100年の歴史と女性たちDECADE⑱
【2001年(平成13年)~2010年(平成22年) 】

~トレンド~

この時代の主な出来事

◎アニメ映画「千と千尋の神隠し」が興行収入・観客動員数ともに日本映画最多記録
◎アメリカ同時多発テロ
◎初の日朝首脳会談。拉致被害者5名が日本へ帰国
◎iphone発売開始

電車の中でみかけるごく当たり前の風景
誰もが手にしているのはスマホ、正式名称はスマートホン、賢い電話?

ブームのきっかけとなったのは、Iphone。
2008年ソフトバンクから発売されるやいなや、すごい人気でした。

もちろんその背景には携帯電話を使ったインターネット文化があります。
前のDECADEでも少しふれました。

あらためて振り返ってみると。

携帯電話の普及にともなって、電話機の機能も進歩しましたが、なんといってもターニングポイントは、ドコモが1999年にサービスを開始したiモードでしょう。

携帯電話は通話の道具でなく、情報機器となったのです。
例えば、携帯電話でメールのやりとりができる。WEBページを閲覧し、音楽やゲームなどのコンテンツをダウンロードできる。そんな使い方に変わっていきました。

それを支えたのがデータ回線です。
最初のころは、普通の電話回線を利用していたものが、専用回線となり、システムもADSLからCATVや光へと大容量に変わっていきました。さらには、従量制の課金システムが定額制へと変わったことで、大量のデータ量を必要とする画像や動画、ゲームなどのダウンロードが可能となったのです。

インターネットを利用した情報収集が時代の大きなトレンドとなっていきます。

それを支えることになるのがこの時代の後半に登場したスマホだったのです。
さて時間を少しもどしてみると、
時代のトレンドを引っ張ったのは、ポスト団塊ジュニアをと呼ばれた世代です。

この世代は、いわゆる第二次ベビーブームに生まれた団塊ジュニアの次の世代にあたります。2001年時点で17歳~26歳くらいでしょうか。

90年代後半、茶髪や細い眉など、女性の美容への思いが過熱しました。
ヘアエクステ、まつ毛パーマやまつ毛エクステ、カラーコンタクトにジェルネールと化粧品だけでは表現できない美容という言葉で表す領域に広がっていきます。

どこまで白熱するかと思った矢先に起きたのが、東日本大震災

人の気もちも変わったのか、それまでの反動からか、自分にとって必要なものは何か、自分を見つめなおす女性たちの装いは、一気にナチュラルに変化します。

ファッションは、控えめでコンサバティブ、保守的な志向がもどってきたようです

流行やトレンドに左右されないベーシックな装い、誰にでも受け入れられる清潔感あふれるスタイルといっていいでしょうか。

時代はバブル崩壊後、まだまだ不況ムードが払しょくされていなかった、そんな雰囲気も反映したのかも。

流れはファストファッション

マクドナルドのような早くて安いファストフードになぞらえ、流行を取り入れつつも低価格に抑えたアパレルのこと。

大量生産して、短いサイクルで販売されました。

2008年のリーマンショックもあり、ファストファッションは社会現象と呼ばれるまでに。2009年には流行語大賞に。

その代表格がユニクロ。

アメリカのGAPは1995年に日本1号店出店、スペインのZARAも1998年に日本1号店を渋谷に出店しました。

ユニクロは2000年代には海外進出を進めるなど、その人気ぶりがうかがえます。

2005年、東京ガールズコレクション スタート
テーマは日本のリアルクローズを世界へ。

会場で披露される、今すぐにでも着たいと思うファッションの数々、
テレビや雑誌で活躍中のモデルがそれを着用し
観客はケータイでその場で購入する

新しいファッションショーの仕組み

ショーのその場から、次のトレンドが生まれる。
これこそがリアルクローズ。

現実性のある服

そして、会場に集まる女性たちも、この日のために目いっぱいのおしゃれを楽しむ。
会場内やその周辺のあちこちでみかける彼女たちも、互いにそのファッションを評価し、競いあう。

この流れを作ったのは2002年に始まった神戸ガールズコレクション

日本で最初のリアルクローズを対象としたファッションショー。
これまでの奇抜なデザイン、高級既製服といった概念を変えた。

中高年の女性を虜にしたのが、「韓流」

「韓流」は2000年代から東アジアを中心に始まった韓国大衆文化の流行を意味する。
日本においては、20003年に始まったドラマ「冬のソナタ」がブームのきっかけ。

主演俳優の「ペ・ヨンジュン」の人気から、「ヨン様ブーム」として知られる

日韓首脳会談の場でも話題にのぼったといわれるほどの人気、続けざまに韓国ドラマは日本で放送され、韓国人俳優は注目の的となった。

その流れは、ドラマの撮影地を訪ねる旅行や、韓国語を学ぶ語学ブームへともすそ野をひろげた。

その後は、音楽の世界でも韓国は海外活動を進めて人気を得て、韓国人歌手にJ-POPを歌わせるというビジネスモデルが当たり、BoA、東方神起、KARA、少女時代などが成功した。

映画界も活況を呈していた

その原動力となったのは、ジブリの映画。
2001年に封切られた「千と千尋の神隠し」が日本映画の歴代興行収入ランキングの1位を獲得したほか、2010年までに6本のジブリ映画が上映され、どれもがヒットした。

また、日本のジブリに対し、海外は「ハリーポッター」シリーズが大流行し、1999年に第一作「賢者の石」が日本で刊行され、2001年には映画化、日本歴代5位の興行収入を記録したほか、以後ほぼ毎年のようにシリーズ化された。

日本におけるSNSの先駆けともいえる「ミクシー」が始まったのは、2004年。

Mix(交流する)とi(人)を組み合わせた造語で、利用者同士の交流を深めてほしいという思いから名づけられたといわれる、会員制のサイトだ。

すでに登録している利用者に招待されないと登録ができないというシステムだった。
それがメンバーの健全性や安心感につながるコミュニティとしての性格を印象付け、人気を呼んだ。

招待した側と招待された側はマイミクシィと呼ばれた。
2007年には登録者が1000万人を超える大ブームとなった。

ミクシイのサイトでは、日記や趣味のコミュニティなど、SNSの最初のサービスが多数取り揃えられていた。
コミュニケーションの道具として、ケータイからスマホへ、インターネット上でとりかわされる写真や動画、ケータイにカメラは必須のものとなり、誰もがどこででも撮影するのが当たり前な時代となってきた。

SNSが形を変えてひろがり、それとともにさまざまな事象をひきおこしていく、そんな時代がもうそこまで来ていました。

ブームを引っ張るのはいつも女性かも。

女子力、女子会、そんな言葉が生まれたのも2000年代のことでした。

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