パリのマダムの・・・ volume22

『移民と差別』

英国ではインド系移民が目立つし、ドイツにはトルコ系移民、北欧にも黒人は大勢いる。フランスでは軍隊、警察、病院などの公共機関からスポーツ界まで幅広く、カリブ海や 北西アフリカ出身のアラブ系・アフリカ系移民がたくさん働いている。

この10年間に2回、パリのアパルトマンの改装工事をしたが、いずれも外国人労働者の オンパレードだった。作業員は、アラブ人、アフガニスタン人、ポーランド人、ウクライナ人、ハンガリー人、ルーマニア人、フランス語が全くわからない人も混じっていて、現場責任者ないしは建築家だけが、フランス人或いは移民世代の〇〇系フランス人で、 唯一フランス語を話す、という具合、パリに居ながら、家の中は全くの外国だった。

コロナ禍で移動が制限されているが、その陰で、世界的に移民問題は解決されていない。英仏海峡を超える不法移民・難民の数は昨年に比べて、10倍にも昇るという。
そういえば、あのバンクシーが、難民救済船を購入したとか。
ご参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/バンクシー

ブレグジットを選択した英国で、大きな影響力を持ったのは、インド系や南アジアの移民たちだったとも聞いた。自分たちの労働市場が脅かされるのは困る、ということか?!。

「国籍」を取得したり、市民権や滞在許可証というものは、ある人々にとっては死活問題だが、「人道主義」だけで「移民」は受け入れられない。では、「労働力」として認められなければ「住む権利はない」という線引きでいいのだろうか? 

西欧中心の話になるが、歴史的には、1648年のウエストファリア条約によって、プロテスタントとカトリック教会の双方が対等の立場なり、主権国家からなる国際政治体系ができたことから「移民」という枠組みがスタートした。

  1712年 ユトレヒト条約 ー イギリス帝国の繁栄の第一歩
  1815年 ウィーン会議  ー ナポレオン戦争の戦勝国の利益により領土変更
  1919年 ベルサイユ条約 ー 第一次世界大戦後の世界秩序を決定
  1945年 第二次世界大戦終結 ー 冷戦体制のスタート
  1989年 冷戦の終結 ー 現代へ続くテロを含む混乱

西ヨーロッパでは、第一次世界大戦時、多くの植民地移民が兵士として従軍した。次に、移民・外国人労働者の受入れが本格化するのは、第二次世界大戦以降の1960年代。急速な受け入れによる約10年間で、多くの問題が発生し、1970年にスイス、72年にスウェーデン、73年にはドイツ、74年にはフランスとベネルクス諸国が受け入れを停止した。

短期間に外国人労働者を受け入れたので、劣悪な環境の住宅や移住地域が出来、低賃金で過酷な労働条件でも働く移民の出現は、ヨーロッパの労働運動が築いてきた労働者の権利や保障を脅かす結果になったり、いわゆる3Kと呼ばれる職種が外国人労働者の固定的な職場となるなど、労働市場の二重構造が生まれ、社会的、経済的、政治的問題に発展。

それは今も解決されたとはいえず、エネルギー危機と経済停滞による失業率の増加といった社会経済不安に対して、スケープゴート的に外国人が問題視されるといった社会状況、教育や雇用の機会均等が達成されずに、失業や非行といった社会問題が起きている。

ところで、日本は、移民にとても厳しい管理法がある。そもそも、イスラエルやスイスと並んで、血統主義国籍法なので、二重国籍は許可せず、市民権をとるのも容易ではない。

夫と娘は一度日本の永住権を取ったのだが、その後1年くらいしてシンガポールに引っ越すことになった。シンガポールから日本旅行を計画した折、入国手続きで、嬉々として”特権”を提示したところが、引っかかってしまった。日本の永住権は、米国のグリーンカードとは違って、出入国複数ビザの付帯が必要だったのにそれが切れていたのだ。

永住権を失いたくなければ、例えば近場の香港の領事館で手続きをして再入国せねばならないという。初めての出雲旅行を予定していた私たちは、大胆にも?!永住権の方を諦めることにして、日本語しかない法務省の書類に、私が代理サインをしたのだった。

数年後、その日本で思いがけない差別を体験した。親友と京都に行った時のこと。京都駅のタクシー乗り場から、ある老齢の男性が運転する、古びれた小型のタクシーに乗った。見た目にあまり乗りたくない思いがよぎったが、パスするわけにもいかず、乗り込んだ。

おしゃべりを続けて居たら、運転手さんが、「お客さん、すごく”ニンニク”臭いんです けど」と、興にいる私たちの会話を遮って、介入してきた。
「えっ?!」と顔を見合わせた私たちは、暗黙で『今日は”ニンニク”を食べてない』を 確認し、「どういうことですか? 二人とも全く食べていませんよ。」

私たちは「では、降りましょうか。でも、適当なところでおろさないでください。」と言いつつ、タクシーカードを取ったら、「どうぞ、どうぞ、なんでも言いつけてください。かましまへん。」とあくまで強気。

腹の虫が収まらず、親友は、降りてすぐに、タクシー会社に電話して一部始終を話した。
タクシー会社の方は、タジタジで、「そんなことを言ったんですか……申し訳ありません」と平身低頭に詫びるばかりだった。

この事件から、私は、大阪のタクシーの運転手さんから聞いていた話を思い出した。
「韓国人を乗せると、本当にニンニクの臭いがすごいんです。一度、大使館で働く、とても綺麗な人を載せたことがあって、日本語もちゃんとしてて……最初は何も臭わなかったのですが、降りるときに、やはりちょっとニンニクの臭いがしたんですよ」

だから、この扱いも腑に落ちた。私たちはおそらく”在日”韓国人?!と思われたのだ。確かに、服装からして日本人ぽくなかったかもしれない。そうでなくとも親友は日本でも英語で話しかけられることが多々あって……実は、”華僑の令嬢”に見えなくもない(笑)。

私は、東の方で育っているからか、そうした偏見や差別部落の問題も経験したことがなかった。でも、西の方では、かなり根強く重い問題であることを知っていた。

何か事件があった時も、犯人が在日である場合には、報道も気を使い通名が使われる。
関西電力や森友学園に纏わる事件の背景には、部落問題があり、特に後者は”半島同和”と土着の”在来同和”の利害を競う係争も絡んでいるらしいが、真偽はわからない。

政治家と役人、各省庁の上下関係、警察と暴力団や同和などの裏の問題は、日本人でも知らない人も大勢いるのだから、海外の人たちにとってはますますわからない日本の”闇”の世界。差別する方も差別される方も立場によっては上下が逆転する、謎だらけの社会だ。

これも、まずは太古な日本の歴史に関係し、西欧と同じく帝国主義の遺産もあり、第二次世界大戦及び朝鮮動乱といった政治・経済・社会問題が産んだ差別の奥深いところだ。

話を世界に戻すが、今世紀は911以来、テロリストといえばイスラム系、とステレオタイプな発想に至るように、皆が撹乱されてしまった。そこから”イスラムは悪”という刷り込みが起こり、対立と差別が作られた。

そして2019年コロナの”悪霊”出現。経済・社会活動が麻痺する中で、新たな対立と差別が生まれている。これも”聖戦”というが、本当の恐怖はInfodemicの人災なのでは?!

世界の対立軸は、表面的には、国境のない世界を望むグローバル主義vs保守的な国家主義があって、双方に支配者がいる。旧覇権国家が、脅かすやり方で自国のエゴに固執すれば、ウェストファリア体制が崩れ、国際法の否定に繋がる。

一方、経済主体になると、国ではなくグローバル企業体が力をもつ。一般市民は、税金を払わされていると感じるが、企業は税金を払ってやっている、という立場だ。
GAFA(Google/Appel/Facebook/Amason)に代表される多国籍企業の問題。コロナ禍の中にあっても、こうした企業は売り上げを伸ばし、経営陣たちの報酬も鰻登りだそうだ。

そういう報道に庶民はポピュリズムを煽られるが、イデオロギー的な極左や極右の誘導には気をつけねばならない。特にアメリカの騒動は大統領選とリンクして過熱している。

本来は生まれた国で、”普通に”生活できるのが理想だろうが、世界はそうなっていない。
「理想郷」とは、正に、架空の国家なのかもしれない。
ご参考: https://ja.wikipedia.org/wiki/ユートピア
     https://ja.wikipedia.org/wiki/すばらしい新世界
     https://ja.wikipedia.org/wiki/1984年_(小説)

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