100年の歴史と女性たちDECADE⑯
【1991年(平成3年)~2000年(平成12年) 】

~ トレンド ~

この時代の主な出来事

◎バブル崩壊
◎阪神大震災・地下鉄サリン事件・オウム
◎インターネット・携帯電話の普及

1990年代、今からおよそ30年前、80年代半ばから続く好景気を、日本中が十分に享受し、そろそろバブル終わりの足音が聞こえてきた頃。

ディスコ、それはボディコン、ワンレンといった言葉と共に時代を象徴するものでした。
1991年、ジュリ扇を持ってお立ち台で踊ることで話題を呼んだジュリアナ東京が芝浦にオープン。バブル景気崩壊が迫ってきていたことに気づいてか気づかずか、リッチなパーティーが夜な夜な繰り広げられていたと言います。

90年代は新しい言葉がたくさん生まれました。
「シャネラー」「アムラー」「シノラー」…
「超・・・」「ウチら・・・」「チョベリバ(超ベリーバッド)」
10年でくくると、それぞれに最も流行った時代はあるものの、すべてこの年代の流行と言える言葉ばかり。

バブルの象徴、猫も杓子もスカーフと言えばエルメス、不滅のジュエリー三連リングを有するカルティエと並ぶフランスの有名ブランド「シャネル」。当時一着〇〇万円もするスーツで全身を着飾り、ロゴマークの大ぶりイヤリング、スーツと合わせたバイカラーパンプス、もちろんロゴ入り。そしてバブルキルトのチェーンショルダー…、六本木にあふれていたバブルOLの必須アイテムです。全身シャネルの彼女たちを称して「シャネラー」、まんまの表現…。

宴の終わりはいつかくるもの。バブルがはじけたその時。

残されたものは、ボーナスの減額に嘆くOL、就職難に先の不安を感じる女子大生。
人生の節目に悩む世代、その中で一人気を吐いたのが、まさに青春を謳歌していた女子高生。
時代はOL・女子大生から女子高生へ。

関心事といえば、ファッションや芸能界。クラスメイトや先輩後輩とのおしゃべりに花を咲かせ、放課後は制服姿で都心へ。

足元はみんな揃ってルーズソックス。学校で禁止されても流行に遅れたくない。だから学校の外にでれば着替えておしゃれを楽しむ。

ルーズソックスといえばソックタッチ、これがないと困る。だから一時は廃番になったソックタッチを復活させたのも彼女たち。

ソックタッチを忍ばせたスクールバックにはキャラクターグッズがぶら下がり、個性を主張、腕にはプロミスリング。1991年に始まったサッカー「Jリーグ」でブラジル選手が身に着けていたことから広がったとか。

女子高生の中でもちょっと派手めの子を呼んで「コギャル」。誰が名付けたのか、高校生ギャルの略とも、ギャルになる前の子だからとも。ボディコンのイケイケギャルになるにはちょっと早い、そんなニュアンスを込めて呼ばれたようです。

コギャルの必需品、これがないと連絡がとれない。そんなツールがポケットベル。
ポケットベルは彼女たちの間で大ブームとなる。

ポケットベルが始まったのは1968年とかなり昔。電電公社(現NTT)が東京都内でサービスを開始したのが始まり。ビジネスの道具がコギャルのおもちゃになったのは、通信の自由化!簡単にいえばたくさんの会社が参入して、サービスの種類が広がったから。

呼び出し音だけでなく数字が送れるようになった。

語呂合わせや暗号表みたいな数字の組み合わせで、メッセージを送る言葉遊びを流行らせたのも女子高生。
0840(オハヨウ)、14106(アイシテル)など。

カタカナが送れるようになり、進化したポケベルはデートの待ち合わせにも力を発揮。
遅れそうになったらすぐにメッセージ、もう駅の伝言板に「先に行く〇〇」「〇〇で待つ」なんていうメッセージを残す必要もありません。

おごれるものは久しからずではないですが、ポケベルの流行も一時のこと。
携帯電話の広がりとともにその姿も消えていきます。

自動車電話を持ち出したのが始まりとされる携帯電話、最初のころは「ショルダーホン」と呼ばれた肩掛け式。重さはなんと3キロも。流行りもの好きな芸能人やビジネスマンが競って使っていましたが

90年代半ば、大きさは手のひらサイズに、値段も安く、ケータイは一気に個人利用に広がりました。

技術は発達し、便利な世の中になりましたが、災害や事件は待ってくれません。

阪神大震災、地下鉄サリン事件、世間を揺るがす出来事が次々と起きます。

日本の安全神話は崩壊し、世紀末・ミレニアムといった言葉が蔓延しました。

元気だったのは、ギャル。
安室奈美恵さんもその世代の女性。時代をひっぱった一人です。

歌はもとより、彼女のスタイルやファッションが大ブームを呼び、10代の女性たちをトリコに。「アムラー」の登場です。

安室さんの服装やメイクをまねた“安室奈美恵もどき”が街にあふれました。

超ミニ、厚底ブーツ、肩までの長い髪の3点セットがとりあえずの「アムラー」条件、ヘアメイクは、ロングヘアにシャギー、茶髪にシルバーメッシュ、そり落としたあとに描いた細い眉毛、日焼けサロンで焼いた肌も。

「アムラー」は当時の流行語大賞にもノミネート

ブームに「ラー(-er)」をつけるのはマスコミのお得意芸。
アムラー以外にもシノラー(篠原ともえ)、カハラー(華原朋美)、ナオラー(飯島直子)など。有名人のファッションや雰囲気に焦がれて、まねる人たちがそう呼ばれました。

なんでもラーをつければいいというものでもなく、マヨラー(マヨネーズを大量にかけて食べる人)なんて言葉がでてくるともうよくわからなくなりましたが。

まさに世はギャル時代。

若い女性のファッションはさらに・・・

黒く焼いた肌にシルバーメッシュのエクステ、シルバーホワイトのアイシャドウ、「ガングロ」や「ヤマンバ」と呼ばれた女性たちも。

その姿を雑誌が取り上げるから、ブームはさらにエキサイト。ますます奇抜さを競い合う風潮に。

現実世界でコスプレのようなファッションを楽しみ、彼女たちの関心の場は次のステージへと向かいます。

それはインターネット。

携帯電話がインターネットへの入り口となったのです。パソコンの前に座らずとも、いつでもどこでも。

きっかけをつくったのは、NTTドコモのiモードサービス
ほかの携帯電話会社も次々とサービスを広げ・・・

メールだけでなく、ネット上でコンテンツを楽しむ。そんな時代が目の前に。
現代に続くネット文化の始まりがもうそこまできていました。

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