「社会と女性と法律と」その6
【1947年(昭和22年)教育基本法制定】

~教育における男女平等~

教育基本法の前文には、教育勅語への反省から「真理と平和を希求」「個人の尊厳を重んじる」と書かれています。憲法と法律の中で前文を持つのは憲法と教育基本法だけです。教育基本法は内容ももちろん、そうした構成の点からも“教育の憲法”と呼ばれています。
そしてこの法律には、教育における男女平等が明記されました。

☆☆☆戦前の日本、男女は別学?
戦前の日本は、男女は中学校と高等女学校、専門学校と女子専門学校という形で区別され、さらに女子は高等学校への入学が認められていなかったことから、大学、特に帝国大学への進学は事実上不可能とされていました。学校制度や教育内容において男女に差別が設けられていたのです。
女子の高等教育機関としては、中等教員の養成のために設置された国立の女子高等師範学校が最高でした。
1945年(昭和20年)、男女間における教育の機会均等、教育内容の平準化などを目的に、「女子教育刷新要綱」が閣議了解されました。
女子の大学入学を妨げている規定を改め、女子大学の創設や大学における共学制を実施するとの方針が定められたのです。
この動きは教育基本法などよりも早く、GHQの意向を察した文部省が動いたともいわれています。
このような風潮の中で、学校制度改革を待つまでもなく女子専門学校設立が活発となり、1946年には22校、その翌年は26校が創設されました。
1947年には、東京帝国大学に初めて女子20人の入学が認められました。
同じ年「教育基本法」や「学校教育法」が施行され、学校教育における男女間の平等は、制度として確立されたのです。
*教育基本法はどのようにして誕生したの?
1945年(昭和20年)の終戦とともに、古い教育体制はGHQ(連合軍総司令部)によって解体されることになり、新しい教育体制を組み立てるために、アメリカから「アメリカ教育使節団」がやってきました。
使節団は約1ヵ月滞在し,連合国最高司令官に報告書を提出して帰国し、GHQはこの報告書に基づいて教育改革を実施しました。その内容というと、学校制度としての6・3・3制や、教育行政として地方分権化に基づく教育委員会制度などを勧告し、戦前の国家主義教育を批判、戦後の教育の民主化に影響を与えるものとなりました。
これに対して日本側では「教育刷新委員会」が組織され、GHQと協力しながら、教育基本法や学校教育法などを制定、戦後の教育改革を実施しました。

☆☆☆教育基本法は何を大切にしているの
教育基本法は民主主義や平和主義、個人の尊厳の尊重を教育の基本原則として掲げるなど、本来なら憲法に盛り込まれてもいいような重要な教育理念や目的を規定しています。その意味でも教育の憲法と呼んでもいいのではないでしょうか。
内容は第一条「教育の目的」に始まり全部で11条からなります。

☆☆☆男女共学って?
教育基本法の第5条は男女共学を定めています。
「男女は、互いに敬重し、協力し合わなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない」
今からすれば当たり前すぎるほど当たり前のことです。
しかし、日本では、明治以降終戦まで、幼稚園や小学校を除いて、男女別学が主流でした。これは、1891年(明治24年)に出された「学級編成等ニ関スル規則」に基づいて、当時の尋常小学校の1、2年だけを共学として、3年生以降は男女別学としていからです。男子と女子では、授業内容も教科書も全く別とすることが、公立、私立問わず義務付けられていました。
そのため、教育基本法は第3条(教育の機会均等)で、教育における男女平等を規定しましたが、女子の社会的地位の向上を図るためには、女子教育の向上が特に必要との考えから改めて第5条で規定されたものとみられています。
男性にしか入学が認められていなかった学校に、女性が男性と同じ水準の教育を求めて入学許可を要求する。これは女性たちが教育を受ける権利を要求してきた歴史的経緯を踏まえ、まず3条があり、そしえ5条があるといえます。

☆☆☆学校教育法はどんなもの
教育基本法とともに制定・施行されたのが学校教育法です。学校教育法は小学校や中学校、高等学校、大学や各種学校など学校の種類と年限を定めたものです。
戦前の日本の学校制度は、各学校の種類ごとに定められ、進学する道筋は複線のような状態で、全員が一つの道にそって進む(中学から高校、大学と一つの体系に沿って)という制度がとられていませんでした。そのため最高位の教育機関である旧制大学にすすむためには旧制高等学校など限られた学校を卒業した者でなければならなかったのです。
そしてこの旧制高等学校には女子の入学は認められていませんでした。女子が大学に進むためには女子師範高等学校へ入るなど、特別なルートでなければならず、特に旧制大学への道は著しく制限されていたのです。
それが教育の機会均等とに伴って、原則、この法律で高校と規定された学校を卒業したものは大学に進む資格を持つことができ、すべての女性に大学への道が開かれたのです。
また、学校教育法では、新たに短大の設置を認めています。
学校教育法は、大学を「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」と定めていますが、それとは別に「深く専門の学芸を教授研究し、職業又は実際生活に必要な能力を育成することを主な目的とする大学」として短大を規定し、修業年限も2年または3年としました。
これは学校教育法の施行にあたり、戦前の旧制の専門学校が新制大学に移行するのですが、その多くが大学の設置基準に満たなかったため、救済策として短大制度が新設されたものです。専門学校の多くは女子専門学校だったことから、そのまま短大へと衣代わりしたため、短大の多くは女子学生が学ぶ場所となりました。こうして短大は、その後も女子教育を支える大きな存在となります。
その後、教育基本法は2006年(平成18年)に全面改正、学校教育法も幾度かの改正を経て、2007年(平成19年)には大きく改正され、現在の教育の基本となっています。

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