「社会と女性と法律と」その8
【1947年(昭和22年)改正民法公布】

~女性の地位や権利も向上したのか?~

☆☆☆民法ってどんな法律
明治維新が起きて世の中が大きく変わり、人々の生活や価値観が変化しました。その人々の生活に関わることを定めた法律が民法で、大きく分けて財産に関する部分と親族やその相続に関する部分に分かれます。
戦前からの日本の家族、家制度について定めた法律として、人々が生活していく上でその人間関係や財産などについて定めた法律です。

☆☆☆改正前の民法って?
自由・平等の思想にもとづくものではなく,封建的家父長的家族制度,すなわち,家の制度を基本理念としていました。家とは祖先から子孫に至る抽象的な縦のつながりを意味し, 現実の家族においては戸主(家長)を統率者とし,子孫へつなぐために長男の家督相続を定めたものでした。戸主以外の家を構成するメンバーが家族でした。

個人が尊重されず,男女も不平等な法律でした。

具体的には,妻の無能力制度,夫婦財産 における夫管理共通制,夫婦の離婚原因の差異,父の親権,相続における 女性の後順位,

☆☆☆何を改正したの
戦後新たに制定された日本国憲法には,個人の尊厳と男女平等の原則が規定され,家族に対する考え方も封建的な家の制度から婚姻家族の制度に大きく転換しました

この憲法制定に伴って、民法も改正されましたが、その中身で最も大きな変更は家制度の廃止でした。家族の在り方も,女性は嫁として夫の家にはいるという婚姻形態から,婚姻によって新しい家族が形成されるという考え方に変わり、家族は個人として尊重されます。また財産の面からも、家制度の廃止に伴って、その権利は家族という単位でなく、個人という単位で考えるようになったのです。
さらに新しい憲法に規定された男女平等という概念がありますから、女性の権利も大きく向上しました。

・「婚姻」
結婚は男女両方の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有するという考えから、配偶者の選択や財産権、相続、離婚などについて、平等かつ自由が認められました。
以前ならば、戸主権のもと、結婚相手の選択は戸主である父親の許可がなければ認められませんでした。

もちろん離婚についても同様です。

・「相続」
戸主の権利が廃止されたことで、財産についても、家督相続ではなく家族が均等に相続できるようになりました。
これまでは男子の長子(長男)が戸主として家督を相続、戸主としての権利を始め、家や土地などの財産すべてを相続し、それ以外の子供たちは財産を相続できませんでした。
次男や三男は家を離れて別の仕事を探し、女子は、結婚して家をでていくのがあたりまえでした。

妻には基本的に相続権はありませんでしたが、(男子がまったくいない場合などを除いて)改正に伴い相続権が認められるだけでなく、その順位も子供より優先されることになりました。妻は配偶者として、常に相続者としての地位を獲得しました。
妻の立場が夫と平等であると認められたということでしょう。

・「親権」
子供に対する権利(親権)も父母ともに認められるようになりました。

これまでは親権はまず父親にあり、その次が母親であると規定されていました。そのために離婚した場合は、子供は父親のものという考えになり、現在のように母親が子供を連れて離婚して家を出るということはとうてい考えられませんでした。

この親権ですが、古くは鎌倉時代の「御成敗式目」に子供の親権は父と母両方にあると記されていましたが、いつのまにか、江戸時代の頃には、親権は父親の権限に限られるという風になっていました。それがこの民法改正であらためて父母両方にあるとされたのです。

こうして、新憲法のもと民法は大きく改正され、女性の地位や権利も向上しました。
しかし、結婚できる年齢や再婚禁止期間の問題など、まだまだ男女の差別は残されていました。民法はそうした問題をふまえて、その後も何度か改正されることになります。

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