パリのマダムの・・・ volume21

『ユダヤ人』

毎年9月、ユダヤ教の新年「ロシュ・ハシャナ」が巡ってくるが、今年は9月19〜20日。
その後の10日間はヤミム・ノライム(畏れの日々)で、ヨン・キプル(大贖罪日)、更にその5日後から8日間はスコット(仮庵祭)を迎える。
ご参考:https://myrtos.co.jp/info/judaism03.php

アメリカではユダヤ暦が普通にカレンダーに記載されているが、フランスではそこまで行かずとも、日常生活におけるユダヤ暦の影響は少なくない。今年は、イスラエル政府が、コロナ禍の更なる拡大を懸念し、18日から3週間の予定で、再びロックダウンを決定したため、イスラエルに集まる人は例年に比べて少ないのではないだろうか。

現在、世界共通に西暦を使うが、これはキリストの生誕日によるキリスト教徒のもの。
ユダヤ教徒は、言ってみれば、人類最初の人間とされるアダムの生誕歴を使う。
「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1:1)を紀元とし、紀元前はBC(Before Christ)ではなく、BCE(before Common Era)となる。

ラビたちが聖書に基づいて計算した年数になるが、計算上は、西暦に3760年を足した年数に等しい。従って2020年はユダヤ暦5780年というわけ。
言うまでもなく日本暦も特別。神武紀元とする「皇紀」は「日本書紀」の紀年法から歴代天皇の即位年を遡って割出し、西暦前660年とされ、西暦2020年は皇紀2680年となる。

古代ローマはローマ建国年が紀元だったし、古代ギリシャでは、オリンピック開催周期を1サイクルとする暦の単位「オリンピア紀」(1オランビア紀=4年)が用いられていた。
話が逸れるが、これを巡って、延期?!された東京オリンピックに面白い偶然がある。

第一回古代オリンピックが開催されたのが、紀元前776年で、一旦断絶を経て、近代オリンピックとして再開されたのが、1896年。通常の紀年法では0年を設けないので、オリンピックが断絶なく執り行われていた場合、本来の開催年は「紀元4x1年」というわけで、2021年こそ「第700オリンピア紀」にあたる、というのだ。

第700オリンピアードは、400年に1回の「キリ番」にあたるのと、「7」はアポロンの聖なる数で古代ギリシャの吉数、ということもあり、おめでたい祭典になる。しかし本来、オリンピック憲章では、「夏季オリンピックは、必ず1オリンピアード(4年間)の1年目に行われ、残り3年の中では開催しない」という規定がある。「中止」なら、当然、開催都市の権利も剥奪される。はたして、オリンピック憲章の改正がありやなしや? 

さて、「ユダヤ人」の話に戻るが、私たちが住む集合住宅には、別荘も含めてユダヤ人オーナーというのが目立つ。なぜわかるかというと、玄関の門柱に”メズーザ”(御守り)が飾ってあるから。日本で、お札(護符)を貼る習慣があるのと似ているところが興味を惹くが、私たちの賃貸アパルトマンでは、玄関のみならず、部屋の入口にも”メズーザ”が掲げてあり、異邦人がこの家に住んでいいのか?!ってな具合。
ご参考:http://m-mikio.world.coocan.jp/meno.html
    https://www.hieizan.or.jp/keidai/yokawa

ユダヤ人は、なぜか、太古の昔から迫害され、離散を余儀なくされた移住の民だった。 一般的には、アシュケナージム(ドイツ語圏や東欧諸国出身)とセファラディム(南欧諸国やトルコ・北アフリカ出身)に大きく分けられ、イスラエル民族、ユダヤ教信者、と言った枠組みもあるし、複雑化して定義は難しいが、聖書の解釈による選民意識は強い。

有名な芸術家、科学者、医者も多く、金融・経済、何より”情報”に影響力を持っている人々が多いので、必然的に政治力も持つ。「世界はユダヤ人が牛耳っている」という論客は、日本を含めて世界中にいて、ユダヤ人を巡って陰謀論に繋がる話は引きも切らない。

マイナスのイメージとしては、『ベニスの商人』の如く「守銭奴」「偏屈」といった気質が挙げられる。実際、そうした印象を持つこともなくはないが、フランスでユダヤ人の事を悪くいうのは、アンチ・セミティズム(反セム族主義)のレッテルを貼られてしまう。

これは、第二次世界大戦中のヒットラーによるユダヤ人大虐殺の傷跡が大きい。ナチズムには、多分に、倒錯した精神病理学の傾向が見られるが、それを利用したシオニズム運動による「イスラエル」建国への布石という話もある。

このホロコーストを、ヘブライ語で”Shouah”と言う。元々「滅亡、壊滅」を意味し、戦後1961年の「アイヒマン裁判」以降、沈黙が破られ、犠牲者の記憶や記録が次々に語り継がれるようになり、この言葉も広がった。

クロード・ランズマン監督が、これをタイトルにドキュメンタリー映画を作ったこともあり、フランスでも普通に”Shouah”を使う。この言葉、「ショア」と読むが、私はこれを聞くと、どうしても「昭和」が浮かんでしまうのだ。

公式見解としての「昭和」は、『書経』の「百姓昭明、協和万邦」という言葉から取ったもので、「国民の平和と、世界の共存と繁栄を願う思い」が込められた、となっている。

『昭』は当時、日本国民にとって、馴染みのない文字で、意味がわからなかったというが、「昭和」の『昭』は「照」と同等。実際、昭和2年生の亡母は、名前を『昭子』と書いて「てるこ」と読ませている。「あきこ」と間違われる方が多かったように記憶している。

次に、戦争がらみで気になっているのが、「トラ、トラ、トラ」という言葉。
日本軍の真珠湾攻撃の奇襲で使われた電信の暗号で、意味は「ワレ奇襲ニ成功セリ」。

これも、アメリカの戦争映画のタイトルになって1970年に公開された。実はこれ、忘れもしない、家族5人全員で見に言った”唯一”の映画なのだ。子供だった私には、内容の深みを理解できるはずもなく、家族揃って出かけた、という思い出だけが残っている。

父は、軍医として戦死した祖父の仇を撃つと、士官学校に入った。外地に行くはずだったのが、舞鶴に停泊していた船に爆撃を受けて疎開、そのまま終戦を迎えたという経緯もあるし、父にとっては色々感慨深い映画だったに違いない。

モールス信号「・・―・・ ・・・」を繰り返すものだったが、”ト”は「突入せよ」”ラ”は「電撃機」を意味したという話もあるが、軍人の中にも「寅年でもないのになぜ」という疑問はあったらしい。アメリカ側は「タイガー、タイガー、タイガー」と訳したそうだ。

根拠がはっきりせず、公式見解がないこともあり、私の頭に浮かんだのが、“Torah”。
「トラ」は、ヘブライ語聖書の最初の5冊を意味するもので、”巻物”になっている。

これが「”虎”の巻」という言葉ともリンクして、ずっと引っかかっているのだが、安岡正徳の「人間学講話」に、「六韜」(りくとう)というものが出てきた。「文の巻」「武の巻」「竜の巻」「虎の巻」「豹の巻」「犬の巻」という6つがあるが、中でも「虎の巻」は、代表名となって「兵法の極意として慣用句になった」という下りを読んだ。

これを機に、私の深読みは外れたのか、とも思ったが、正直、まだ納得しきれていない。
元より、「日ユ同祖論」という、イスラエル十支族或いは十二支族と日本の古代の関係を見る学術研究もある。が、そういった事とは無関係に、私には、こうした言葉には、表には出ない、ユダヤ絡みの秘話があるに違いない、という勘ぐりがある。
ご参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/日ユ同祖論

「音韻」や「表記」というものは、当て字や語順によって意味を変えることもできるし、単なる言葉遊びの範疇を超えて、秘密や暗号にもなる。だからこそ、隠された意味を探る面白みも出てくるのだが、今後、”真実”に出会えるチャンスは巡ってくるのだろうか。

こんなことを綴っていたら、以下のような記事を読んだ。
Covid-19はSARS-CoV-2(重症急性呼吸症候群コロナウィルス2)というものだが、2020年1月の段階では、2019-nCovという名称が推奨されていたのに、WHO(世界保健機構)がこれを退け、2月11日に、Covid-19に決めたという。

COVIDを左右反転させるとDIVOCとなるが、これをヘブライ語の文字に変換すると(ヘブライ語はアラビア語と同じく右から左に書く)、「死者の霊」或いは「悪霊」になる。
これを語源とする英語が dybbuk(dibbuk)で、中世ユダヤ人社会の民族信仰に出てくる。
この名前に拘った人物がそれを意識した可能性はある、ということらしい。
ご参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/ディブク

ベンジャミン・ディズレーリBenjamin Disraeliは、ヴィクトリア朝の英国で2回も首相の地位についた”ユダヤ”貴族だが、次のような言葉を残している。
「世界は、舞台裏を知らない人々には想像もつかない別人によって支配されている」
ご参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/ベンジャミン・ディズレーリ

うーむ、妄想が止まらない……

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