「社会と女性と法律と」その2
【1925年(大正14年) 普通選挙法】

~普通でない選挙って?!~

普通選挙法、正式には「衆議院議員選挙法改正法」つまり、これまでの衆議院議員選挙法を改正し、納税要件を撤廃した。
この法律が可決したことで、25歳以上の男性すべてに選挙権が与えられることになったわけです。
そう、改正しても“男性である”という要件は変わらずそのまま、だからいわば男子普通選挙法というのが正確かもしれない。

じゃあ、女性は? という話になる前に、日本の選挙を振り返ってみる。

☆☆☆これまで選挙にかかわる法律ってなかったの?

1889年(明治22年)日本で最初の衆議院選挙法が公布された。
前年に大日本国憲法が公布され、最初の帝国議会選挙(衆議院選挙)に備えて作られた。
この選挙が大日本帝国憲法下での最初の選挙。1890年。

選挙人の資格は、25歳以上の男性で国税を15円以上納めている人。
これが納税要件。
その有権者数は当時の人口のおよそ1%。およそ45万人。

15円が今のいくらかは難しいが、人口の1%というとかなりの高額所得であることにはまちがいない。
普通のサラリーマンでは無理だろう。

その後いろいろあって、徐々に納税額が下がり、最終的に撤廃されたということ。

この普通選挙法に基づいて初めて行われた選挙は1928年(昭和3年)
そのときの有権者は一気に増えて1240万人、人口の20%にあたるといわれています。

☆☆☆なぜ女性に選挙権はなかったの

世界を見渡してもやはり、最初は男性にのみ選挙権があって、その後女性に選挙権が与えられたというケースが多い。
一説には、男性には兵役義務があり、国家を守るのだから選挙権が与えられるという話もあるが、真偽のほどはどうだろうか。

残念ながら女性の立場というものは、もともと低かった。
例えば家庭で子供の親権がなかったり、長時間労働や低賃金という悪条件で働いていたりした。
そういう社会のルール、女性にとって好ましくないルール(法律)を作ってきたのが議会であり
選挙権がないとうことは、そのルールをつくる仕組みに参加できないということ。

☆☆☆で、女性は黙ってみていたの?!

そんなわけはない。
1873年(明治6年)に発刊された雑誌や、自由民権運動の流れの中で
女性の参政権の考えが紹介され
1878年(明治11年)の政府の会議で女性にも参政権を与えるべきという主張がなされたりしていた。

しかし、大日本帝国憲法下では
女性が政治目的に集まったり、集会に参加することが禁止された。

そこでまず、女性のそうした権利を禁止した治安維持法の改正を訴えて、市川房江さんらが集まって大正8年、新婦人協会を設立。
これはDECADE③でも紹介しました。

そうした活動が続く中、件の普通選挙法が公布されたのでした。

☆☆☆実は女性の選挙権はあった

話がそれるが、この普通選挙法にさかのぼること35年
1880年(明治13年)に高知県で行われた区会議員選挙で
戸主に限定されたものの女性に参政権が認められ、それが行使されていました。

しかし、その4年後には、区町村会法が改定され
区町村の規則制定権を取り上げたことで、区町村会議員選挙から女性は排除されてしまったのです。

☆☆☆世界の普通選挙法は

世界で最初に女性参政権が認められたのは、ニュージーランド。
1893年のことでした。
日本で女性抜きで初めて選挙が行われた3年後の事です。

以下
1902年 オーストラリア
1919年 ドイツ
1920年 アメリカ
1944年 フランス
1945年 日本、イタリア
1993年 スイス

☆☆☆早ければいいのか・・・

こうしてみると日本は確かに世界の中でも遅いです。
ただ、こんな見方もできます。

ニュージーランドで男子普通選挙法ができたのは1879年。
だから男女平等になるまで14年。
ドイツは1871年だから48年。
イギリスでは10年
なんと日本は20年!
男女の差別があった年数は、さほど長くないともいえませんか。
ちなみに、アメリカ約90年、フランス152年、スイス119年。
100年以上も女性が差別され続けていたともいえます。

さて、日本における女性の参政権は、終戦後の1945年まで待たなければなりません。
その時もまた、衆議院選挙法を改正し
今度は20歳以上の男女すべてに選挙権を与えるとなったのです。

こうして初めて真の意味での普通選挙法ができるのでした。

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