パリのマダムの・・・ volume4

『アメリカ人になる?!』

およそ15年くらい前から、夫の仕事の都合で、世界を転々とすることになった。スタートは、アメリカ・ネバダ州のラスベガス。

ラスベガスというと、キラキラギラギラ、ネオンの絶えないカジノの街を想像すると思うが、生活ともなれば、全く違った側面がある。
特に、夫婦だけの場合と学校に通う子供がいるケースでは、環境や経験も大いに変わるし、住む国(地域)や人々に対する印象は違ったものになると思う。

娘は当時11歳、パリでは前年カトリック系の私立の中等部に入学し、1学年終了時に
数学はクラスのトップで、総合でも3位だったから、最初はアメリカ行きを嫌がった。
何よりお友達と離れるのも辛かったようだ。

そんな娘のために、私たちは、まずは、学校選びを第一にして、住む地区を選んだ。
フランスの学校はないので、地元の学校でアメリカ式カリキュラムを追従することになる。ネット検索で学校のレベルを調べ、移住する2ヶ月前に現地視察をした折に、住宅の下見と学校訪問をして、校長先生と話し合いを持ち、クラスを決めた。

学制について付言すると、日本は633制、フランスは543制、アメリカは534制。日本は義務教育に飛び級はないと思うが、フランスはあって、全科目で学年が変わる。
入学を決めたラスベガスの学校は、1科目でも優れた科目を昇級させる柔軟性があった。

初めての英語圏での生活なので、中学1年から再スタートさせることにしたのだが、学年が普通クラスとアドバンスクラスに分かれていた。娘は数学が得意だったので、数学だけ
中2のアドバンスに入れてもらい、残りの科目は中1普通クラスでスタートした。

一方、一時的な移住なので、フランスの教育システムに戻る可能性もあり、根幹となる
国語(仏語)と数学、それに娘が中等部から第一外国語に選んだ独語の3つは通信教育を
並行して受講させることにした。

入学後まもなく、ネバダ州の管轄で、英語を母国語としない生徒に対し、Writing, Reading, Speakingのテストが課された。結果が満足のいくものでなければ、ESL(English Second Language)たる授業を受けることが義務付けられる。

結果、当然ながら、娘は、初めてのAmerican EnglishでSpeakingに引っかかった。
本来ESL行きだが、娘は拒否。オーケストラの授業でバイオリンを嗜み始めていた娘だが、ESLを取るとオーケストラの時間が潰れてしまう、それが嫌だったのだ。

すると、学校側は娘の希望を尊重してくれ、1ヶ月後に再試験を準備してくれた。
結果は合格、さらには、他科目全て、アドバンスクラスに昇級していた。

その学校での話だが、私たちはいくつかの大きなカルチャーショックを受けた。

まずは、軽く、服装の話。夏の季節、女の子たちはまるで浜辺へでも行くような格好
である。ミニスカートやショートパンツに、小さなハンドバックにバインダーを抱え、
足元はビーチサンダル。

フランスのカトリックの学校から来た娘は、ブラウスに長いスカート、革靴という
出で立ち、まるでシスターである……ジロジロ見られたのは言うまでもない。

何せ、娘が通ったパリの学校では、校長先生が毎朝校門で生徒たちを待ち受け、Gパンや運動靴を履いてこようものなら帰宅させて出直し、そんな教育を受けていた。

先に、バインダーといったが、アメリカでは、重い教科書は、学校と家、それぞれに保管するため2冊ずつ配布された。したがって学校へ行く子供たちは、筆記用のペーパーを
閉じるバインダーひとつあれば十分というわけだ。

さて、ラスベガスの学校は毎日14時11分に終わる。そう、14時ちょうどでもなければ、
14時10分でもない。ランチタイムも、早組み、遅組みに別れているとはいえ、分刻みだ。お弁当を持っていく習慣がなく、列に並ばねばならないので、さらに時間をロスする。

ただし、Student of Monthという「月間優秀賞」を取ると、校長先生とピザランチの
褒賞があり、ランチで列に並ばなくて良いパスがもらえる、という具合で笑えた。
娘も何度か賞を受けたが、それによって、Junior National Societyのメンバーになることが許された。これはとても名誉なことで、将来の進学時にも有利に働くものらしかった。

時刻指導は、子どものみならず、父母会も一緒で、分刻みにチャイムがなり、各クラスを回らされたが、どうやら、時間の観念を正確に把握するという訓練のようだった。学校で習わないと、時間厳守の意識が生まれず、生活がルーズになる。だから、子供達、親たちに教える、というそんなレベルなのだ。

宿題は毎日出された。特に、英単語の接頭・接尾語が、ラテン語由来かギリシャ語由来か、という課題は、翌日に小テストがあるので娘も必死、私は家で質問係をやらされた。
これは、国語教育の一環だが、外国語は中3からしか習わせないという徹底ぶりからも
国語重視がわかる。でも、この訓練は、後々の語学教育全般に大いに役立ったと思う。

その学校で、こんな事件もあった。
アメリカでは、白人vs黒人の差別意識が双方向で激しくあることは想像できると思うが、
Readingの先生が、黒人奴隷の話の流れで、黒人をニグロ(ネグロ)と呼んで退職に追い込まれた。黒人の女の子が学校を訴えたのである。

ヨーロッパにおけるユダヤ人問題と同じで、黒人を始めとする人種問題は、あまりに奥深くデリケートな問題であるがゆえに、話すことさえままならないと言う現実があるのだ。

異邦人の娘は、こうして、アメリカ人になるべく、着々と異次元体験をしていくのだが、
振り返れば、圧巻は、新学期が始まってすぐに出された宿題だった。
憲法・三権分立に関する質問が60項目! という内容だったのである。

中学1年生には難題ではないかと思ったが(小学校で習ったのか?!)、ネット検索では
でてこない回答もあり、母娘で頑張っても、47問しか正解をもらえなかった。

実はこれ「アメリカ人になる布石」なのだと理解した。移民だろうがアメリカ人たるもの、国の基盤を知らないでは「その民」たる権利はない、ということなのかもしれない。

そういう意味では、最も象徴的な話がある。
どこの国でも、学校には大抵、校舎の外に国旗が掲揚されている、と思うが、アメリカでは、国旗の重みがはるかに違う。
各教室毎に、あのthe Stars & Stripes星条旗が飾ってある。
それだけでも、日本なら極右翼の刻印が貼られそうだが、

1時間目の授業が終わると、儀礼が習慣づけられている。

国旗に向かって、「忠誠の誓い」を宣言するのだ。胸に手を当てる行為は、義務ではないようだが、毎日のことなので、いつしか暗唱できるようになっている、というわけだ。

“I pledge allegiance to the flag of the United States of America,
and to the republic for which it stands,
one nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.”
(わたしは、アメリカ合衆国の国旗とその国旗が象徴する共和国、神のもとに統一され、全ての人々に自由と正義が約束された不可分の国に忠誠を誓います)

アメリカにはダーウィンを教えない州がいくつもある。アメリカ人の10人に4人は、人間が神によって創造されたと信じているらしい。日本より優れた科学力を持つアメリカの民が進化論を否定し、キリスト教の聖書の言葉を盲信している。人間の起源が細部まで科学的に解明されたとは言い切れない、というわけで、進化論が否定されているのだ。

その一方で、優生学運動はアメリカで実現した。ナチスドイツによる、ユダヤ人及び障害者政策が象徴的であるが、ニーチェの「超人思想」も、劣ったものを淘汰しようという
優生学も元々はダーウィンの進化論から発達している。1907年、アメリカ・インディアナ州で世界初の断種法が成立し、その後34州に広がった。1926年にはアメリカ優生学協会が発足し、世界中に影響を与えてきた。

しかしながら、こうしたことも一方だけを見て批判はできないと思っている。
公教育の場で、創造論やID(インテリジェント・デザイン)理論を教えず、進化論のみが教えられている国が4カ国あるという。中国、北朝鮮、キューバ、そして日本……

「進化論は共産主義者が作った嘘だ」というアメリカのインテリもいるのがわかる。
大統領をはじめとする政治家たちの政治的スタンスも、両論に分かれて票が割れるなど、根深い問題である。キリスト教の国アメリカでの宗教論は簡単ではない。

何れにしても外国に住む、ということは大変なことだ。
居させてもらう、という気持ちをどこかに必ず持たなければならない。

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