性のある楽曲を好む傾向にあり
歌詞を調べて文章として目に入れることも多いため、尚更そう思うのかもしれませんが。

とにかく、こんな経緯で“作詞家”活動に向かって
できることから行動に移す意気込みに溢れている現在です。

この時から“言葉”に関してよく考えるようになったと、
いい意味で注意深くなれるようになったという出来事があります。

大学の学部生時代に、飲食店でサービスのアルバイトをしていた頃のできごとです。
京都でも有名なお香の会社の方と、これまた有名な料亭の大将がお二人でいらっしゃいました。「このお客様のお店の新作だよ」
そういって、料亭の大将から差し出された香り袋
香る前から、とにかく失礼のない返しをしなければと考えていました。
感想としては、うーん、形容しがたい。
悪くもないけど、親しみがなく不思議な香りといったところでしょうか。
「いいにおいですね!」とシンプル中のシンプルな回答を出しました。
食レポ、この場合は香りレポは、絶対にさせてもらえないような、描写力に欠ける感想だとは思いますが、相手の機嫌を損ねるものではないつもりでした。

しかし、大将からお叱りを受けてしまったのです。
「君ね、いい“におい”じゃないでしょ。いい“かおり”でしょ。」と
我ながら悲しいかな、そこですぐにピンとこなかった私。
大将は、鋭い眼をしていて、私は戦々恐々としていたけれど
説明を加えてくださる優しい方でした。
「においは、「臭い/匂い」って、臭い(くさい)ものにも使うでしょ。これはね、「香り」なんだよ。」
大将の横で、当のお香のお会社の方はニコニコしていました。

その言葉が、とても心に残っています。

どっちでもいいじゃん。
匂い(におい)はいいものにだって使える言葉だし。

そう片付けてしまうののは、簡単です。

でも、そうも思えなかったのは、
その大将が日頃から私にとって“美的”な存在だったからです。
失礼ですが、全然美男子ではありません。
お腹もちょっと、いえかなりと言ってもいいほど、前にでています。
でも、日頃からそれこそ“言葉にできない”優雅さがその方にはありました。

それに、後からちょっと考えてみた時に、
確かにどんなものに対しても
「いいにおい」より「いい香り」という女性の方が
なんだか素敵だなと素直に思えたのです。

それから時が経ち、言葉について普段より考えることが多いこの頃
改めてとても大事なことを教えてもらったと思います。
加えて、漢字、ひらがな、カタカナと三種の文字体系を使う日本語を
とても扱いづらく、だからこそ悩める楽しさがあるものだと日ごとに増して思います。

周りには仕事は苦しいものだ、と
苦しくないものは仕事とは呼べないとまで言う方もいます。
昔見たテレビ番組で第一線にいる方が似たようなことを言っていた記憶もあります。
ただ、私はやはり遊びではないとはいえ、仕事の中にも楽しみや喜びがあってなんぼだと思っています。それが、主軸にあって欲しいと思っています。

言葉にに楽しみを見出せている今日
めきめき新たな“作詞”願望とともに、
アートで生きていく、文筆業で生きていく
作詞とあげた以上、音楽で生きていくと
今させていただいているお仕事も含め、言い方は色々ある中、
全部ひっくるめて『言葉と向き合うことで生きて』いくと決心です。

軽めに、でも真剣に、、、ここに宣言です!

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