「社会と女性と法律と」その18
【1997年(平成9年)改正男女雇用機会均等法成立】

~まだまだ道半ば~

男女雇用機会均等法は1986年(昭和61年)に施行され、それまで門戸が閉ざされていた総合職や技術職にも女性が採用され、「均等法世代」という言葉が生まれるなどしました。

しかし、1990年代に入ってバブル経済が崩壊、厳しい経済状況のもと就職氷河期とよばれる時代に、中でも女子学生の就職難が深刻な問題となり、均等法の見直しの機運が高まったといわれています。

そうした背景を受け、1997年(平成9年)男女雇用機会均等法の改正法が成立、1999年(平成11年)に施行されました。

☆☆☆何が改正された?

主な改正点は次の3つです。

  • 女性に対する雇用差別禁止が努力義務から禁止規定へ。
  • ポジティブ・アクション、セクシュアルハラスメント関連の規定創設
  • 母性健康管理措置の義務化

1986年に施行された男女雇用機会均等法で努力義務とされた、募集・採用、配置、昇進について、女性であることを理由とする差別的取り扱いが禁止され、雇用におけるすべての場面において女性差別が禁止となりました。

一方、女性のみの募集や女性のみの配置などの女性に対する優遇は、女性の職域を固定したり、男女の職務分離をもたらすなどとして、あらたに「女性に対する差別」であるとして禁止されました。

しかし、過去における差別によって、男女間の従業員数などに差が生じているといった状況を改善するために行う「女性のみを対象とした措置や有利な取り扱い」を行う「ポジティブ・アクション」は違法ではないとする特例も同時に設けられました。

セクシュアルハラスメントについても、その防止のために事業主が雇用上必要な配慮をしなければならないという規定が新設されました。

また、母性保護に関しては女性の健康管理のための措置が義務化され、「妊娠や出産などを理由とする不公平な取り扱い」は禁止されることになりました。

合わせて労働基準法が改正され、母性保護規定以外の女性保護規定が撤廃され、妊産婦以外の女性は残業や深夜労働・休日労働の規制がなくなりました。

その結果として、残業をしても残業代が払われていなかったという実態が改善されたという面もあります。

 

☆☆☆旧均等法は何が問題だったのだろう?

旧均等法(1986年施行)は、勤労婦人福祉法の改正という形で成立したので、女性にとっての福祉法ではあったけれど、福祉と無関係と解釈される性差別は規制されなかったのです。

ですから男性に関しては、旧均等法は関知していません。

そして女性の福祉に反しない限り、女子のみという取り扱いが事実上許容されていました。

「パート、女性のみ」や「一般職、女性のみ」などです。

結果として、旧均等法から10年、女性の職域は少しは拡大しましたが、男女の賃金格差は縮小しませんでした。1985年に男子の給与を100とすれば、女子は59.6、1995年は女子は65.5でした。ただし、これは正規雇用者の比較で、パートタイム労働者を含めればもっと低い数字になります。

というのも、フルタイムの正規雇用者に占める男性の割合は90%を超えているのに対し、女性は60%ほどにとどまっていて、その残りは低賃金のパートタイム労働者だからです。(総務庁 労働力調査特別調査より)

結局、旧均等法施行後、女性のパートタイム雇用や派遣雇用などの非正規雇用が増加し、賃金が低く昇進が遅い、「一般職」や賃金が低く、不安定な「パートタイム労働者」は圧倒的に女性が多いという結果となり、女性が不利益を被る形となっていたのです。

 

☆☆☆改正法が施行されて問題はなくなったのか

改正法の成立で、最初に述べたように雇用のすべての面での差別が禁止されるなど、女性にとっては大きな進展がありました。

しかし、均等法はもともと女性差別をなくす趣旨で制定されたものでしたから、「女性に対する差別、女性であることを理由とする差別」は禁止されましたが、「男性であることを理由とする差別」は禁止されていませんでした。

このため、商社の一般職や、保育士、看護師などの職種で男性であることを理由に採用されないとう事案もあったといわれています。

均等法がその名のとおり、男女両方に対する差別を禁止する内容になるには、2006年(平成18年)の改正まで待たなくてはなりませんでした。

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